開港資料館じいさん (2011年2月6日、2011年3月13日)


 横浜開港資料館で「痛っ… 歯が痛い −歯科医学の誕生と横浜−」と称する展示があり、それにうさおや日出彦さんのおじいさん「歯科医師:益田廣岱」がコーナー展示されておりました。平成23年2月2日(水)〜4月24日(日)でもう終わっちゃいましたが、招待券があったものですから3回も行っちゃいました。
 まあ、Dokugaku にもご案内は入れさせて頂きましたが、私達ぐらいでしょうね、見に行ったのは・・・。
と言う訳で皆様方には嫌でもご紹介しちゃいましょう。
 以前、トマソン隊「じいさん編」に記述したように、「おじいちゃん」の名前は、「u田 廣岱(こうたい)」と言います。
 「齒科醫事衞生史」に若干の記述があることは以前にも紹介いたしました。
 如何にも明治の人で行動力のある人でしたね。うさおが若いときには、この「じいさん」に風貌が一番似ていると言われました。髭が濃いところがですけど、隔世遺伝でしょうか。
剃刀の刃は一回で欠けて使い物になりません。私達の親父は九人兄弟のうちの五男坊で、歯科医師は末子の叔母が継ぎました。
 今回、横浜の開港資料館での展示に尽力をいただいたのが、歯科医師の大野粛英先生と羽坂勇司先生で、この叔母のところに横浜開港資料館の石崎主任調査研究員と3名で訪れ、今回の展示に「じいさん」を紹介したいこと、ついてはエピソード、写真、遺物はないかと聞いたそうです。
凄いな、「じいちゃん!」(以前より親しみが込められており「ちゃん」付けです。)


妻子とともに

横浜開港資料館外観 2011年2月6日

横浜開港資料館 波止場のほうから 2011年2月6日

 横浜開港資料館は元は英国総領事館だったところで、その建物も英国領事館をレトロフィットして使っています。ここには「たまぐす」や「獅子頭供用水道栓」などがありますが、これを記述するとこれだけで1編になっちゃいますのでまたの機会にいたします。(大体、こう書いた時にはまたの機会なんて無いんですけどね。)
 2日目の日曜日に行って見ました。二階の企画展示室で行われているとのこと、こんな風のアプローチになっていました。案内を請うていましたので、石崎さんが現れ私達を案内してくれます。神妙に聞いているCaccoです。

 本日は大野先生と羽坂先生もいらっしゃっているとのこと、ご挨拶をさせていただきました。ここの展示に際して「じいちゃん」の使っていた治療器具は無いかと言う依頼が叔母にあり、倅と共に診療室に行き骨董品の器具を探し出し、大野先生のところにお持ちした経緯があります。うちの倅も幼い時に矯正歯科で大野先生のところに通っていました。う〜ん、でもぜんぜん覚えられていませんでした。(・・・でしょうね。)


石崎氏とCacco 2011年2月6日

羽坂先生(左)と大野先生(右) 2011年2月6日 

 石崎さんにお願いして館内の写真を取らせて頂くことにしました。体の不自由な叔母は開港資料館に来れませんので、せめて映像で見せることにしました。それに「トマソン隊」の資料にもなりますしね。(って、それが目的だったんじゃないのか、うさお!)
 「じいちゃん」の展示に行き着くまで、暫し展示物をご覧ください。両先生の力作です。


開港資料館配置図 企画展示室で展示されていた 開港資料館HPより

展示 榊原歯科医院の外観(明治44年)

展示 榊原歯科医院の治療室

展示 今村歯科医院の外観 (大正期)

展示 診察中の今村鷹次郎氏(大正期)

足踏み式の歯のドリルですね

イーストレーキのコーナーや日本古来の入れ歯の広告などが飾ってあります

口の中に収めるのに苦労しそうな柘植の入れ歯

高山紀斎(西洋歯学の草分け)の記述もあって大変興味深い

 上の治療用の機械は、動力は足踏み型のもので歯を削るバイトが回転する装置がついた治療椅子。機能的には今のものとほとんど変わりが無いようです。
 頭を支えるヘッドレスト、薬、治療器具を置く台、嗽水を吐き出す盆など全てのものが付いています。
今のものはそれらに油圧・電動、コンピュータ制御という改良が施されています。
 しかし実物が残っていたなんて、戦災のことを考えると良く残っていたものです。

 江戸時代からある柘植で出来た入れ歯、だが・・・口の中にこれだけのものがあると、大きすぎて違和感は確実にあるだろうね。美味しく頂けるのだろうか。昔から、金が入れ歯に使われるのは、無味無臭、腐食しない、多少の変形を許すって事らしいですが、見た目、プラチナのほうが品が良いね。性能的には、チタンも捨てがたいが、お歯黒みたいになっちゃうか。
 セラミック系のポーセリンという商品もあるということだが、強度的には強すぎる。骨ががたがたになっても入れ歯はびくともしない。

 エリオットと小幡英之助の紹介文献も飾ってありました。
 エリオットは日本に溶け込んだ歯科医師の一人です。患者に木戸孝允がいました。日本人の弟子も多く、小幡英之助もその一人です。当時の「醫術開業試験」の文献が残っていました。

 さて、「おじいちゃん」のコーナーです。
 あれっ、「u田 廣岱(こうたい)」じゃない、当用漢字だ。
「岱」はそのまま使っているようですけど、「じいちゃん」じゃないように思える。



 説明には、「益田広岱(1865−1932)
 益田広岱は、慶応元年、武蔵国幡羅郡明戸村(札埼玉県深谷市)の医師・益田優昌の長男に生まれた。
慶應義塾で学び、明治16(1883)年、19歳で渡米、翌年よりハーバード大学歯学部に入学した。明治23(1890)年に卒業し、米国の開業免状を取得し、明治26(1893)年に帰国 同年、内務省歯科医術帥業免状を得ている。横浜市境町で開業し、米国東洋艦隊臨時歯科医なども努めた。関東大震災で境町の自宅兼診療所を失い、神奈川区子安町に歯科医院を開設した。昭和7年1月68歳で死去。」

 幡羅郡(はたらぐん)、橘樹郡(たちばなぐん)など、昔の地名は読み難くていけません。幡羅は昔は原と書いたって、そっちのほうが読みいいじゃん。橘樹は川崎の地に弟橘媛(おとたちばなひめ)の御陵とされる富士見台古墳があるためと言われています。今の人は倭(やまと)建(たける)命(みこと)なんて誰も知ら無いよね。


祖父の治療室の写真 書簡 2011年2月6日

このように展示されておりました 2011年2月6日

祖父の展示物一覧 2011年2月6日

 大禮服の「じいちゃん」の説明には、「横浜真砂町の鈴木真一写真館で撮影された。益田広岱39歳当時の写真。明治36年、広岱は正七位の叙勲をされているが、その際に撮影されたものか・・・」の説明があります。宮中に参賀したときに、金杯と木杯を賜った叔母は言っていたが、時代の波に押されて、今は両方とも亡くなってしまったとか・・・。


大礼服の祖父 サインが入っている

 長男だった廣徳叔父さんは、一度は医師を目指しましたが血を見るのが駄目な人だったようで、今の横浜銀行に勤めてしまいます。
 代わりに銀行に就職したばかりの末妹が、途中から医師の勉強をして「じいちゃん」の跡を継ぎました。しかし、気の弱い廣徳叔父さんでしたが、性格的にはまめな人だったようで「じいちゃん」の足跡を残す努力をしています。今、この遺品があるのは、この叔父さんのおかげです。
 うさおの家系で書画、骨董、掛け軸などに興味を持っていたのは、この叔父さんだけでしたね。

 さて、次は診療室にあった秤と治療器具等・・・。
うちの倅がずいぶん長い間、叔母の家に住んでいました。叔母が病に倒れ介護付き老人ホームに入っている間も住んでいました。
その倅と診療室を探し、「じいちゃん」の遺品を見つけました。診療器具は何だか、600本くらい出てきます。え〜、どれがボストンで使っていた器具なんだか・・・、メーカーの刻印別に分類して見ました。
日本のものより細身だと言うのが手掛かりです。
そうすることでこの5本が探せました。(嘘です、よく判らないので150本くらい大野先生のところに持ってちゃいました。うさおに鑑定士は無理です。秤もレトロなものがあったので持ってっちゃいました。まあ、こんなもんでしょう・・・。)


治療器具と秤、分銅

 歯磨きの宣伝に、田河水泡や倉金とらお、杉浦茂らが漫画を描いていました。連作ものです。
 これらは大野先生たちが大変な努力で集められたものでしょう。


漫画を見るcacco 2011年2月6日

貴重な資料である 2011年2月6日

 「じいちゃん」は関内の日本大通境町に住んでいました。朝日新聞の社屋の斜めはすかいの一等地で日本大通りに面していたと言うので、この辺りでしょうか?木造二階建て洋館で相当広かったと言います。その当時の地図と住所表示を見てみましたが「じいちゃん」の名前は載っていません。
借地住いだったとも聞いていますので、残念ながら記述がありません。茂木惣兵衛(野澤屋創始者)さんなんかは、頻繁にこの地番に出てきますので、大家さんに借りていたのでしょう。


当時の境町の地図 開港資料館蔵
        
残念ながらじいさんの名前は出ていません 開港資料館蔵

茶色のビルと日本銀行横浜支社 2009年9月27日

 今は日本銀行横浜支社の辺りでしょうか。隣の茶色いビルは二筋目ですから、日本銀行の入口辺りがそうでしょう。なにしろ関東大震災で壊滅的になった地域ですので、元の建物で残ったものは無いようですから・・・。
日本銀行横浜支社は白亜のビルで低層2階建てです。中に金塊でも積んであるのでしょうか。
この辺りで通りに面していたと聞いています。


境町の角あたり 2009年9月27日

今の横浜スタジアム 2009年9月27日

大野先生と羽坂先生の展示記念講演 2011年3月13日


東日本大震災の直後の2011年3月13日

 大野先生と羽坂先生の展示記念講演に行ってきました。横浜開港資料館の企画展示の「歯が痛い、歯科医学の誕生と横浜」にあわせて、3月13日に横浜開港記念館講堂で行われたものです。
3月11日が東日本大震災で余震が連日の如く襲ってくる状態でしたし、計画停電などで電車の運行はどうなのよって感じでしたが、無事行われました。本来80名からの応募があったのですが、その三分の一くらいの出席者でした。日出彦さんと待ち合わせをして出かけました。
講演内容は以下の通り。
江戸・明治期の歯科事情/大野粛英(「歯の博物館」館長)
横浜居留地と西洋歯科医学/羽坂勇司(「歯の博物館」学術特別委員)
講演は面白く聞けました。ご自身の職業に絡んだ趣味の蒐集のお話で、おたくっぽく熱弁されておりました。
嬉しいことに、羽坂先生のご発表の中に「じいちゃん」の名前がさりげなく語られておりました。歴史には無縁の私達かと思っていたので、何となく嬉しい。
数日後、先生方の著書「目で見る日本と西洋の歯に関する歴史 その2」が送られてきました。何と14,700円の超美麗本、今回講演された内容が載っていました。え〜、残念ですが、「じいちゃん」は載っていませんでした。私たちが応募したことを知って先生方が講演内容に入れてくださったに違いありません。
この講演会の後、3月15日から3月18日まで地震のために横浜開港資料館は休館したんですって・・・。確かに余震は大きかったからなあ。


あっ、日出彦さんがやって来た 2011年3月13日

なんだか体型がよく似ている二人 2011年3月13日

司会は石崎さんです 2011年3月13日

二人並んで大学の授業のようだ 2011年3月13日

期待感でわくわくします 2011年3月13日

羽坂先生の講演が始まりました 2011年3月13日

祖父の名前が出ています 2011年3月13日

両先生にご挨拶 2011年3月13日

 初日に神奈川県庁旧館前を通ったら、時ならぬパトカーと夥しい人数が右往左往と・・・すわっ、事件だと駆けていくと、何か変です。
桜の花の模造品を持った人が、それをカメラの前にかざしています。
神奈川県庁ではなく、違う銘版が門に掛かっています。
「大阪県警」のパトカー?(パトカーのナンバーが「なにわ」です)
何かのTVドラマの撮影現場でした。知っている俳優さんはいないのかな?
大阪のドラマは横浜なんかでロケ撮影するんだな。


何か騒がしいなあ 2011年2月6日

あれここは横浜なのに 2011年2月6日

いつの間にか大阪府警察本部になっている 2011年2月6日

これはどう見ても神奈川県庁だな 2011年2月6日

季節はまだ冬なのにすっかり春です 2011年2月6日

おお、なにわナンバーだ 2011年2月6日

前のほうにいる一団が撮影クルーです 2011年2月6日