安樂園の興亡と中華街の廟 その2 2009年11月23日、2011年4月23日、6月19日、2014年8月24日、2017年1月15日


〇華僑の外人墓地  2009年11月23日

 
皆さんは、横浜に外人墓地が三箇所あるのをご存知でしょうか?
一つ目は山手にある有名な外人墓地です。二つ目は保土ヶ谷の山の上にあるフランス軍とイギリス軍の軍人用の外人墓地です。保土ヶ谷子供公園の奥手の方にあります。ここは余り人に知られていません。
 三つ目は更に人に知られておりませんが、華僑の方の外人墓地です。場所としては山手から根岸の米軍施設(Negishi Avenue:米軍軍属の居留区)の裏側になります。


華僑の外人墓地 地蔵王廟と扁額にあります 2009年11月23日

華僑の外人墓地 この坂を登って 2009年11月23日

華僑の外人墓地 石碑があります 2009年11月23日

華僑の外人墓地 ここが地蔵王廟ですね 2009年11月23日

華僑の外人墓地 地蔵王廟 2009年11月23日

華僑の外人墓地 楽土は何?極楽浄土? 2009年11月23日

華僑の外人墓地 お地蔵様かな 2009年11月23日

華僑の外人墓地 何かとっても立派な納骨堂 2009年11月23日

 Caccoも知らなかったようです。大変感激をしておりました。凄く良いところジャンとついつい、横浜弁が出てしまいます。
うさおは大学時代にこの墓地だけが、土葬を許可されていると聞き、恐る恐る見に行ったことがあります。もちろん、稲川淳二のようにビビリまくりです。
「やばい、やばいよ!来ている。来てるよ!感じるもの!あ~~~!」ってなもんでした。
 友人と数人で出かけましたが、土饅頭は踏まないように気をつけてました。
 下にはお棺が埋まっており、最悪の場合、踏み抜いてお骨の中に足を突っ込んでしまう恐れがありました。それこそゾンビ映画さながらの阿鼻叫喚の図が容易に想像できましたから・・・。


華僑の外人墓地 こちらも大変立派! 2009年11月23日

華僑の外人墓地 お線香を立てる処が中華風 2009年11月23日

華僑の外人墓地 土葬は無くなったようなので、また来ましょう 2009年11月23日

 今行くと、趣のある良い所でした。カメラを持って物珍しげに散策している私達をお参りに来ていた中国の方たちが不審そうに見ておりました。


〇安樂園でお食事   2011年4月23日

 
横浜開港資料館の特集展示「歯が痛い!」で、おじいさん(益田廣岱)も一角のコーナーをもらって展示されていました。それをせがれ達と見に行った後に、中華街の安樂園に寄り、食事をして帰ることにしました。

 盛り沢山のご馳走とレトロな店内に大満足でした。


安樂園でお食事 皆、歯が痛いのポーズ  2011年4月23日

安樂園でお食事 むしゃむしゃ 2011年4月23日

安樂園でお食事 この一か月後にお店は閉じられました 2011年4月23日

安樂園でお食事 あの窓の前でポーズ 2011年4月23日


〇媽祖廟  2011年6月19日、2014年8月24日、2017年1月15日 

 
媽祖廟ってどんなところだか、ご飯のついでに見に行きました。


媽祖廟から安樂園へ 天后宮の扁額が掛かっています 2011年6月19日 

媽祖廟から安樂園へ 中央はお線香立て 2011年6月19日 

媽祖廟から安樂園へ 媽祖廟の扁額 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ 媽祖廟の名刺 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ 狛犬さん 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ 大きな香炉か 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ お正月だから入ってみます 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ お香の煙でご本尊様は定かに見えません 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ 奇特な方が御喜捨をされていました 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ 五重塔のミニチュアかな 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ もう一度正面から 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ 媽祖廟の裏手に回ってみます 2014年8月24日 

媽祖廟から安樂園へ そこは中華街の山下町公園です 2014年8月24日 

媽祖廟から安樂園へ 公園の入り口の狛犬 2017年1月15日 

媽祖廟から安樂園へ 公園らしからぬ廟のようなモニュメント 2017年1月15日 

 媽祖は宋代に実在した官吏の娘だそうで、あまりに人としゃべらないので黙娘と呼ばれたとか。
 黙娘は建隆元年(960年)、福建省興化府の官吏林愿の7女として生まれました。幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤く、16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められました。
 しかし28歳の時に父が海難に遭い行方知れずとなりました。これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ神となったという伝承が伝わっています。
 福建省にある媽祖島(馬祖島、現在の南竿島とされる)は、黙娘の遺体が打ち上げられたという伝承があり、島の名前の由来になっています。
 媽祖信仰の盛んな浙江省の舟山群島(舟山市)には普陀山・洛迦山があり、渡海祈願の神としての観音菩薩との習合現象も見られるそうです。
 不老不死の項で述べた、天竺南方の普陀落山信仰がここでも現れてきます。
 媽祖は千里眼と順風耳の二神を脇に付き従えています。この二神はもともと悪神でしたが、媽祖によって調伏され改心して、以降、媽祖の随神となりました。(ウィキペディア、各地の信仰より)


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