大井町の煉瓦施設(2007年7月8日、9日、8月25日)
電車で通勤する時間は、おおよそ50分、その間で座席に座れるかどうかは、その日の運次第。たった、一駅立つだけで座れるときもあれば、東京駅まで延々立っているときもある。そんな電車の中で暇なもので、よく見かけたのが大井町駅を過ぎた辺りの煉瓦造りの鉄道施設でした。今でも現役らしく、会議とかで使っているようだ。
という訳で早速、現地に見に行きました。以前、三浦港にマグロ丼を食べに行った帰りに、ライ隊員が降りたい、降りたいと騒ぎ出し、それからどうやら車での探検は拒否するようになりました。だから今回からライ隊員はお留守居番になりました。
大井町の煉瓦施設 今回見た煉瓦建物の位置 (2007年7月8日、9日)
さて、大井町というところは、随分と昔の遺跡が残っているところで、板垣退助のお墓や智恵子抄の碑跡、ゼームス坂、くらやみ坂、幽霊坂など個別に探訪しても大変面白そうなところばかしです。
それはまた、いつかご報告するとして、矢澤さんのように実際足で回らないと面白さが判らないよね。まあ、兎も角もこの建物を見てみましょう。
JR大井町駅の周辺の街路灯には、子供だか小人だかが取り付いている装飾物が付いています。大井町は彫刻の像が多い町でも知られているよ。高村光太郎のお蔭かな?
大井町の煉瓦施設 大井町の駅前 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 街灯に子供が取りついています (2007年7月8日、9日)
さて、駅の脇の道を辿って行ってみます。小洒落たお店が多く、若い人の穴場の通りだ。
大井町の煉瓦施設 大井町駅南側脇の飲み屋街 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 横丁に入ると東小路の飲み屋街が・・・ (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 今回見た煉瓦建物の位置 (2007年7月8日、9日)
目的とする建物は、JR東日本の東京総合車両センターの中にある、このレトロな煉瓦積みの建物です。冒頭の地図の下のほうに赤い屋根が見えますが、その建物がそうです。
今歩いている東海道線に沿ったこの道は、春には桜並木で有名なところです。
どのような由来のものかが、意外に判明しません。部下の「鉄ちゃん」に聞いてみましたが、何だか不明瞭な頼りない返事。
この煙突の部分は後世のものだろうが、この建物の用途が推測できません。一説には、ボイラー棟であるとか、ポンプ、モーターの類があった設備棟だとも言われています。
大井町の煉瓦施設 桜並木からボイラー棟を望む (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 東海道線、京浜東北線に沿っています (2007年7月8日、9日)
東京総合車両センターでは毎年8月に子供や鉄道マニア向けの「夏休みフェアー」が行われますが、その展示に昔の写真が飾られていました。ご興味がある方は、このフェアーに行かれることを薦めます。2007年8月25日に、このフェアーに行きましたので、いつかまた、ご紹介いたします。
後日談ですが、偶然、この棟に入れる機会があり、ついでに各部屋を覗いてみましたが、事務所に改装されていて、普通の建物と何ら変わるところは無く、がっかりでした。
フェアーの一般公開日にのこのこ、出かけてみましたけてみたが、この煉瓦建物は今までにも開放されたことが無いのだそうな。ちぇっ残念!
でも、昔の写真が残っており、やりましたーてな感じです。大井町駅付近には同系の建物が数棟もあったようです。今でも、残しておけば良いのに。年に1回くらいは市民開放しましょうよ。
大井町の煉瓦施設 この丸の中にあるのが件の煉瓦建物 (2007年8月25日)
大井町の煉瓦施設 これですね (2007年8月25日)
大井町の煉瓦施設 どうやら件の建物以外にも煉瓦建物があった (2007年8月25日)
さすがに年代を感じさせる窓のアーチ。昔の人はこんな建物にも、小憎いレリーフや飾り縁を付けて、デザインを楽しんでいました。明治、大正の情緒を感じさせるぞ。
先ほどのフェアーのJR東日本の担当者の方に聞いたら、ボイラー棟ですよと、教えてくださいました。まだ現役だそうです。
大井町の煉瓦施設 遠景で見ると建物の周りは敷地が空いている (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 アーチの要石の部分の補修が目立つ (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 扉の上の煉瓦擬きが痛い (2007年7月8日、9日)
たまたま、構内に入れた時の貴重な写真がこれ!
大井町の煉瓦施設 中庭からの写真 (2008年7月22日)
大井町の煉瓦施設 煙突を構内から京浜東北線に向かい望む (2008年7月22日)
大井町の煉瓦施設 階段の前で毎日の朝礼があるのかもしれない (2008年7月22日)
大井町の煉瓦施設 地下階もあるがドライエリアが造られている (2008年7月22日)
明治記念館
これはセンターの建物を探しにこの辺りを流していたときに、Caccoが「あっ、すごいもの見っけ!」と言って無理やり車を止めさせた。
施工当時の煉瓦壁の構造が良く似ており、同じ設計者の手になるものかと思っちゃう位、そっくりでした。
なかなか由緒のありそうな風格のある建物でした。ここは日本ペイントが、自社の工場群の中に、この倉庫風な建物を残してあるようでした。
早速Caccoが交渉に走ります。日曜日だったのにも係らず、女性の警備員さんが快くOK!どうやら創業当時の工場の跡を、社の歴史を辿る「明治記念館」として、保存してあるようです。そうでなくっちゃ。
大井町の煉瓦施設 イギリス積ですね (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 今回見た煉瓦建物の位置 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 明治記念館の看板 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 記念碑もあります 明治29年建設です (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 工場の内部側の外観 (2007年7月8日、9日)
説明には、何と別の男性警備員の方が特別に出てきてくれ、私たちだけのために施設を開けてくれることになりました。エアコンも入れて頂き、感謝感激です。梨汁、ブシャー。ありがとうなっしー。
鉄の扉を開くと格子造りと植え込みが、柔らかな情緒を醸し出します。さすがに最初は暑かったけれど、そのうちエアコンも効いてきたのと、もともと、煉瓦が外界の熱を遮ってそんなに心地悪くなかったです。
大井町の煉瓦施設 古風な鉄扉 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 アーチ構造の窓 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 格子つくりの入り口 (2007年7月8日、9日)
建物中には塗料製造業者の光明社の設立時の遺物が展示されています。そう言えば建設会社に入社したての頃、錆止めを「光明丹」と称していた。あの珊瑚色の下塗り剤ですね。正しくは鉛丹。この会社の有力な主力商品だったのかもしれないな。
国産ペイントのあゆみ
「1878(明治11)年、茂木兄弟(春太・重次郎)は、日本で初めて乾溜法による亜鉛華の製造に成功、続いて明治13年(1880年)には、亜麻仁油を用いた固練ペイントを試作、これを翌年の第2回勧業博覧会に出品して褒賞を受賞を得た。当時海軍では、輸入の艦船用塗具(溶解ペイント)の国産化を試みていたものの果たせないでいた。そこで茂木重次郎と田川謙三(製油)、橘清太郎(光明丹製造)は共同組合を組織し、茂木兄弟の固練ペイント製造技術を軸に塗具の製造を計画し、明治14年10月に東京の三田四国町に「光明社」を設立した。約300坪の敷地と三棟の建物にはじまる「光明社」の創業によって、日本の塗料工業の歴史が始まった。」
大井町の煉瓦施設 ここが明治時代の近代工場の先駆けだった (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 昔使われた機械などが展示されている (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 社の看板と茂木兄弟の系譜など (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 見事な赤煉瓦 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 社の歴史など (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 揮発油を使った所為か、窓の鋼板が目立つ (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 2階から1階を望む (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 顔料の擂り潰し機械だろうか (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 日本ペイントのマークの陶器 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 顔料の成分表であろうか (2007年7月8日、9日)
当時の塗料剤を粉末にする治具や炉、搬送機などが置かれています。中2階もあり、そこに焼成炉があります。結構手狭に見える工場内ですが、うまくセットされています。
でも建物内の熱気は上のほうに残るので、中2階は暑かったなあ。
塗料の原料に亜鉛や鉛、カドミュームなどが使われており、扱いには気を使うところだ。いやあ、それにしてもうさおはメタボリックだなあ・・・。
ここの警備室に感謝の意を伝え、立ち去ろうとすると、呼び止められて、なんと、この帽子を2つも貰いました。
大井町の煉瓦施設 焼成炉 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 2階はこんな感じ (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 肥っているうさお (2007年7月8日、9日)
うさおとCaccoのどちらが誠実に見えたのでしょうか。すごく親切で、お土産も貰っちゃったので大変嬉しいです。
大井町の煉瓦施設 この帽子を貰いました (2007年7月8日、9日)
天竜禅寺の煉瓦塀
今回は煉瓦造りがテーマですので、大井町ゼームス坂を更に品川の方に下っていくと、瑞雲山天竜禅寺に突き当たります。このお寺さんの塀が煉瓦塀で、品川でも夙に有名らしいです。
品川辺りの散策日記はまた「大井町2編」で、お伝えいたします。
大井町の煉瓦施設 天竜禅寺の煉瓦塀 (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 明治の雰囲気満開 人力車が走っても可笑しくない (2007年7月8日、9日)
大井町の煉瓦施設 結構延々と繋がっている (2007年7月8日、9日)