貝山地下壕(2011年1月29日)

 貝山地下壕に行ってきました。貝山地下壕は横須賀市追浜地区にあります。元々横須賀市は、軍事基地として有名な処で海軍基地や兵器工廠、軍需工場、軍病院が数多くあり、大東亜戦争の末期は米軍に対する防空強化のため、1000箇所を超える地下壕が建設されたと言います。
 その中でも、追浜周辺には野島公園地下壕、日産工場内の夏島貝塚地下壕、貝山緑地地下壕、浦郷丘陵の地下壕群がマニアに有名です。特に貝山地下壕はマニアが入りやすいらしく、無断入坑している報告が多いです。
 さて、東京湾海堡ファンクラブから「貝山地下壕」の見学案内が来ました。おっ、ファンクラブに入っていて良かったなあ。
 今回はNPO法人「アクションおっぱま」と協同で探訪するとかで、NPO法人から専門家が案内に付いてくれます。
 専門家って誰が付いてくれるのだろう。わくわく。


貝山地下壕の地図 2011年1月29日

貝山地下壕のパンフレット 2011年1月29日

貝山地下壕のパンフレット 2011年1月29日

貝山地下壕のパンフレット 2011年1月29日


 Caccoは「これは地下壕の達人、GURIKO隊長※1」にお声を掛け、是非ともご参加頂かなければと、お誘いメールを打っていました。
 追浜駅のコンコースでGURIKO隊長と無事待ち合わせが出来、ファンクラブのメンバーと合流します。


貝山地下壕のある追浜の町 2011年1月29日

Glico隊長と遭遇 2011年1月29日

Glico隊長と記念写真 2011年1月29日

 初っ端、レストランに連れて行かれ、1000円の食事を取りながら貝山地下壕のパンフレットを渡されます。(表紙がなんだかね~ってやつです)


貝山地下壕探検隊の面々 2011年1月29日

この女性が貝山地下壕の専門家昌子住江さんだと思う 2011年1月29日

 仕立てたマイクロバスでも用意されているのかと思いきや、神奈川中央バスに乗ってくださいって案内だった。
あれっ?
 まあ、兎も角、追浜駅からバスで15分ほど海の方に行くと、貝山緑地に到着します。 
 横須賀市のリサイクルセンター「アイクル」や「エコマルク」と言う工場があります。この工場の裏手が貝山緑地で、その地下に貝山地下壕があります。


リサイクルセンター「アイクル」 と怪しい集団 2011年1月29日

この建物の脇を通て裏山へ 2011年1月29日

 パンフレットによると、貝山地下壕を囲むように、北に海軍航空隊本部(現在日産自動車工場)、東に海軍航空隊弊社(予科練)があり、南に海軍航空技術廠がありました。これらを守るために貝山と夏島、浦郷に地下壕が掘られたのでしょう。ロケット特攻機「桜花」やロッケトエンジン「秋水」の開発や試験飛行が行われていました。ここの開発者達が終戦後、東海道新幹線の車体の設計に携わったことは有名です。
 そういえば、日産にはルノーに買われる前はロケット「ミサイル」の製造会社を持っていましたね。


かわいい形のロケット特攻機 桜花 2011年1月29日

かわいい形のロケット戦闘機 秋水 2011年1月29日

 このロケットエンジンの燃料の開発に女性化学者:加藤セチ博士が参画しており、当時の軍事態勢の中では、考えられないような人材登用をしている。よほど優秀な方に違いないと思うが、どのような人となりなのか。
 加藤セチ博士:熊本藩の第二代藩主、加藤忠広の末裔に生まれましたが、山形の生家は没落しました。大正期の札幌で女学校の教師をしながら北海道帝國大学に学び(女子学生第1号)農学部を修了しました。大正11年、理化学研究所の女性研究者第一号になると吸収スペクトルを化学分析に応用し、「アセチレンの重合」で女性で3番目の理学博士となりました。戦中は「航空燃料の改質」、戦後は「抗生物質の開発」などで業績をあげました。
 意外と優しい顔立ちの人で、結婚後博士号を授与されています。子供にも恵まれましたが、男子は戦死し、女子は嫁して家は途絶えてしまいました。主婦の時にロケット燃料を研究していたんですね。


加藤チセ博士 2011年1月29日

 さて、一般公開されている地下道はB地区で、いよいよ探検です。

 専門家(昌子住江先生だと思う)の方は大層詳しく事象を説明してくれました。
先達さんが注意点をお話しているのに、参加者の皆さんは自分の装備のことに無我夢中で、ほとんど聞いている人はいませんでした。


専門家の先生 2011年1月29日

 ここが入口です。山の麓にあるのですが、参加者がお年寄りばかりなので、「足元にお気をつけください」との注意の最中に、すってんころりんと転ぶお年寄りが続出、ふんと鼻で笑っていたうさおも例に違わずズルリと足を滑らせた。入る前に怪我してなるものぞと、誰にも見られなかったかと辺りを見渡した。


貝山地下壕の入り口付近 2011年1月29日

貝山地下壕の前の坂 2011年1月29日

貝山地下壕の前で準備するGURIKO隊長 2011年1月29日

この後姿はGURIKO隊長だが、はっ、早い、私たちを置き去りにして、もう地下壕に突入している。
探検にはこの早さが必要なんだな。


貝山地下壕の入口 2011年1月29日

中から外見ると、こんな感じ。
結構趣があってよろしいなあなって思っていると、先達さんから「一人で逸れないようにして下さいよ」と声が掛かる。
こんな処に一人は恐いじゃないか。


貝山地下壕洞窟の中から 2011年1月29日

 落盤などしないように、構造を考えてか綺麗なアーチ状にトンネルが掘られている。
このドラム缶は戦時中のものか?
このおじさんはやけに熱心でしたね。


貝山地下壕の内部 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 ドラム缶 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 ドラム缶 2011年1月29日

 外に繋がる階段があり50段あると聞いた覚えがあるが間違いだろうか?
単独で入って、人目がなければ上の出口まで昇っていけるのになあ。


貝山地下壕の内部 階段 2011年1月29日

 内部は多少湿っているが、他の洞窟と違って以外に乾燥している。やはり、小山の中に掘っているので地下水位が低いのでしょう。染み出ししている水は水脈からのものかもしれません。
遺物として、煉瓦や碍子が散乱しています。この人は何か薀蓄を言いたいんだろうなあ。


貝山地下壕の内部 何かの破片 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 2011年1月29日

 何かの部屋のようなところに来ました。周囲の壁は猿島の時のように、土丹層を手鑿で掘られています。
支保工も無く力学的によく考えられているようです。そうでなければ今頃崩壊していますよね。


貝山地下壕の内部 2011年1月29日

 また新たな部屋が出現しました。今度は、隔壁が煉瓦積みと石積みです。赤い煉瓦が郷愁をそそります。


貝山地下壕の内部 参謀本部会議室 2011年1月29日

 中に入ってみると比較的大きな部屋で、参謀本部の会議室と言う趣です。
天井の白いものは、コンクリートの析出物(エフロレッセンス)です。
一番左端にGURIKO隊長がいます。


貝山地下壕の内部 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 2011年1月29日

 こんな遺物が残っています。食器や何かの入れ物、壜です。毒ガス等が詰められていたようには見えません。そうなら、このメンバー全員アウトですがね。
微妙ですが、壁の上の方に地層が見えますよね。三浦層群の堆積岩であると思われます。なら、地震時には崩壊しやすいなあ。


貝山地下壕の内部 食器類? 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 鉄道で使う山越機のようなもの 2011年1月29日


現地を探索するCacco隊員とGURIKO隊長。二人の間に挟まって地下壕の専門家の先生がメガホンを持っていらっしゃいます。
先生、小さいなあ。二人が大きすぎるのか。


貝山地下壕の内部 潰されそうな先生 2011年1月29日

 見上げるCacco隊員、もう次の獲物を探しているGURIKO隊長。
ここの框はコンクリートで仕上げてある。この時はまだ1月末だが、夏は室温は如何なのだろう。
洞窟内は夏冬関係なく、16℃と言われているがそれならば意外と快適かも。


貝山地下壕の内部 2011年1月29日

 探検ツアーの中で一番若いGURIKO隊長に「お姉さん、見てきて!」の声が掛かり、一段高い処に昇らされて、向こう側の溝の中を覗いて見ると朽ち果てた自動車があったそうです。隊長が壕の上に昇ると一斉にシャッターが鳴り響きます。あれれ・・・恐い所は人身御供を供えて写真を撮るのか。
ともあれ隊長の「ありました!」の声に一同ほっとしていました。
(見てもいないのに何で・・・?)


貝山地下壕の内部 向こうに溝がある 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 断崖絶壁なので恐る恐る 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 溝の中 自動車が朽ちている 2011年1月29日 GURIKO隊長撮影

コンクリートで出来た構築物も中にちらほら見えます。
おお何だろう、洗い場かな?排水は如何するのか。田谷の洞窟では地下道の下に更に地下水脈が現れていて、濤濤と流れていましたが・・・。


貝山地下壕の内部 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 洗い場?風呂? 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 洗い場?2011年1月29日

 部屋の銘版があったと思しき彫り込んだ跡。「司令部」とか・・・。「予科練」とか・・・。


貝山地下壕の内部 部屋の銘板 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 参加者の年齢は幅があります 2011年1月29日

 外に通じている洞窟は、何故か生活ゴミで一杯です。
安全のために外からの進入を遮るには、堆積物で阻止しなくてはと言う理論になるのかもしれないが、幾ばくかのエゴも感じるね。


貝山地下壕の内部 ゴミが・・・外が見えます 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 2011年1月29日

 おお、お待ち兼の炊事場跡だ。比較的ちゃんとした料理が出来そう。
右手の壁に煙突の穴があり、煙突は山腹に通じていると言う話しだ。


貝山地下壕の内部 厨房ですよ 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 食器棚? 2011年1月29日

貝山地下壕の内部 煙突です 2011年1月29日

 今度こそ正体の判らないものが多く捨ててあった。ロケット用の液体燃料は人体にとって毒性があったそうなので注意が必要だ。


貝山地下壕の内部 ロケットの試作品か?2011年1月29日

 わぁい、ようやくお外に出れたぞ。中は広々としていたので圧迫感は無かったが、やはり暗いのは疲れるね。
予科練の石碑のある貝山緑地の地下を巡っていたことになります。


貝山地下壕の内部 やっと出口に 2011年1月29日

貝山地下壕の上は予科練の宿舎 2011年1月29日

貝山地下壕の山 予科練のあったところ 2011年1月29日

第三海堡

 一息ついたところで、東京湾第三海堡の海から引き揚げた施設を見ることになりました。
海堡は大正12年に関東大震災によって崩壊し、海中に没しました。しかし、これが暗礁となって海難事故が多発するようになり、第三海堡を引き揚げて航行に充分な海底を確保する工事が始まりました。


第三海堡 砲台砲側庫 2011年1月29日

第三海堡 観測所 2011年1月29日

第三海堡 探照灯庫 2011年1月29日

第三海堡 砲台砲側庫 2011年1月29日

第三海堡 2011年1月29日

第三海堡 2011年1月29日

第三海堡 2011年1月29日

第三海堡 2011年1月29日

第三海堡 2011年1月29日

 探照灯庫、砲台砲側庫、観測所の三つの構造物が、夏島都市緑地内に保存されています。
 この三つの構造物を海中から壊さずに取り出すのは至難の業と思われます。良くここまで原形を保ちながら引き揚げられたものです。


第三海堡 2011年1月29日

第三海堡 2011年1月29日

第三海堡 2011年1月29日

第三海堡 2011年1月29日

 先生が講義されている処を、またGURIKO隊長とCacco隊員が挟むようにして聞いています。先生がまた小さく見えちゃうじゃないか。
隊長の手にあるのはボイスレコーダー、色々な武器をお持ちです。


第三海堡 先生の説明 2011年1月29日

第三海堡 フィルムカメラを褒められる 2011年1月29日

第三海堡 語っている先生 2011年1月29日

 こうしてみると遺構も地中海風で趣があります。土木の構造の先生夫婦でしょうか、二人して鉄筋径やピッチをコンベックスで当たっていました。こっそり耳を欹てていると250mmピッチで鉄筋が入っているようでした。


第三海堡 鉄筋コンクリート 2011年1月29日

※1:GURIKO隊長:数々の戦争遺跡を踏破している遺構探検家。隊長は最近のデジカメなどは記録を残す媒体として邪道だと言う意見を持たれており、フィルム・カメラを使われている。しかし、昨今の傾向でカメラメーカー、フィルムラボがデジカメ対応に移行し始めており、銀塩カメラのフィルムを入手するのが困難になってきている。隊長も私財を投げうって探検されているが、この後も銀塩写真家として行動できるのか。