安樂園の興亡と中華街の廟  2009年8月14日、2004年2月5日、2005年4月9日、2011年6月19日、2017年1月15日



安樂園と關帝誕   2009年8月14日
 
 最近はご近所紹介隊に成り下がっているうさお、Cacco、ライ隊員の面々、恥ずかしくて顔も上げられない。最早、マークもウサギからイノシシに変わっちゃったし・・・。
 世の中がどんどん変革している時代、我々もバラク同様、「Change!We Can!」とせねばならないよね。
 と言うことで、今回は中華街探訪です。何故に中華街かと言うと、横浜に住んでいる限り年に数回は中華街に食事に行きますし、小さい頃に親父達に連れて行かれた記憶もあります。
 どこかで述べましたように、親父は戦前、と言うか、關東大震災までは、日本大通の境町に住んでいました。子供のころは、中華街は遊び場だったと思います。
 うさおが子供の頃は、中華街は小林旭や裕次郎の映画にあったように、表通りは華僑の華やかな商売・飲食街ですが、一歩裏通りに入ると、密輸品や阿片などがはびこっている町のイメージでした。だから、この町の中心部には藤村有弘のような中国人がいると思っていました。大間違いで、横浜の発展の歴史と中国人の文化が詰まった街なのです。
 中華街は東は海岸通りと南は元町・谷戸橋に繋がる道路、南西の高速道路に囲まれて、横浜スタジアムと加賀町警察署前の道路に囲まれた処に在ります。(赤破線で囲まれた処)


中華街の地図 赤線で囲まれた地域と爺さん達が住んでいた処

 折りしも開港資料館で「横浜中華街文化フェアー」を行っていたので、まずそれを見に行きました。中華街は横浜の開港と時を同じくし、150年の歴史があります。中華街より東側の海岸通りや山手の町には、外人さん達の居留区がありました。
 中華街を特徴付けるものに風水に寄って造られた入場門が10箇所も在ります。朱雀、玄武、朝陽、延平門が東西南北に当たります。そして、地図上の關帝廟⑥と媽祖廟⑧が中国人の信仰の核として存在します。


中華街の主要な入場門の一覧

中華街の入り口 市場通り 2004年2月5日

中華街の入り口 關帝廟道 2005年4月9日


 關帝廟の關帝とは、あの映画「レッドクリフ:赤壁の戦い」の主役の一人、武将の關羽が祭られているところです。
 さて、150年前の横浜の中華街には、「買弁」と呼ばれる中国人の交渉人が居ました。
 香港・広東・上海の西洋商館で働いていた中国人達で彼らは西洋の言葉が話せ、また日本人とは漢字で筆談が出来たため、生糸や茶の貿易で欧米人と日本人との仲介者としての役割を果たしました。


横浜中華街150年の本 横浜中華街文化フェアーで購入

 さて、維新の時代から中華街を支えてきた街の有力者が四家ほどありました。
 安楽家:中華街の真ん中辺りに「安楽園」と言うお店が在ります。古い佇まいで大変好みの店ですが、あまりお客さんはいないので穴場です。安楽家のご一家は羅さんです。
 うさおの知り合いにも鉄道総合技術研究所に羅さんと言う方が勤めていらっしゃいます。何か縁故があるのかもしれませんね。
 鮑家:「安楽園」からやや斜め方向に「聘珍楼」がありますが、關東大震災から張氏から引き継いで「聘珍楼」の経営者になりました。「聘珍楼」は飲茶が有名です。
 魏家:魏光焔氏は貿易商「同源泰」を創始しています。日本人の長島豊子と結婚し子を成し、日本に骨を埋めた人です。また、中華街の頭領として多くの功績を残しました。
 梁家:「萬珍楼」を経営しています。係累には横浜から上海に戻り、中国に野球を伝えた梁扶初が居ます。

 この四家の歴史が「横浜中華街文化フェアー」で語られておりました。で、その感激を胸に留めながら、早速本来の目的である中華街の昼飯を食べに行きました。カメラをぶら下げて歩いていると、見知らぬおじさんが「あなたもですか?もうそろそろですよね?關帝廟ってのは、どちらの方向にありますか?」って聞いてきます。はあっ?
 話が上手く噛み合わないので、恐る恐る「何です?」って聞いて見ましたところ、「手にしている一眼レフカメラを見て、今日の祭りを撮りに来たんだと思った」のだそうです。今日は年に一度の「關帝誕」だそうで、關帝廟から媽祖廟まで關帝のご本尊が練り歩くのだそうな。


關帝誕のパンフレットより   2009年8月14日

 そんなこと、知りませんがな。
 關帝廟の場所を教えてあげると、おじさんは喜んですっ飛んで行ってしまいました。
 私達は先ほど勉強したばかりの中華街の歴史から、今まで食べに行っていない「安楽園」に行くことにしました。店の前の通りは芋を洗うような人の波で、周りのお店は引きも切らないお客さんに天手古舞いしていました。
 が、あれっ「安楽園の」の前は客足も無く静寂が漂っています。
 しかし、昔ながらの中華街っぽい、何か時間が止まったかのような佇まいに、レトロっぽさを感じて大変気に入っちゃいました。これだよ、中華街ってのは。


創業間もない1924年頃の安樂園 横浜中華街150年より

安樂園 中華街 右側に聘珍楼が見える  2009年8月14日

安樂園の全景  2009年8月14日

安樂園 お店の前で  2009年8月14日

創業間もない1924年頃の安樂園 横浜中華街150年より


 ここでお昼を頂くことにいたしました。
 ガラッと引き戸を開けて中に入ると、あれっ意外にお店の中が暗い。通された部屋は玄関脇の部屋だが先客が一人。
 どうやら、私たちを入れた総勢3名が、昼過ぎのお客さんの全てらしい。一瞬、「均昌閣」か「聘珍楼」に行くべきだったかの思いがよぎりましたが、いやいやと思い直し、注文をして見ることに。
 どう見ても裏店に住む日本人のおばあちゃんのような従業員さんが、これも達者な日本語で下町のような雑っかけ無い応答をして呉れました。


安樂園 食事が運ばれる前で手持無沙汰  2009年8月14日

安樂園 この窓のステンドグラスが特徴的  2009年8月14日

安樂園 2階へ上がる階段  2009年8月14日

安樂園 何とも昭和だなあ この窓のデザインがお店のモチーフ 2009年8月14日


安樂園 奥の宴会場につながる扉  2009年8月14日

 昔からの由緒あるお店ということで高い値段を頭に思い浮かびましたが、まあまあ普通のお値段だったのでほっとしました。麺類以外に中華街定番の車海老のチリソースにと青椒肉絲を頼んでみました。
 出て来たものはとても盛りの良い料理が出てきました。「うちは盛りの良さが売りだからねえ。」中国人の風情がまるっきり無いおばさんが鼻を蠢かして自慢気でした。


安樂園 盛りがいいんだよね  2009年8月14日

安樂園 これらの調度も店の解体とともに消えました 2009年8月14日

 うさおもCaccoも満腹で満足でしたが、途端に聞こえるとても中華風な銅鑼と太鼓の音。
 おばさんに聞いてみると、この大通り、詰まりこのお店の前を關帝様が通るって訳ね!
 わ~い、やったって訳でお店の前に出てみると既に黒山の人だかり、とても写真なんて撮れやしない。
 少し図々しいと思ったが、二階で写真を撮らせて貰って良いですかと聴くと、快くどうぞとの返事。
 おおっ、通りが良く見えるぞ。(お尻がでかいな、うさお!)


關帝誕 何やら騒がしい店外 2009年8月14日

關帝誕   2009年8月14日

關帝誕 關羽の顔  2009年8月14日

 これが關羽だと言うが成吉思汗のようだね。
 關羽は、中国の後漢の人で劉備玄徳に仕えた武将です。字名は雲長。
 その武勇や義理を重んじる事から、後に關帝(關聖帝君・關帝聖君:三界伏魔大帝神威遠鎮天尊關聖帝君)と称せられています。
 うちの親達は、「關羽」と「鍾馗様」とは一緒だと言っていましたが、どうも違うと思うなあ。
 關羽は信義に厚く学識があり文武両道の人と言われています。この關羽が算盤を発明し、大福帳を作って大いに経済の改革を行ったことから商売の神様としても祀られてることを「關帝廟」の由来に書いてありました。
 知らんかったねえ。 


關帝誕 人が沢山集まってきた  2009年8月14日

關帝誕 何か変なものをもってきたぞ 2009年8月14日

 「はて、これは一体何だろう。・・・爆竹でした。」


關帝誕 濛々たる煙と火炎 警察からの通達かな  2009年8月14日

關帝誕 大きな幟  2009年8月14日

關帝誕 歓迎台湾台南大天后宮祝賀團  2009年8月14日

 色々な中華ぽいものが、祭りの行列に沢山出てきます。意味は良く判らないけど、台湾との友好関係を祝っているような幟でした。


夜の關帝廟

 夜の關帝廟はライトアップされていてこんなに綺麗です。


關帝誕 ライトアップされた關帝廟  2004年2月5日

關帝誕 關帝廟の門  2005年4月9日

關帝誕 關帝廟の階段に飾られる蝋燭の群  2004年2月5日

 關羽の外見は如何だったのかは良く知られていません。身の丈九尺、二尺の髭、紅顔で重さ八十二斤の青龍偃月刀を持ち、赤兎馬という駿馬に跨っているのは、「レッドクリフ」で見たとおりなのですが、映画ではうさおがイメージしていた面長な顔ではなく、やや丸顔なのが気に食わなかったぞ。
 中国の人達は關羽のことを大変好きなようで、毎日この廟にはお供え物やお線香、蝋燭が奉納されています。だから「孫権は關羽を討伐したので、民衆や各国の武将達からも嫌われ、後漢王室のためという大義名分は失われた」と關羽を討ち取った武将のことは悪し様に言われています。


關帝誕 關帝様  2004年2月5日

これが關帝廟に納められているときの關帝様。お線香などを供えている割に余り抹香臭くない關帝様、道教だからか?
って言うか、何だかキリスト像のようにも見えますね。


關帝誕 長いお線香を奉納  2004年2月5日

 で、またこの關帝誕の祭りに戻ると、なかなかご本尊は参りませんで、日本で言うところの獅子舞のような狛犬舞がやってきます。お店の前でひとしきり、アクロバット的な舞を披露します。
 すると底お店の主人が現れて狛犬にご祝儀を上げますと、更にお礼の舞をもう一指し。
 沿道のお客さんの中には、何を勘違いしたか、自分達もご祝儀をあげている人もいました。もちろん狛犬はますます元気に踊っちゃいます。


關帝誕 狛犬舞  2009年8月14日

關帝誕 お祝儀くれる?わんわん 2009年8月14日

 この舞に演奏をつけるのが、銅鑼、太鼓、笛隊です。若い子達ばっかりでこの子たちにはご祝儀は回ってきません。


關帝誕 お囃子隊 2009年8月14日

 その次にやってきたのは、これは何でしょう、唐子?布袋様?御大尽?
どうやらこの被り物の中に入っているのは女子らしく、しばらく練り歩くと疲れちゃうのか、次の女の子が代わって入ってました。
 先ほどの楽隊の子達とは、帯の色とズボンの柄が違うんだね。


關帝誕 唐子の被り物 2009年8月14日

關帝誕 この被り物は女の子が入っているよ  2009年8月14日

 と今までは可愛かったものが練り歩いてましたが、これは如何見ても「赤鬼」、「青鬼」ですよね。廻りいるお客さんたちの背丈の約二倍。意外に器用に体を振ると左右の手を前後しながら歩いているように見えます。で、この鬼達もご他聞に漏れずお店からご祝儀を貰っていました。


關帝誕 赤鬼?  2009年8月14日

關帝誕 赤鬼と青鬼  2009年8月14日

 お店の中に押し入ろうとしているのは、「媽祖廟」の神輿です。柄の長い輿でこれも数回ほど店の中に乱入しようとしますが、お店の方でご祝儀を与えると、さっさっと次の店に行っちゃいます。


關帝誕 練り歩く輿  2009年8月14日

關帝誕 お店の中に入っちゃうぞ 2009年8月14日

 ここで気付いた不思議なこと。彼らは通りの東側のお店にしか愛想を振りまきません。西側の店はご祝儀を出さないから廻らないのか、それとも媽祖廟まで行ってからこの通りを帰ってくるので、その時西側のお店に愛想を振りまくのだろうか?
 道教の思想で廟が祭られているなら、多少風水の影響も受けているのだろうか?


關帝誕 次のお店に移動だ 2009年8月14日

 兎も角、この通りには繁盛しているお店が目白押しなので、儲かること請け合いだ。

 定番の龍の舞ですが、これは黄龍(または金龍かもしれないが)黄色は金運の色。
やはり商売繁盛を祈るお祭りなのかもしれない。


關帝誕 金竜舞 2009年8月14日

關帝誕 何だか鰻のようだな 2009年8月14日

 この祭りを教えてくれたあのおじさんはこの雑踏のどこかにいるのだろうか。
多分前の方にいて一番良い場所を確保しているんだろうな。

 おっ、阪神タイガーズだって思っちゃいましたね。龍に対抗して虎。定番ですね。するってえと、さっきの赤鬼、青鬼は例えば「張飛」とか「趙雲」とかを表していたのかもね。
 しかもファンファーレですよ。やはり野球の応援のようだな。


關帝誕 竹馬に乗った虎  2009年8月14日

關帝誕 のっし、のっし、虎さん 2009年8月14日

 今度は「黒人」と「白人」のような人達。中国は国土が広いから、あらゆる人種がごった煮の様にいるけれど、なんだかもっと關帝に詳しい人がいると、これは何を表しているよとか、これは何を祭ってあるよとか教えてもらうのに、今回は何の予備知識もなく来ちゃったからね。


關帝誕 白人と黒人? 2009年8月14日

關帝誕 黒人さん? 2009年8月14日

關帝誕 白人さん? 2009年8月14日

 でも、幸運でしたけどね。この神輿の中がいよいよご本尊の神君關帝です。神様ですよ、神様。
これも結構なお供を連れて練り歩きます。先ほどの籠に入れられた爆竹は最近のお上のご指導なんだろうと思い、味気ないことをするなあと思っておりましたが、最近の韓国の炭塵爆発やロシアのお店でのクラッカー火災などを見るとこれも致し方ないと思う次第です。


關帝誕 関帝様の神輿 2009年8月14日

關帝誕 関帝様の神輿 2009年8月14日

關帝誕 關帝様の神輿 2009年8月14日

これが神輿で担がれていた關帝様です。先ほどの記述のように赫ら顔で美髯を蓄えガタイも大きそうです。でも、顔は瓜実顔ではありませんね。アンディ・ラウや金城武では無い様です。
目の前にある大きな鈴のようなものは何でしょうか。金色に輝いています。しかし下のほうに着陸用の足が出る穴が付いています。


關帝誕 關帝様 2009年8月14日

關帝誕 神輿の扁額 2009年8月14日

 で、お約束の美人のスタッフさんを真上から隠し撮り。
人間、目の前の人の波に気をとられて上なんか気付きゃしないんですよね。ちょいと硬質な感じはしますが、中国美人さんです。日本人や、韓国人とは一味違いますね。


關帝誕 美人さん ピンボケじゃん! 2009年8月14日

 判りました。關帝が異常に強かったのは、このUFOを持っていたからなんでしょう。これがUFOであるという学説は何処にも見当たりませんので、うさおの大発見と言うことになります。
 ご覧のようにアダムスキー型の空飛ぶ円盤を小脇に抱えて、敵陣に踊りこみワイヤーアクションよろしく、右に左に飛び回り敵をなぎ倒すことが出来ました。


關帝誕   2009年8月14日

赤壁の戦いの時には、きっと諸葛亮孔明にこれを貸し与えて、吹く風を敵陣のほうに変えたのでしょう。いやあ、今世紀最大の発見だなあ。
 關帝が通り過ぎてもなお、異常な数の見物客で賑わう中華街でした。


關帝誕 賑わう中華街  2009年8月14日

關帝誕 祭りの後でもこの賑わい 2009年8月14日

 安樂園は2011年5月30日に閉店しました。2013年3月18日には、 横浜博覧館が跡地に建ちました。
少し、今は亡き安樂園をご紹介します。


安樂園 壁に掛けられている掛け軸 2009年8月14日

安樂園 二階から下を見る 2009年8月14日

安樂園 二階の個室 2009年8月14日

安樂園 待合室の水盤と海鼠塀的柱 2009年8月14日

安樂安樂園 二階の外壁 2009年8月14日

安樂園 非常階段にロープが掛かっている 2009年8月14日

安樂園 一階の出窓 2009年8月14日

安樂園 お店の名刺 2009年8月14日


○閉店された安樂園

安樂園 シャッターが閉じている せっかく食事に来たのに 2011年6月19日


安樂園 何で寂れちゃうんだろう 2011年6月19日

安樂園 期待していたのにがっかりだよ 2011年6月19日


○安樂園、転じて横浜博覧館  2017年1月15日
 さて、横浜博覧館には安樂園の名残が少し残っています。でも、これが意味するところを知る人は少ないと思います。よほどの中華街通かお歳を召した方ですね。


横浜博覧館 こんなお店に代わりました 2017年1月15日

横浜博覧館 お店の入り口には御影石のパンダ像があります 2017年1月15日

横浜博覧館 触っているのはうさお 2017年1月15日

横浜博覧館 これが遺構 安樂園の窓枠です 2017年1月15日

横浜博覧館 新しいものですが、オマージュのデザイン 2017年1月15日

横浜博覧館 これもオマージュのもの 2017年1月15日


安樂園のその後と媽祖廟