猿島を歩く    2008年10月5日 1999年11月26日



 横須賀・汐入・どぶ板通りは、CaccoやTICAさんの従弟である「今、草刈正雄?」って言われているハンサムさんが昔住んでいました。横濱って言う街も異国情緒の溢れる街だけれども、横須賀は米国色の強い街のイメージです。もちろん維新のときから色々な国の軍艦が横須賀に訪れたのでしょうが、大東亜戦争以後の日本軍と米軍の軍事基地のイメージが強いです。今でも米軍基地にカメラを向けると憲兵隊(MP)に誰何されて住所、氏名、年齢などを聞かれ写真まで撮られちゃうみたいです。恐いですね。アルカイダの所為らしいですよ。
 今回は汐入から横須賀軍港巡りと次回「どぶ板通り」のご紹介です。



猿島を歩く  軍港クルーズ出発地  2008年10月5日 googlemapより

 戦争遺跡とアドマッチック天国ですね。特別にドクガクの歩みのように9年前のグリコ隊員とCacco隊員の猿島巡りも対比しながらお見せしましょう。
 軍港めぐりは、汐入駅からショッパーズプラザ横須賀を目指すと、横須賀軍港が見えてきます。国道16号線を渡ると、以前ご紹介したヴェルニー公園が左手に見えてきます。
 次回ご報告予定のどぶ板通りは、16号線を横須賀中央駅方面に向かい、裏町を辿るとそこが「どぶ板通り」です。

海軍カレーのお話は次回にと言うことで。

 汐入の駅を下りるといかにも横須賀という街並み、(どんな街並みなんだか)もう、こんなに人だかりが出来ています。
 チケットの代わりに缶バッチが配られました。海に面したレストランエリアに今回の軍港巡りのクルーザーが泊まっています。


猿島を歩く 軍港クルーズ順路  2008年10月5日 当日のパンフレットより

 私たちの乗る船は、「シーフレンドⅠ号」でした。ここで1999年に猿島探訪の際に利用した船を見てみますと、「シーフレンドⅡ号」となっていますので、同じ会社(トライアングル)の船に乗ったんですね。
 当時は季節はずれだったようで二人以外はがらがらだったようです。


猿島を歩く  汐入の駅に降り立ちました  2008年10月5日

猿島を歩く  おっ、ここだ、ここだ  2008年10月5日

猿島を歩く  もうこんなに集まっている  2008年10月5日 1999年11月26日

猿島を歩く  受付をします 切符は缶バッチ  2008年10月5日 

猿島を歩く  船は「シーフレンド1号」  2008年10月5日

猿島を歩く  この時は「シーフレンド2号」(後ろの救命ボート?) 1999年11月26日

猿島を歩く  クルーザーの中には灯台のミニチュアが・・・  2008年10月5日

 出航して直ぐに見えてくるのは、日本の潜水艦2隻。レッドオクトーバーを追えで見ていた潜水艦と違い可愛い。黄色く塗って「イエローサブマリン」にしちゃいましょう。


猿島を歩く  潜水艦 後はカーティス・ウィルバー米ミサイル駆逐艦 2008年10月5日 

猿島を歩く  潜水艦全景  2008年10月5日 


猿島を歩く 船内の様子 クルーズ開始です 2008年10月5日

 この船は南極観測船の「しらせ」だ。れっきとした海上自衛隊の船だ。砕氷船の機能を持ち、乗組員は海上自衛隊員だ。だから船には自衛用の機関銃が備え付けられているよ。


猿島を歩く 南極観測船「しらせ」です  2008年10月5日

 海洋観測船「ふたみ」と「わかさ」。
 海底の地形や床質や潮流・海流、地磁気、水質(水温・塩分など)を調べるようだ。
 でも不思議なことにこの艦の行動は秘密で、艦内の見学も許可されていない。観測船じゃないね、スパイ船だ。


猿島を歩く  海洋観測船「ふたみ」と「わかさ」 2008年10月5日

 多分、吾妻島・・・黄色いトンネルは弾薬庫の入口か?


猿島を歩く 吾妻島? 2008年10月5日

猿島を歩く 興味をそそるトンネルです 2008年10月5日

 この当たりは自衛隊と米軍の施設が入り混じっているところ。迷い込むと大変だぞ!即刻逮捕だ。

 ちょいと雰囲気のある遺物。昔は何がここにあったんだろう。
 誘導灯?ミニ灯台?表示板?


猿島を歩く 雰囲気のある遺物 2008年10月5日

 体中に縞が書かれているのは、元護衛艦の「たちかぜ」で、射撃訓練用の的になる運命だそうです。定年退職してからも一働きってところで身につまされます。


猿島を歩く 元護衛艦「たちかぜ」 2008年10月5日

猿島を歩く 掃海艇 つのしま、のとじま、すがしま 海洋観測船すま 2008年10月5日

猿島を歩く 護衛艦さわかぜ 2008年10月5日

猿島を歩く 掃海艇はちじょう、やえやま 2008年10月5日

猿島を歩く 海洋観測船にちなん 2008年10月5日

 イージス艦もあったのだけれど、全部で20~30隻見せられても覚えられない。それはまた暇な時にゆっくりと・・・。
 いよいよ猿島に到着です。見た目はそんなに変らないのに、訪れている人がいない。島に入ると直ぐにレストハウスがあり、奥に発電機棟があります。


猿島を歩く 島の地図 東京湾海堡ファンクラブより 2008年10月5日

猿島を歩く 高角砲跡遺構配置図 東京湾海堡ファンクラブより 2008年10月5日

猿島を歩く 上陸です 2008年10月5日

猿島を歩く  浜辺もありますね 2008年10月5日

猿島を歩く 桟橋が錆びている 2008年10月5日

猿島を歩く 当時は降りる人もいません 1999年11月26日

猿島を歩く 旗を持っている方がガイドさん 2008年10月5日

猿島を歩く 当時は浜を独り占め 1999年11月26日

 階段の真ん中に木があるのがご愛嬌。


猿島を歩く 島の入り口 2008年10月5日

猿島を歩く じゃあ、集まってくださいね 2008年10月5日

猿島を歩く 階段にある木のオブジェ 2008年10月5日

 電気燈機関室は今も昔も変わらないようです。手入れは善くされているようだね。


猿島を歩く 電気燈機関室の周りにフェンスが出来た 2008年10月5日

猿島を歩く 煙突が渋い 2008年10月5日

猿島を歩く 当時もあまり変わらないね 1999年11月26日

 吃驚するほど変わったのが、この歩道に敷き詰められたウッドデッキ。
 雨の日でも歩きやすくなったんでしょうけど、ちょいと情感ってもんが・・・、戦争遺跡というよりは遊歩道だなあ・・・。


猿島を歩く ここを登っていきます 2008年10月5日

猿島を歩く 周囲の岩肌は米軍の爆破の跡が残ります 2008年10月5日

猿島を歩く おお、ウッドデッキが敷いてある 2008年10月5日

猿島を歩く 当時の方が爆破跡が鮮明に残っている 2008年10月5日

 坂道を上りきった処に、壁に土管が・・・伝声管だったようです。


猿島を歩く 伝声管の土管ですね 2008年10月5日

 その足元には空気抜きだったか、井戸の跡が・・・ 危険だから網で塞がれて居ますが、この下にもトンネルがあるのかも。


猿島を歩く 空気抜きでしょうけど雨が吹き込むなあ 2008年10月5日

ここは兵舎の跡です。土の中なので住み心地は決して良いものでは無いでしょうが、少し憧れます。


猿島を歩く 兵舎の跡 2008年10月5日

猿島を歩く 天井の無い場所 貯水所かな 2008年10月5日

猿島を歩く 生息掩蔽部 2008年10月5日

 猿島の要塞はこんな風なレイアウトです。北東部は岩場で、南西部は砂浜です。砂浜でバーベキューをしているのをよく見ます。対岸からですが・・・。

猿島を歩く  2008年10月5日

猿島を歩く 要塞地図   2008年10月5日 1999年11月26日

 誰もいない海・・・お気楽なグリコ隊長・・・。猿島の海岸を一人占めの1999年でした。
 意外と海は今もそんなに汚れていないようです。上の地図で言うと桟橋につながる浜辺です。猿島はここ以外には砂浜が無いようですが・・・。人工の浜だって聞いたことがあるけど。


猿島を歩く グリコ隊長・・・ 1999年11月26日

 書き忘れましたが、島に上陸すると説明役のおじさんが数名いて、少人数のパーティーに分かれて引率します。
 地図には表されていないが、説明役のおじさんによると、ここは台所とも便所とも判らないが、そのような物だとのことでした。


猿島を歩く 生息掩蔽部の内部 厠か厨 2008年10月5日

 頭上には意味不明な穴が・・・。


猿島を歩く 横穴 2008年10月5日

猿島を歩く 当時の横穴 1999年11月26日

 黄色の板で塞がれたところは弾薬庫。不発弾があるといけないので、立ち入り禁止なのかな。


猿島を歩く 弾薬庫と言われている 2008年10月5日

 島の中央に穿たれたトンネル、中に司令部や兵舎がある要塞の要だ。
 周りの壁に幾つもの弾かれた跡があるのは、終戦直後上陸した米軍が日本軍の反撃を恐れて機銃を乱射した痕跡だ。


猿島を歩く 掩蔽地下壕のトンネル 2008年10月5日

 トンネルの中の多分、司令部の跡。
 内は以外に湿度が無く思った以上に快適だった。しかし、壁には漏水跡があり出水期(6月~8月)にかけては如何だろうか?真夏でも土中は16度なので避暑地としては最適なのかも・・・。


猿島を歩く トンネルの中を進みます 2008年10月5日

猿島を歩く 弾薬庫です 2015年3月28日には中に入りました 2008年10月5日

猿島を歩く 地下施設説明版 2008年10月5日

 トンネルを抜けたところにある弾薬庫兼島の反対側に抜ける通路はまるで変化を見せていませんでした。


猿島を歩く 交通路兼弾薬送輸室 2008年10月5日

猿島を歩く 同じ場所 1999年11月26日

猿島を歩く 交通路の反対側は堰き止められていた 2008年10月5日

 弾薬庫兼通路と言ったのは、こんな風に作られていたから・・・。 グリコ隊長の好きなスガシー(スガシカオ)の PV(Promotion video)はここで撮影された。


猿島を歩く こんな感じの通路です 2008年10月5日

猿島を歩く 左側の扉が揚弾井 2008年10月5日

猿島を歩く 揚弾井を覗いてみた 1999年11月26日

猿島を歩く 揚弾井に繋がっている地下壕 1999年11月26日

 この広場にいた怪しげな「アキバ系」の少女達。ミニテントを持ち込みここで着替えをしているらしい。仮面ライダー系TVの撮影?それとコミケ風コスプレ?


猿島を歩く 何やら怪しげな少女たち 2008年10月5日

猿島を歩く パンクロックじゃなくコスプレだよね 2008年10月5日

 高射砲跡地、この島には数基の高射砲があったそうな。しかし、B29(爆撃機)の高度のほうが高く、ほとんど役に立たなかったそうな。
 高射砲をご存じない方のために、40口径89式12.7cm高角砲をお示しします。
 高射砲じゃないじゃんって?
 帝国陸軍は高射砲、帝国海軍は高角砲って言っていました。


猿島を歩く 高射砲台座跡 2008年10月5日

猿島を歩く もう一つの高射砲台座跡 2008年10月5日

猿島を歩く 45口径10年式12cm高角砲 2008年10月5日

 帰りの道すがら、レフ版を持ち込んでモデル撮影をしている一行に遭遇。
 有名な女優さんかと思って見たけれども、見たことも無い人だった。
 でもなんか自慢そうな顔をしていた。


猿島を歩く 撮影している 2008年10月5日

猿島を歩く ひとまず帰ります 2008年10月5日

 と言うことで今回は猿島奇譚で終わっちゃいました。(写真は丸田祥三風・・・)
 横須賀軍港巡りなので途中省略されてしまった遺跡は、Caccoとグリコ隊長のものを再掲しちゃいましょう。

 これは戦争遺跡ではなく戦後に作られた展望台ですが、しかし、元は砲撃の監視所だと言われています。花立砲台の監視所と造りがそっくりだもの。ここを訪れる人は余りいません。砲台跡だけを見て帰ってしまうのだ。


猿島を歩く 監視所か? 1999年11月26日

猿島を歩く 監視所の遺構に手すりなどの手を入れちゃったのか 1999年11月26日

 遊び疲れてぐったりのグリコ隊員、足元には「さわら※」が・・・むにゃ~。この島で一人暮らし。
※村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」より・・・初めはワタヤノボルと呼ばれていた。


猿島を歩く ぐったり 1999年11月26日

猿島を歩く さわら? 1999年11月26日

 仮面ライダー1号のワンシーン。
 グリコ隊員の立っているところは切通の入口のところ。撮影地が同じだ。 ここもスガシーのPVロケ地のひとつだ。


猿島を歩く 仮面ライダーの一シーン 2008年10月5日

猿島を歩く この切通しで・・・ 1999年11月26日

猿島を歩く スガシーのpvがこの切通しで・・・ 2015年3月28日

 うみかぜ公園から見た猿島。同じ処でS君の「GIFT」のPVが撮られた。DOKUGAKU52号の「バガボンド」でS君のバンドにCaccoが特別出演させていました。


猿島を歩く うみかぜ公園から島を望む 2008年8月14日

猿島を歩く GIFTのS君のPV