第三お台場  2008年11月2日

 今回は第三お台場跡の報告であります。(前谷惟光のロボット三等兵のようだね!)軍隊には三等兵なる階級は存在しないよ。二等兵までです。


第三お台場 ロボット三等兵 2008年11月2日

 二等兵で思い出すのは、伴淳三郎、花菱アチャコの映画「二等兵物語」だね。ドタバタ喜劇の中にペーソスと戦争批判が入った映画のように記憶しています。
 どこかの南方の戦線でしょうね。初老を迎えた新二等兵達は舞台の足手纏いになり、鬼のような軍曹に散々いびられるのだが、この軍曹が最後は兵隊たちを船に乗せ、玉音放送を聞きながら自分は海岸で割腹自殺をするのだ。確か、南道郎と言う役者さんでした。

 小学生の時にはこの「二等兵物語」の歌を皆で唄っていました。
 
 
月が出たのに休めはまだか 若い班長が恨めしや
 何処で焼くのか 秋刀魚の臭い 風が吹くたび 腹が鳴る
 「ああ辛れえなあ 二等兵は辛れえや・・・」(モノローグ)

 戦争は決して良いものではありませんが、ひとつの見方をすれば国民全体が「国体の護持」のために私欲を忘れ国益のために邁進する姿は、心情的な右翼であるうさおは「うん、うん」と同感しちゃいます。
 ですが、人からああしろ、こうしろと言われるのが嫌いなうさおは、全体主義の中では浮き上がってしまい、非国民として直ぐ処刑されちゃうかもなぁ・・・。
 


第三お台場 ●御殿山下台場 2008年11月2日

第三お台場 ●御殿山下台場 航空写真 2008年11月2日

第三お台場 ●御殿山下台場 2008年11月2日

 地図は大正8年頃のもの。国土地理院のサイトだったかなあ?ちょいと拝借しました。「御殿山台場」と「第四台場跡」は、うさおが勝手に書き入れたものです。御殿山台場は、今は「品川区立台場小学校」(50品川宿参照)出し、第四台場は天王洲アイルの駅近くです。第一台場、第五台場は、品川ふ頭の中に埋没しています。
 そして私達がふらっと出かけたのは第三台場です。

 毎度の解説ですが、この砲台群は観音崎、猿島、第一~第三海堡、富津砲台と繋げた「帝都防衛ライン」の江戸の町側に配置されたもので、江川太郎左衛門が幕府に進言して出来たと聞いています。黒船の攻撃から江戸の町を守ろうとしました。
 当初の構想としては十一ヵ所、築造する予定でした。
 第一から第三台場は嘉永六年八月に着工し、翌年安政元年四月に竣工しています。


 神奈川台場と同様に、海中に石を落としこみ、堤防を作ってから土砂を均すようにして作られましたが、あの当時、工事運搬船も無く石や土砂を正確な位置に落とす工事が、よくできたものです。

 第五、第六台場は安政元年一月に着工し同年十一月に完成です。しかし、第四、第七台場は着工したものの財政難や日米和親条約の締結もあり、工事が中断しました。第四台場は、文久三年五月に工事が再開され翌年に完成しています。
 第八台場以降は鎖国政策の転換によって作られませんでした。
 また、完成した台場は、あの帝都防衛ラインの海堡、砲台同様に、一度も使われることなく放棄されました。軍事基地として使われたのは、明治から昭和にかけての軍国時代です。
 猿島や観音崎を観光のために整備する工事のときに、大量の不発弾が出たそうなので、この台場にもまだ不発弾が埋まっているかもしれません。


江川太郎左衛門

 江川太郎左衛門のおかげで、海堡や台場が数多く作られましたし、韮山には日本初の反射炉(製鉄炉)が出来ましたが(江川太郎左衛門は完成を見ることなく他界)、太郎左衛門の先進的国防意識は報われること無く、無用の長物、すなわちトマソンになったのです。

 その後、第三、第六台場は大正四年に東京市が払い下げを受け、第三台場が歴史公園として都民に公開されています。


第三お台場 並木道の先に第三台場 2008年11月2日

第三お台場 所謂、お台場ウォーターフロント 2008年11月2日

 品川台場は、日本最初の大規模な海上構造物で、西洋の軍事技術と日本の石積技術がコラボしたもので、貴重な土木遺産です。石垣から30間(約54m)以内の水域も文化財の指定地域に含まれています。
 第三台場の付近は湾内の防波堤事業の時に、人工海岸から陸続きで歩いていける様になりました。「鳥の島」も防波堤の名残です。


第三お台場 この台場道が渋い 2008年11月2日

第三お台場 韮崎町から贈られた記念碑 2008年11月2日

 「鳥の島」、すなわち貯木場の防波堤は、今ではすっかり緑に覆われた海鳥の巣窟になっています。
 ここはめったに上陸が許されず、昨年に一度、ここに流れ着いた多量の生活ゴミを清掃するために、国土交通省関東地方整備局東京港湾事務所がボランティアに呼びかけて希望者を上陸させました。知らんかった。2007年8月23日のこと、うさおにも教えろっ。


第三お台場 無人島、鳥の島 2008年11月2日

第三お台場 第三台場が公園として生まれ変わった碑 2008年11月2日

第三お台場 その碑文 2008年11月2日

 ここも上陸が許されていない、第六台場。自然のままにおかれています。海鳥の営巣木は多く存在するでしょうが、哺乳類は如何でしょう。ねずみ、リスの類はいるだろうね。大型の狐や狸は餌がないので、いたとしても絶滅しているでしょう。
 でも、大型の哺乳類として人間がいるかもしれない。魚なんか獲っちゃってさ・・・。


第三お台場 第六台場が見えます 2008年11月2日

彼方にはフジテレビの特徴的な建物が見て取れます。


第三お台場 フジテレビ 2008年11月2日

第三お台場 流石のウォーターフロント、都会だな 2008年11月2日

 反対側はレインボー・ブリッジでこの海の水は意外に澄んでいて、石積が結構良く見えます。


第三お台場 レインボー・ブリッジ 2008年11月2日

第三お台場 台場の石積み、海水が澄んでいる 2008年11月2日

 このレインボー・ブリッジ側に船着場があります。下の写真のようなものが突き出ているのがそうです。船着場からの撮影は、現在では出来ないのでインターネットから拝借しました。
 要塞として機能していた時には、この船着場以外には島に出入りできなかったのだ。食物や弾薬、医療、医薬品など多くの物品がここから運び込まれたのでしょう。


第三お台場 船着き場 2008年11月2日

 船着場に繋がる掘割だ。潮が満ちると冠水するときもあるだろうなあ。時化の時には絶海の孤島だあぁ・・・。


第三お台場 ここから荷揚げをした 2008年11月2日

第三お台場 自由に入れた頃の写真 出典不明 2008年11月2日

第三お台場 周囲との位置関係 googleより 2008年11月2日

第三お台場 浅川道夫氏講演資料 2008年11月2日

 説明が重複しますが、この公園の案内板には、こう記してあります。

 「お台場」の名で知られる品川台場は、江戸幕府が黒船来襲にそなえて品川沖に築いた砲台跡です。設計者は伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍で、ペリーが浦賀に来航した翌月の嘉永六年(1853)八月に着工、一年三ヶ月の間に六基が完成しました。
 現在は大正十五年(1926)に国の史跡に指定された第三、第六台場だけが残されています。
 このうち第三台場は、昭和三年東京市(都)によって整備され、台場公園として解放されています。周囲には、海面から五~七メートルの石垣積みの土手が築かれ、黒松が植えられています。また内側の平坦なくぼ地には、陣屋、弾薬庫跡などがあります。



第三お台場 この石積が土木遺産的に凄い 2008年11月2日

第三お台場 まっまぶしい 2008年11月2日

第三お台場 砲台堤 2008年11月2日

 番士休息所は、持留堤や一文字堤によって、火薬庫や玉薬置場の爆発を逃れる工夫をしているようです。先ほどの平面図を参照してください。


第三お台場 番士休息所跡 2008年11月2日

第三お台場 番士休息所跡土台 2008年11月2日

 『品川台場跡案内板』四周を取り巻く築堤の内側は、意外に低く、海抜0m?って思っちゃうくらい深い擂鉢状でへこんでいます。
 実はこの台場の中にも、井戸や池があるのですが、まさか塩水?ってことは無いと思ってます・・・。人工島にある井戸や水道(実は水道の跡もあります)って、何か不思議な気がします。すごくリリッシュじゃないですか?
 さて、この斜面を降りていくと、そこには弾薬庫が二つあります。石積みとコンクリートの構造物ですが、公園入口近くに玉薬置所(弾薬庫)の跡があります。


第三お台場 火薬庫跡 2008年11月2日

第三お台場 玉薬置場跡 2008年11月2日

第三お台場 火薬庫跡 2008年11月2日

第三お台場 持留堤かな 2008年11月2日

第三お台場 玉薬置場の前に築堤 2008年11月2日

 この弾薬庫は何時の時代のものでしょう。どう考えても江戸時代とは考えられません。明治か大正か?台場内には弾薬庫は5箇所にあります。
 そんなに深いものではなく、中は六畳一間程度の広さです。この土地が自分の家の敷地なら、ここに住んでみたいけど、大雨の時や台風、大潮の時には不安感一杯だろうね、それに、夜の海って言うのも、真っ暗でうさおの得意とするところじゃないよ。


第三お台場  2008年11月2日

第三お台場  2008年11月2日

 季節の無い町に生まれたうさおはいつもyuko宗匠に、「季節感が無いねえ」って怒られていますが、こういう時の時代感は持っています。
 あっ・・・そういうのって感覚が古いって言うんですか?
 シュールに見える変な竈があります。大谷石製の塔がにょきっと建っている。これは江戸時代ではなく、大正か昭和初期らしい。キャンプでもしたのかな。築塁当時のここは火薬庫として使われていました。


第三お台場 持留堤の陰に変なものが 2008年11月2日

第三お台場 ロケットランチャーか? 2008年11月2日

第三お台場 昭和の時代の多数の竈跡と煙突(中央) 2008年11月2日

第三お台場 丸や四角の竈の穴が開いている 2008年11月2日

 やはり住めないね。一人じゃ・・・草に埋もれては寝たのです・・・処かまわず寝たのです・・・って言うのは、里山が似合うようで(でも山は山で獣が恐いんだよね。野中の一軒家は稲川淳二が怖い話をしそうで嫌なんだよね)・・・海は・・・恐いなあ。


第三お台場 火薬庫のようです 2008年11月2日

 右手の森の中になんと池があるんだよ。


第三お台場 池?海水かなあ? 2008年11月2日

 ここはいきなり別天地のような風景だ。池には緑色をした水が満々と満ちている。この水は海水かな?中に魚が住んでいるのか・・・?


第三お台場 鯉でも泳いでいそうだけど 2008年11月2日

 堤の底の広場に並んでいる石は番士休息所(陣屋)跡の礎石だ。土手の正面に弾薬庫跡があるぞ。


第三お台場 池の脇に土台が 2008年11月2日

第三お台場 番士休息所(陣屋)跡に続いている 2008年11月2日

 島の北に位置するところ、ちょうど陣屋の裏庭に当たるところに、水道の跡と思しきものがあります。もしかするとキャンプ場として開放されていたのかも・・・。正体が判らない変な跡です。
 この一角を詳細に見ると、共同水道と台所(?)と風呂場(?)らしきものがあります。
 帝国陸軍のものか、はたまた公園での学童野外学習に使われていたのかもしれないなあ。トイレはどうしていたんだろう。一緒の場所だと地下水に混じるようで、井戸からの汲み上げ水を飲むのは嫌だな。


第三お台場 水飲み場跡 2008年11月2日

第三お台場 トイレ?台所?右の洞窟は? 2008年11月2日

第三お台場 その洞窟は煉瓦で出来ていた 2008年11月2日

 コンクリートと、煉瓦とブロックで出来ている、何かの建物跡のように思える。日清、日露の戦争の時か、大東亜戦争の時のものだといいなあ。でも、そんなに古くは無いと鑑定しました。


第三お台場 何かの宿舎跡、風呂場跡?近年のものだね 2008年11月2日

 当時の大砲は火薬を詰めてから、砲丸を入れ点火し発射するもの。興味のある人は「隠し剣鬼の爪」をご覧になってください。現代でも砲の撃ち方の基本的な動作は変わりません。
 味気ない写真は、当時の砲台をイメージしたコンクリートのレプリカ。大砲は折れて亡くなっているし、ペーパークラフトのようなチープさでがっかりです。


第三お台場 大砲が据えられていた 2008年11月2日

第三お台場 レプリカにしてもチープ 2008年11月2日

 この大砲は品川海徳寺にあるもので、台場にあったものだととか、このようなものを是非飾って欲しいなあ。


第三お台場 品川海徳寺 2008年11月2日

第三お台場 海徳寺の砲門 2008年11月2日

第三お台場 大砲跡 2008年11月2日

 この記念碑には「昭和2年8月建設 東京市」と味気ないことが書いてあるよ。


第三お台場 記念碑 2008年11月2日

第三お台場 台場全景 2008年11月2日

 またここ、台場小学校は御殿山台場の跡地に建てられた小学校。この学校の周りを巡ると、御殿山台場の敷地の形の通りになっているので、台場の規模が判ります。


第三お台場 台場小学校 2008年11月2日