金田湾の砲台跡  2007年5月4日

これが砲台跡!
この辺りが変電所跡か?山肌に洞窟の跡が・・・
一基目の砲台跡
排気口か?通信塔か? 悲しいなあ。
中はこんな感じ
二基目の砲台跡
砲台の下へ続く通路入口
遠方に剣崎灯台が見える
ここに探照灯格納庫がある
剱崎の正体の判らない遺物
観音崎地下トーチカ
猿島要塞
鎌倉披露山公園砲台跡

 さて、ここは三浦半島の金田湾に近いところの丘の俯瞰図です。


金田湾の砲台跡 金田湾近くの俯瞰図(google) 2007年5月4日

 この地図のどこに今回のテーマの砲台があるのでしょうか。

 ちょっと判りませんよね。ずいぶんと昔の話ですが、この付近の漁港(金田湾)から、ちょくちょく釣りに出かけており、その往来に円形の砲台跡を見かけた記憶がありました。今回はどうしてもそれを確かめたくて、探しに行くことにしました。
 ライ隊員が一緒に行きたいと言うので車で行きましたが、この地へは京浜急行で行くのが乙です。
 余談ですが、音のトマソンとして、「京浜急行の列車が動き出すとファンファーレがなる!」というのがありました。最初にこのファンファーレを聞いたときには誰かの携帯電話かと思いましたが、音があまりにも大きすぎます。吃驚しますよ。
 答えは簡単、電車の車両が今までの直流モータから省エネルギーで交流モーターに変わり、インバーターやMGを積んでおり、その直流から交流に変化させる際に生じる音なのでした。
 あっ、つまんないか?


金田湾の砲台跡 砲台跡の俯瞰図(google) 2007年5月4日

 さて、砲台跡はこの辺かとおおよその見当をつけて、畑の中を探して回りましたが、それらしいものは見つかりません。ライ隊員も一生懸命探しました。
 野良仕事の方に聞いてみましたが、最近良くそういう人が来るんだよと言われました。多いんですね、廃墟マニアが。
 
 それでも「そこいら辺りが昔「変電所」があったところでよ。あの丘の上に砲台と何かの格納庫があるよ」と親切に教えてくれました。顔は大変、迷惑そうでしたが・・・。

 ここが変電所跡の畑です。今は跡形もありません。農家の方の証言だけです。
 崖のところに防空壕なのか、連絡壕なのか貯蔵庫だったのか穴が幾つも開いていました。潜れそうでしたが、辞めておきました。野良仕事の方が睨んでいます。


金田湾の砲台跡 三浦半島の畑地が広がる 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 目指すはあの丘の上 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 ライ隊員、君もよく探してね 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 変電所に関係する壕か 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 銃眼のように小さいなあ 2007年5月4日

 教えてもらったとおりに、農道を大きく回りこんで歩いていくと、漸く目的の砲台のところにたどり着くことが出来ました。
 どうやら高射砲の台座のようです。今では無用の長物とばかり、邪魔にされているようで大根やら、菜っ葉のゴミ捨て場になっていました。


金田湾の砲台跡 あっ、ありました 一基目の砲台跡 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 じっくり、調査します 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 これは地下壕との伝声管か空気抜きか 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 結構深いぞ 2007年5月4日

 近くには同時代に作られたと思われる排気口または通信塔のようなものと、砲台の下へ続く通路入口がありました。


金田湾の砲台跡 ここが多分地下につながる壕の入り口 2007年5月4日
金田湾の砲台跡 いかにもそれっぽい 埋められているのが残念 2007年5月4日

 「帝国の城塞」によれば、この三崎半島金田地区の砲台跡は4基ほどあったらしいが、現存するのは2基だけらしいです。
「明治の時代にこの剣崎砲台(大正13−昭和2 年,15K2 連装x2)が設置され、砲塔砲台座は雨崎と大浦山の中ほどの畑の中にあり、直径2m ばかりの円形コンクリート台座が100m 離れて2 つある。」と記述されています。

 二基目の砲台のほうが原形を留めており、地下通路入口も道路を挟んで反対側にはっきりと残っていました。
 

金田湾の砲台跡 これが2基目の砲台跡 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 しっかり残っているね 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 畑の中の邪魔なコンクリート管 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 先程と同様に伝声管か空気抜きでしょう 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 さて・・・・ 2007年5月4日

 もう少し丘の小道を辿ってみましょう。「帝国の城塞」には次のような記述もあります。
「また、その北方の少し高い畑の中に雑草に覆われて、ぽつんと半円状のコンクリート掩灯所(探照灯格納庫)が残っている。」
 この掩灯所(探照灯格納庫)を探してみることとしました。300mほど歩くとありました、ありました。夏草に覆われていましたが、確かに何やらコンクリートの構造物が建っていました。


金田湾の砲台跡 掩灯所のあるところ(google) 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 丸い小山が掩灯所です 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 確かに軽トラックが邪魔だが・・・ 2007年5月4日

 Cacco は農作業をされている方の軽自動車が邪魔だから、どけてもらおうかと不満げでしたが、そんな我儘なんて言えない、うさおは。

 この掩灯所は丸田祥三も取上げていました。図書館で借りた「棄景」の中にありますが、少し写真を加工してあり、情感が乏しくなり余り感心しませんでした。(生意気な!) ナチュラルなうさおの写真のほうが、戦争遺跡ぽくって良いと思いますよ。
 そしてすっかり戦争遺跡マニアのCacco は、ずんずん中に入って写真を撮っていました。こんな場所はムカデなんかがいるので、気をつけないと・・・。


金田湾の砲台跡 掩灯所はムカデやヤスデの巣だ 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 確かにコンクリートの構造物だ 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 弦が根を張っている 2007年5月4日

 ここの裏手に回って見るとそこには通信用のアンテナが立っていました。


金田湾の砲台跡 裏に回ってみます 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 おお、アンテナだ 2007年5月4日

 以前に剣崎灯台を訪れた時に国土交通省「剱崎無線方位信号所」の近くに、コンクリートの戦争遺跡ぽいものがありましたね。
 そこで、三浦半島の戦争遺跡を簡単におさらいしてみたいと思います。興味の無い人にはとても詰まんない代物ですけど。


金田湾の砲台跡 猿島の監視所? 1999年11月26日
金田湾の砲台跡 観音崎の砲台跡 2000年1月14日

金田湾の砲台跡 剣崎の通信施設か 2004年6月27日

金田湾の砲台跡 披露山公園の砲台跡 2002年10月14日

 ライ隊員とお食事した金田湾朝市の風景を付け加えておきます。


金田湾の砲台跡 金田湾の漁業組合事務所 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 屋上で食事ができる 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 金田湾は蛸漁で有名 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 金田漁港 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 結構豪華な食事 2007年5月4日

金田湾の砲台跡 おとなしく待っているライ隊員 2007年5月4日

※ 「帝国の城塞」:いかにもマニヤ向けの廃墟雑誌です。