アドマチックななしま町 2008年5月17日~2008年7月21日
子供の頃に覚えている心象と今の風景がかけ離れていることがよくあるもんですよね。子供の頃は多感なのだ。
大人になると鈍感になるのだ。今のうさおはあえて鈍感さを装っているけどね。ボケじゃなくてさっ。演技ですってば・・・。
さて、そんなうさおのボケがテーマです。子供の頃は結構遠いと思っていたところが、意外に近かったり、近いと思っていたところがあまりに歩く事になるので辟易したり、どうも年齢をとると物差しが変わりますよね。「ななしま」の町がそうだったんです。
2008年頃の商店街の配置図 googleより
幼い日の銭湯の絵看板には、駿河湾や富士山の絵があり、下のほうにご近所のお店の看板が並んでいました。「親父が作って息子が安売り!」とは陶器屋の看板。
そんな看板に「ななしま商店街」の文字が。
「ななしま」というネーミングは何故か郷愁をそそります。「ななしま商店街」は、横浜の台所、大口商店街につながっています。 大口商店街や曙商店街には映画館やパチンコ屋さんがあり、日本鋼管や旭硝子、東芝の職工さん達が訪れる活気のある町でしたが、「ななしま商店街」はいつもひっそりとして、夏祭りは、とてつもなく寂しかったと憶えています。
大口商店街や六角橋商店街は戦後の闇屋の時代に隆盛を極めた商店街で、とりわけ物価が安く、地元だけでなく他の町からの集客がありました。
その大口商店街に曙商店街という枝の商店街があり、曙通りの終わった先に更に「ななしま商店街」がありました。
最近の大型店舗の進出でこれらの商店街の凋落が激しい中、「ななしま商店街」はことさら寂れ行く商店街の最たるものと言えます。その分、郷愁を誘う何かがあるってな訳ですね。
お店の数は25店舗。この通りに何と画廊があるとこがアドマチックでしょう。
今回は特別に何か意味や意義がある訳じゃありませんよ。戦争遺跡でもなく、廃線遺跡でもなく、土木遺産でもない。こんな町がここにあって、今に無くなっちゃうかもしれないから、記憶を残しておこうと言う「新庄剛志」的レポートなんです。
ここが「ななしま商店街」の入り口です。別に何か仕切りがある訳じゃありませんけど、電柱の表示にそう書いてあります。
七島不動尊、薬王寺については、後の方でご報告しますね。
角のお店は「ほか弁や」さん。昔は無かったね。
アドマチックななしま町 入口のお弁当屋さん 2008年5月17日
通りの感じはこんなもんですね。お店の看板が極端に少ないんで、下町の住宅の道かなって思っちゃうよ。
歩いている人も、走っている車も止まっている車も極端に少ないですよ。
子供連れで歩いていても、交通災害に遭いにくい商店街だ。
アドマチックななしま町 商店街と思えない街並み 2008年5月17日
アドマチックななしま町 一人歩く人がいます 2008年5月17日
商店街を入ってすぐに、「ななしま稲荷」のお神社さんがあります。
街路灯が赤く塗られており。鳥居のモニュメントが貼ってあります。2月の二の午の日にはご縁日が開かれるとか。そんなに立派ではないけれど、貧弱でもない。売り物になるかと言うと・・・微妙だ。
アドマチックななしま町 赤い街路灯 2008年5月17日
けれども鳥居の数は3基もあり、立派は立派です。参道もちゃんとしているし、右側の住宅はお稲荷さんに付属したもので町内会会館の役も果たしているようでした。
アドマチックななしま町 三連の鳥居 2008年5月17日
アドマチックななしま町 でも何か鳥居の足が短いぞ 2008年5月17日
アドマチックななしま町 祠の参道 2008年5月17日
アドマチックななしま町 祠の脇にミニ鳥居? 2008年5月17日
アドマチックななしま町 結構疲れます 2008年5月17日
ここのお狐さんは変わっています。腕に大きなカタツムリを付けたものや、子狐を抱きしめているものです。
この子狐は叱られてこれからお尻を叩かれるのでしょうか?
アドマチックななしま町 蝸牛を抱く狐様 2008年5月17日
アドマチックななしま町 お尻ペンペンの子狐 2008年5月17日
アドマチックななしま町 ななしま稲荷社 2008年5月17日
アドマチックななしま町 その由来 2008年5月17日
なにせ「ななしま」の売りのひとつが、ここなので詳しく説明をさせて頂きました。
最近のグーグル・ストリートビューを見ると神社が無くなっています。はてっ???
でも何時から「七島」から「ななしま」に町名変更したんでしょうね。町としての気合は凄く感じますね。
もうひとつの売りが、「画廊」です。
どうやら志のある方なら書画、写真、工芸など自由に作品を出展できるようです。お金もとらないようですが、見に来る人も居ない按配です。
中には椅子も机もあり、散歩や買い物の途中で一休みってなことが出来そうです。文化っぽいですね。この辺りの地価が安いのか、つぶれた店を町内で上手く切り回しているのか、うさおの住んでいる下町よりは人情の厚そうなところです。
アドマチックななしま町 画廊正面 2008年5月17日
アドマチックななしま町 画廊 2008年5月17日
アドマチックななしま町 出展作の募集 2008年5月17日
結構な広さの画廊で、以前は衣料品店であったのではと思わせる造りです。今回は油彩が飾られていました。女性の画家さんで年齢は判りませんが、風景画ばかりですのでお年を召した方かなとお見受けしました。
アドマチックななしま町 展示の油彩1 2008年5月17日
アドマチックななしま町 展示の油彩2 2008年5月17日
アドマチックななしま町 展示の油彩3 2008年5月17日
アドマチックななしま町 展示の油彩4 2008年5月17日
張り紙には出展希望者は「さがみや」さんか「丸杉園」さんにお申込みくださいとありました。
でも、「さがみや」さんです。あいにくのお休みでした。
元はお米やさんか、酒屋さんなんでしょうね。コンビニエンス・ストアーって書いてありましたが、今風な24時間営業ではなく、アットホームな週末お休みのお店みたい。
儲かるのかなあ?
アドマチックななしま町 さがみやさん 2008年5月17日
もう一方の町の実力者、「丸杉園」さんです。こちらはお茶屋さん。活気が良く「本日特売日」の旗が・・・。
でも取材日は日曜日でしたが街歩く人影も無く、主婦を相手の店なのでウィークデイのみの営業で生活していけるのかなあ。町が無くなっちゃうのは寂しいぞ。
アドマチックななしま町 丸杉園 2008年5月17日
ほかのお店はこんな風です。
小洒落たトップモードの「TIOS」。
和菓子屋さん、床屋さん。
街路灯の「ななしま通り」の看板。
買い入れ屋さん?何を?
このときは珍しく4人も人が通っておりました。私達を入れると6人だよ。
アドマチックななしま町 TIOS 2008年5月17日
アドマチックななしま町 TIOS 2008年5月17日
アドマチックななしま町 2008年5月17日
アドマチックななしま町 たかはし 何の店? 2008年5月17日
Caccoがどうしても残しておきたい世界遺産だとのたもうていたのが、この八百屋さんと先につながる薄暗い路地の靴屋さん。靴屋の「ふじや」さんって店、開いているのかい?
どうでもよいのだが「ななしま商店街」のお店の名前が「ひらがな」のものが多いね。
このラーメン屋さんは改装したてのように見えるが、建屋は古いね。
アドマチックななしま町 八百屋の横丁 2008年5月17日
アドマチックななしま町 靴の専門店 2008年5月17日
アドマチックななしま町 アーケード街? 2008年5月17日
でも、ラーメンと餃子が異常に安い「寺尾家」で食べちゃったよ。ちなみにラーメン300円、餃子6個150円ですよ。なんとも安い安い。餃子はしかもはりはりのぱりぱり、旨い~。でもここは「ななしま商店街」ではなくて、曙商店街の中です。
アドマチックななしま町 寺尾屋に入ります 2008年5月17日
アドマチックななしま町 餃子、安っ! 2008年5月17日
アドマチックななしま町 昔ながらのラーメン 2008年5月17日
アドマチックななしま町 昔ながらのラーメン 2008年7月21日
で、次に行ったのが「七島商店街」の入り口近くにある「七島不動尊」。
不動尊って言うとこれはお寺さんか?「成田山」って石柵に彫ってあるし、でも、如何見ても神社さんにしか見えない。小高い丘に参道があり、鳥居が囲む。鳥居の参道の上の鉄骨は駐車場の鉄骨だ。以前は入口に成田山七島不動尊の看板が在ったらしい。
アドマチックななしま町 七島不動尊 2008年7月21日
アドマチックななしま町 提灯掛け 2008年7月21日
アドマチックななしま町 手水場 2008年7月21日
アドマチックななしま町 百度塚 2008年7月21日
アドマチックななしま町 狭い参道 2008年7月21日
アドマチックななしま町 妖しい鳥居 2008年7月21日
アドマチックななしま町 祠 2008年7月21日
アドマチックななしま町 蝋燭立 2008年7月21日
奥の院にはほとんどお狐様が祭ってある。お稲荷様だろう、これは。
「ななしま稲荷社」と混同するから不動尊って付けたんじゃねいの。
でもここのお狐さんは小柄ながらも細工が行き届いており、毛筋が克明に彫られていた。悪戯されるのを嫌ってか、金網で囲ってあるのが興醒めです。
アドマチックななしま町 奥の院 2008年7月21日
アドマチックななしま町 水子地蔵 2008年7月21日
アドマチックななしま町 不動尊像 2008年7月21日
アドマチックななしま町 2008年7月21日
アドマチックななしま町 金網に入っている狐 2008年7月21日
アドマチックななしま町 使い番の眷属 2008年7月21日
この参道の脇に池があり亀さんが何匹も居た。さすが浦島太郎の伝説の地。亀は多い。
アドマチックななしま町 池 2008年7月21日
アドマチックななしま町 亀さん 2008年7月21日
アドマチックななしま町 亀さんたち 2008年7月21日
結局、不動尊、成田山、伏見稲荷、水子地蔵と良く意味の判らない神社さんではありました。
医光山薬王寺さんはその直ぐ近くにある真言宗のお寺さんです。 綺麗な佇まいで夏の涼やかな風が木立の中を通っていきます。
四国八十八ヶ所霊場の第二十三番所に医王山無量寿院薬王寺とそっくりなものがありますが、入り口の碑文には「東国八十八箇所第十七番薬王寺」となっています。分寺なのでしょうか?中に入ると大きな銀杏の木陰に休息場が設えてあり、五重塔のミニュチュアが在ります。
アドマチックななしま町 2008年7月21日
アドマチックななしま町 霊場を示す碑 2008年7月21日
アドマチックななしま町 その理 2008年7月21日
アドマチックななしま町 山門 2008年7月21日
アドマチックななしま町 地蔵たち 2008年7月21日
アドマチックななしま町 弘法大師一千百年御忌記念供養碑 2008年7月21日
アドマチックななしま町 一休み 2008年7月21日
アドマチックななしま町 ミニ五重塔 2008年7月21日
次に訪れたのが本照山連法寺さんです。日蓮宗のお寺さんなのですが、ここは浦島伝説の残る有名なところです。
横浜の神奈川地区に残る浦島太郎伝説は若干他の地方のものと異なります。
相模国三浦の里に水江の浦島太夫がおり、丹後国に赴任していた。息子の浦島太郎は二十歳の時に、浜辺で子どもらにいじめられていた亀を助けた。助けた亀に連れられて竜宮城へ行き、乙姫様のもてなしを受け、いつしか3年の歳月が流れた。父母恋しさに太郎は乙姫様に暇を告げ、玉手箱と観世音菩薩を貰った。故郷の浜に帰ると、見知らぬ人ばかり。玉手箱を開けると、白い煙が出て太郎は白髪の老人になりました。ここまでは俗説と同じですが観音様を貰ったってとこが微妙に違います。
観音様と補陀洛伝説、浦島伝説と徐福伝説については章を改めて述べさせてもらいます。
さて父母が武蔵国白幡の丘に葬られていると聞き、子安の浜を訪ねます。墓の傍らに庵を結んで菩薩像を安置し、父母の菩提を弔いますが、この寺が「観福寿寺」ですが明治5年に火災により廃寺になり、「日蓮宗蓮法寺」に浦島太夫・太郎父子の供養塔があります。このほかに「亀化大竜女の石像」があります。
以前「井戸」の稿に紹介した「浄土宗慶運寺」に聖観世音菩薩像が祀られています。
連法寺さんのお寺の紋は日蓮宗とあって、井桁に橘ですが流石、浦島の里だけあって、亀の紋様です。門に刻まれていた文様の方がはっきりしていますの、これをご覧ください。波の中に泳ぐ亀、菊花弁(?)に卍か?
亀サンの目がなぜか可愛い。いや、手が可愛いのかもしれない。ともかく、出色の出来。
アドマチックななしま町 南無妙法蓮華経 2008年7月21日
アドマチックななしま町 急な入口 2008年7月21日
アドマチックななしま町 更に急な参道 2008年7月21日
アドマチックななしま町 蓮法寺山門 2008年7月21日
アドマチックななしま町 手水場 2008年7月21日
アドマチックななしま町 浦島伝説由来 2008年7月21日
アドマチックななしま町 顕彰歌碑 2008年7月21日
アドマチックななしま町 白幡の碑 2008年7月21日
アドマチックななしま町 亀の紋 2008年7月21日
アドマチックななしま町 浦島太郎伝説の碑 2008年7月21日
アドマチックななしま町 浦島太郎 2008年7月21日
アドマチックななしま町 塔頭群 2008年7月21日
アドマチックななしま町 山門の脇にある 2008年7月21日
なにせ急な傾斜の浦島の丘の上に建つお寺さんだから敷地の確保が大変厳しい。
しかし、小洒落た感じで石庭も造ってあり、取材の日は大変暑かったが爽やかな風が通り一服の涼茶を頂いたよう。
でもCaccoはここまで上がってくる階段がきつくて門のところでダウンしていました。
遠くに横浜のビル群が望めるところが、ご愛嬌だ。由佳ちゃんちほどではないが、鬼瓦も凝っている。
アドマチックななしま町 境内 2008年7月21日
アドマチックななしま町 石庭と松 2008年7月21日
アドマチックななしま町 山門 2008年7月21日
アドマチックななしま町 日蓮宗の紋 井桁に橘 2008年7月21日
アドマチックななしま町 波に亀紋 2008年7月21日
アドマチックななしま町 斗の文様 2008年7月21日
アドマチックななしま町 鬼瓦 2008年7月21日
「ななしま」を北の方に向かうと横浜創英高等学校があります。 昔は京浜女子高等学校でしたが、現在は横浜創英大学を設立し、付属校として男女共学となり名前が変わりました。
名前が同じようなので混同していましたが、京浜女子商業高等学校は別に鶴見にありました。鶴見と大口の近い地域の中に3校が混在していました。もう一校は、京浜女子高等学校から派生した京浜女子家政理学専門学校です。
ちなみに大口駅には、旧日大付属高校があったんだそうですよ。
大口にあった京浜高等女学校のひとつは横浜創英高等学校と改称して今も大口にあります。
派生した京浜女子家政専門学校は鎌倉に移り鎌倉女子大学に変わりました。
鶴見に在った京浜女子商業高校は白鵬女子高等学校に変わりました。
いづれもうさおが社会人になってからだと思います。
アドマチックななしま町 横浜創英高等学校 2008年6月15日
アドマチックななしま町 横浜創英高等学校 2008年6月15日
横浜創英高等学校から大口駅に変える道すがら、「猫」という小間物屋さんがありました。今はもうありませんけどね。猫が好きだったんでしょう、猫グッズがたくさん置いてありました。
アドマチックななしま町 横濱屋 猫 2008年8月22日
大口に在った「岩崎美術館」(トマソン隊で報告済み)はどうやら今は廃館になってしまったようなので、本当に文化っぽいものは大口にはありません。ですから入江川に甲羅干しをしていた亀君達をお見せします。
時たま亀君が泳いでいたのを見たことはあったのですが、こんなに沢山・・・。さすが浦島太郎の伝説の地だ。あれっ!さっきも言ったかな?
アドマチックななしま町 入江川の亀1 2008年5月17日
アドマチックななしま町 入江川の亀2 2008年5月17日
アドマチックななしま町 入江川の亀3 2008年5月17日