茂原掩体壕(2007年8月12日)、野島掩体壕(2007年9月16日)


 さて、友人のK君がスローライフを満喫するため、千葉に家を建て暮らしています。
千葉は三浦半島と並ぶ戦争遺跡の豊富なところ。戦争マニアのK君の選びそうなところだ。今回は特に戦争遺跡の中から茂原の掩蔽壕を見に行くことにしました。


茂原掩体壕 地図 赤字が掩体壕 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 航空写真 黄色の円が掩体壕 (2007年8月12日)

 掩蔽壕と言わず掩体壕と言うのが正式名称らしい。茂原には航空隊があった関係から随所に掩体壕があったよ。
 現存するものものは全部で13箇所と聞いていたが、そのうち6箇所を見て来ました。茂原市の観光名所になっていました。
 道路端には看板が出ており、掩体壕までスルッと誘導してくれます。
 
 これは掩体壕A(地図参照)です。道路の脇にありますので、すぐに見つかります。
上部は草地で覆われていますが結構コンクリートの躯体がはっきり出ています。


茂原掩体壕 A 掩体壕 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 掩体壕看板 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 A 反対側から (2007年8月12日)

 中はこんな風です。零式艦上戦闘機なんかが収まるのかなあ。だいぶ手狭に見えます。床はだいぶ、土で埋まってしまったようです。


茂原掩体壕 A 掩体壕内部 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 鉄筋と言うより、ワイヤーラス 露出してます (2007年8月12日)

 ここは掩体壕Eのポイント、このように壕の上には樹木が覆いかぶさり、上空からでは察知できないようにカバーされています。
でも滑走路は草を生やしてはならないので、上空からだと判っちゃうよなあ。


茂原掩体壕 E 掩体壕 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 E 掩体壕 遠景 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 E 掩体壕 周りは畑 (2007年8月12日)

 何やら長閑(のどか)に一休みをしているCacco。
ここは何処なのか?


茂原掩体壕 程よい木陰が (2007年8月12日)

ここでした。
この掩体壕は円墳のように丸い小山になっていて、陸の島みたいでした。


茂原掩体壕 E 掩体壕 古墳のようです (2007年8月12日)

茂原掩体壕 E 掩体壕 周囲の側溝 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 E 掩体壕 雨宿りには最適 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 E 掩体壕 今やゴミ捨て場 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 E 掩体壕 コンクリートの劣化は目も当てられない (2007年8月12日)

 掩体壕Eから南に少し離れたところにも掩体壕Fがあります。畑のど真ん中にあり畑に足を踏み入ることになるので気を使います。
 こんな撮り方をすると、丸田祥三のようです。
もちろん掩体壕の中は農機具や雑草や収穫物の塵類です。


茂原掩体壕 F 掩体壕 手前のタイヤが物悲しい (2007年8月12日)

茂原掩体壕 F 掩体壕  (2007年8月12日)

茂原掩体壕 F 掩体壕  (2007年8月12日)

茂原掩体壕 F 掩体壕 大きいなあ (2007年8月12日)

 バス通り側から見るとこんな感じです。本当に山のような感じで見た目は完璧に隠されています。


茂原掩体壕 F 掩体壕 小山のようです (2007年8月12日)

茂原掩体壕 F 掩体壕 お尻の方から見てみました (2007年8月12日)

 たぶんこの延長線上に滑走路があったはず。そんな思いを込めて撮影してみました。


茂原掩体壕 右手の森がE、左手がFの掩体壕 ここに滑走路が・・・ (2007年8月12日)

 掩体壕Dです。ここはすっかり土は剥ぎ取られ、アスファルトの防水層が現れています。
 妻側の壁は面戸板が張られ、まるで納屋のようでした。
 納屋でしたが・・・。


茂原掩体壕 D掩体壕 お芋が転がっているようです・・・ (2007年8月12日)

茂原掩体壕 D掩体壕 納屋として使われています (2007年8月12日)

茂原掩体壕 D掩体壕 あっ、はいちゃった・・・ (2007年8月12日)

夏草の 青に染まるや 掩体壕
すずろにぞ 蝉静まりて 夏已みて

 そんな句が聞こえて来ます。(うさおにだけね)

 帝国の遺産がこんな風に使われるなんて。 戦争マニアのK君が聞いたら怒りますよ。
 後ろの雑木林に見事にフィッティングしている掩体壕Cは、民家の庭にあります。車2台とトラクター1台の格納庫(駐車場)になっていました。
完全に私物化です。
 こんな駐車場ならうさおも欲しいぞ。

 どの掩体壕も同じような造りでしたが、ここは今までのものと比べると、ふた周りぐらい大きく、戦闘機より大きな機体を納めたのかも知れない。
 他人の庭だって言うのに、づかづか入っちゃいました。
え~Caccoしちゃいましたね。


茂原掩体壕 C掩体壕 遠景 (2007年8月12日)

茂原掩体壕 C掩体壕 人のお家にづかづかと・・・ (2007年8月12日)

茂原掩体壕 C掩体壕 駐車場に使っている (2007年8月12日)

茂原掩体壕 C掩体壕 広くていいなあ・・・ (2007年8月12日)

茂原掩体壕 C掩体壕 側面 (2007年8月12日)

 この掩体壕Bは今回の中で最も見つけにくかったもの。夏は竹林の陰に隠れていて、道路を走っただけでは見つけることは出来ない。
 草息れでむっとする草叢を掻き分けてやっと辿りつく。尤も入ったのはCaccoだったんだけどね。


茂原掩体壕 B掩体壕 これは見つからないいなあ・・・ (2007年8月12日)

茂原掩体壕 B掩体壕 まさに掩体している (2007年8月12日)

茂原掩体壕 B掩体壕 ここは冬に行くべきです (2007年8月12日)

 ここには人もめったに入って来ない。掩体壕の中まで草が密生している。
 隠れ家とするならここだと思うのだが、蛇や百足がいそうでうさおには無理かも。
 さて、うさお達はどのような順で全部の掩体壕を廻ったのでしょうか?


茂原の街並み のどかな雰囲気です (2007年8月12日)


野島掩体壕(2007年9月16日)

 さて、おらが方の横浜の掩体壕だが、最も近くて最も有名なのが、野島公園にある掩体壕だ。ここにはバーべキュー場やキャンプ場があり、子供がまだ小さいときはTICAさん達ともよく出かけたところ。    


野島掩体壕(2007年9月16日)

 今日も家族連れで賑わっていました。島に入ると海苔ひびの柵が並ぶ向こうに八景島が見えます。かつては無かった人工島です。
 野島公園は小さな島で、その中央に小高い山がある。標高にして2~30mか。とにかくも海岸のほとりを巡ってみました。


野島掩体壕 八景島がすぐそこに (2007年9月16日)

野島掩体壕 八景島行ったことが無いけど楽しそうだ (2007年9月16日)

野島掩体壕 外周を回れる道があります (2007年9月16日)

野島掩体壕 皆、皆さん、BQをされていました 売店はありません (2007年9月16日)

 そこには茂原で見た掩体壕とは一線を画する、とても大きな掩体壕が出現しました。(いや、以前にもバーベキューの時に見てるんですがね)
 掩体壕の入り口は見えないようにしっかり、頑丈なフェンスで囲われています。それでもディ・キャンプに来ている若い者はフェンスを乗り越えて遊びに興じていました。いかんやろう、若者。


野島掩体壕 途中にあった防空壕 (2007年9月16日)

野島掩体壕 防空壕はちょっと見、判りません (2007年9月16日)

野島掩体壕 島を横断する形で壕が掘られている (2007年9月16日)

野島掩体壕 上に樹木が被さると判りません (2007年9月16日)

野島掩体壕 写真に何か、霊体が・・・ (2007年9月16日)

 それにしてもでかい。一説には弐式大型飛行艇が格納されるはずだったとも言われているが、どうやら作っただけで使われなかったようです。
 弐式大型飛行艇とは全長28m、全幅38m、高さ9mの代物。こんなに大きいものは、とてもここには格納できそうにも無い。だから使われなかったのかな。
 それに掩体壕の高さは9mもあるのかな。掩体壕、掩体壕といっていると、「西太后」って聞こえてくるから不思議だ。


野島掩体壕 弐式大型飛行艇 (2007年9月16日)

 さて、この島には売店と言うものが存在しない。Caccoは周囲でバーベキューをしている人たちが、何か呉れないかなあと期待を込めた目で見ていたが、誰も何も呉れない。ライ隊員が居れば何か呉れたのにぃ!とは、Caccoの言葉。犬に呉れたものを横取りする気だったのか・・・?

 島を一廻りしてみた。先ほどの海側のちょうど真裏に当たるところに、掩体壕の反対側が見えてくる。先ほどの入り口の形状とは少し異なり、茂原の掩体壕によく似ている。ここで疑問。
 戦時中には掩体壕の専門の設計者と言うのが居たのだろうか?昔は軍部があったからね。
 矢澤さんは建設会社にお勤めの優秀な構造設計者だと思う。掩体壕を設計しろと言われたらどうされるのかな。最近の爆弾は性能が上がっているので破壊力の実験が必要なのでは・・・。


野島掩体壕 裏側 (2007年9月16日)

野島掩体壕 同様にフェンスで囲まれている  (2007年9月16日)

野島掩体壕 入ってみたい (2007年9月16日)

野島掩体壕 ここは大きいし、見学したい期待も大きい (2007年9月16日)

 ここもフェンスで囲まれている。年に一度は一般に開放すべきだし、戦争遺跡として整備しておく必要もあると思うんだけど。

 で、この掩体壕の真上にある小山が高射砲の陣地だったそうな。上ってみることにしたのだが、これが結構急な坂道だったのだ。途中でダウンしようかと思っちゃいました。坂道の途中のどんぐりが可愛かった。
 ぜいぜいしながら登りきると開けたところにUFOのような展望台があります。この展望台の基礎が円形なのは、ここが高射砲の台座だったんだとまことしやかに言う人がいます。(うさおですけど・・・披露山公園の経験から・・・)
 ここから磯子から三浦半島まで見渡すことが出来ます。この野島公園には伊藤博文の別邸がありました。今回は準備が足らず見送りです。
茂原の機関銃台座跡と同様の、えっ、ここが遺跡?って位の素っ気無さです。


野島掩体壕 島の頂上に登ってみた (2007年9月16日)

野島掩体壕 ここからの景色は景勝50選に入っている (2007年9月16日)

野島掩体壕 展望台の基礎は円形、高射砲台座か? (2007年9月16日)

野島掩体壕 上はUFOか電探のようだ (2007年9月16日)

 野島には稲荷社が祭られており、日出彦さんが以前報告されていたような不可思議なコンコン様が沢山並んでいました。
 ライ隊員にそっくりなコンコン様も・・・。


野島掩体壕 手を差し伸べる親切なうさお (2007年9月16日)

野島掩体壕 稲荷社の鳥居 (2007年9月16日)

野島掩体壕 野島稲荷神社本殿 (2007年9月16日)

野島掩体壕 おキツネさま (2007年9月16日)

野島掩体壕 キツネ参道 (2007年9月16日)