入江町散策記2  2006年10月22日


 これからご紹介する場所の大まかな位置を確認しておきましょう。


2006年当時の入江町界隈の地図 googleより

奇想天外な教会

 新子安にはいささか仰天する教会があります。普通の家の脇に、このような十字架を捧げた人の形が立っています。妙に主売るです。あっ、違った。シュウルです。見ようによっては、ブラジルのコルコバードの丘のキリスト像にも見えます。


入江町徘徊 シュールな教会 2006年10月22日


入江町徘徊 教会の看板 2006年10月22日

 坂の下から車で登ってくると、教会だって判ってはいるんですが、急にこの人の形が現れてドキッとします。
 そして、この看板も何か意味がありそうで、暗示的でダビンチ・コードのようです。マッチの軸のような十字架、意味ありげなロウソクの灯・・・。

不思議な酒屋さん


入江町徘徊 不思議な酒屋さん 2006年10月22日

入江町徘徊 マリオにも似ている 2006年10月22日

 とある酒屋さんがありますが、面白い酒屋さんで、いつも壁にペンキを塗っている人がいます。人形だと知らないと吃驚します。後姿はマリオのようだね。

屋根小屋


入江町徘徊 屋上の小屋 2006年10月22日

 民家の屋根に、出入り口のような小屋が建っています。よく見ると屋根には梯子状の足場が置いてあり、屋根の上の作業が出来るようになっています。屋根の上のバイオリン弾きか。
 物見、それとも鳩でも飼っていたんだろうか。

矢島製麺所


入江町徘徊 矢島製麺所 2006年10月22日

 入江町の通りに、矢島製麺所と言う日本蕎麦や中華麺を作っていた工場がありました。昭和の香りのする日本家屋の商店でした。つい最近まであったのですが、2019年2月には保育施設の建設が始まり無くなってしまいました。

一之宮さん

 母はよくお正月には、一之宮さんにお参りに行ってきました。90歳を越す高齢でしたが一人で参拝してました。健康であると言うことは有難いことです。
 母にとっては、一之宮さんは子供の頃の遊び場だった筈です。


入江町徘徊 一之宮鳥居 2003年1月12日

入江町徘徊 一之宮万歳殿 2003年1月12日

入江町徘徊 一之宮本殿 2003年1月12日

 一之宮神社の由来(掲示板)
 子安の地は神之木台遺跡、大口坂遺跡、その他があることからも推察されるように、縄文時代の昔より人間にとって住みやすい環境が与えられた所でした。我々の祖先は、海や山から自然の恩恵を受けて生活していたことでしょう。特にこの場所は、現在でも海を臨むことの出来る小高い丘ですが、近代に入り、海岸線を埋め立てるまではもう少し高い山でした。東海道沿いに展開した子安の濱野漁師にとって、漁場を定める目印となっていたそうです。
 当然、漁師の信仰を集め、また東海道沿線ということもあり古くから小祠を以ってお祭りをしていたそうです。
 その後、永禄四年(紀元二二二一年、西暦一五六一年)九月一日第百六代、正親町天王の御宇、武蔵國(埼玉県、東京都大部分、神奈川県東部)の一の宮、元官幣大社氷川神社(埼玉県大宮市鎮座)の分霊を現在地に勧請したところから、「一之宮大明神、一之宮明神社」等と称されて居ります。
 江戸時代、徳川幕府の官撰地誌の最初である「新編武蔵風土記稿」にも収録され、白髯老神の伝説などもあり、連綿と祭祀が今に続いて居ります。
伝説の例
 元禄三年(西暦一六九〇年)七月、村内に疫病が蔓延した折、入江川畔に白衣長髭の翁が現われ、「吾は一之宮大明神だが、近来氏子村民が敬神の念乏しく、社殿は大破し、祭祀を怠っているために災禍が横行するのである。以降、祭祀の礼を厚くすれば疫病はなくなる」と告げた。そこで、神楽を奏し、神拝の式を行うと忽ち疫病がなくなったという。その他いくつもあります。



入江町徘徊 一之宮由緒 2003年1月12日

 また、新編武蔵風土記稿によれば、
(東子安村西子安村新宿村)子安一宮明神社は、岳の上にあり、数十級の石階を登り社前に至れり、本社は三間に四間半西南の方に向ふ、本地は繭十一面観音長二尺五寸立像作詳ならず、又鎮座の年歴来由等も傳へず、もと子安一村の頃よりの鎮守なれば今に至り三村共に當社を以て鎮守とせり、石階の下に石の鳥居をたつ、九月朔日を例祭とす、別當を遍照院といへり。末社三峯社。本社に向て右にあり小祠。庵。本社の側にあり、昔は作りも大なりしよし今は荒廃してわづかの草庵なり、本尊阿弥陀ここに起立せし年歴詳ならず。

 神仏習合の神社さんだったんだ。記述にある別當の遍照院さんは母の実家の檀那寺であり、父の宗派と同じ真言宗ののお寺さんで、私たち家族と所縁が深いお寺さんです。
 その一之宮さんには、鳥居の右手に凱旋記念碑や戦没者慰霊碑があります。平時に亡くなった方は仏様になりますが、戦争で亡くなられると、軍神になって祀られるのですね。


入江町徘徊 一之宮 日露戦争の砲弾碑 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 凱旋記念碑と日獨戰役紀念碑 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 日露戰役 忠魂碑 附満州事變 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 日露戰役 紀念碑 2006年10月22日

 そしてその脇になにやら小さなお社が・・・・・。更にその脇には長屋のようなお社が・・・。
 さて?ここに祭られていたのは、素蓋鳴(すさのう)尊、事代主(ことしろぬし)命、保食(うけもちの)命、面足惶根(おもだるかしこね)命、水速迺売(みずはやひめ)命なので、その神様のためのアパートなのか?


入江町徘徊 一之宮 社群 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 長屋のような社群 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 地神塔 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 社群 2006年10月22日

 それにこの封印された石碑は何だ。謎は謎を呼ぶぞ。
 ともかくも本殿に二礼二拍一礼をして参道に掛かると、ここはごらん通りの急な坂道になっています。この参道の脇はお祭りの時などのご縁日には、夜店が立ち並んで相当の賑わいを見せます。
 でも、年寄りには無理だね。私達ゃあ降りるだけだから、良いんだけどね。


入江町徘徊 一之宮 封印された社 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 急な階段 2006年10月22日

 色々な石碑や、これは何でしょう?富士山の浅間神社のミニチュアでしょうか。溶岩の固まりが置かれています。上から滝が落ちてくる仕掛けです。水は枯れていましたけどね。


入江町徘徊 一之宮 参道 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 富士山の溶岩 浅間山 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 孤立した狛犬 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 仔犬を抱いた狛犬 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 明治百年碑 2006年10月22日

この石碑は由緒のあるものかと思いましたが、どうやら昔の漁師さん達の祈願のものらしかったです。


入江町徘徊 一之宮 四百年祭記念樹 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮大神 大変立派な碑 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 木遣塚 2006年10月22日

一之宮 皇紀二千六百年記念常夜燈三對奉納 2006年10月22日

入江町徘徊 一之宮 中腹の参道 2006年10月22日

子安の網元邸?

 子安の浜も生麦と同様に漁師町として栄えた所です。しかし昭和30年台にコンビナートの台頭と共に消えていきました。
 今は釣り船屋さんが残るのみです。その一宮さんの裏手に回ると大きな門構えの豪邸があり、何かこの地域にそぐわないので、不審に思ったCaccoが塀中を覗き込んで写真を撮っちゃいました。
 神社さんの持ち物かと思いましたが違うようです。昔の網元さんの豪邸かも知れません。


入江町徘徊 立派な門構え 2006年10月22日

入江町徘徊 侘び寂び 茶室の様に凝っている 2006年10月22日

入江町徘徊 菱に笹竜胆 2006年10月22日

入江町徘徊 三引紋 2006年10月22日

 これが内部です。Caccoは「廃墟だ!廃墟だ!」って言ってましたが、中で電灯が点いているってことは人が住んでいるってことじゃあ・・・。
 このお宅、吉田長作さんってお家だったと思う。Internetで探ってみたがなんの記述もありませんでした。


入江町徘徊 屋根のむくりが優雅 2006年10月22日

入江町徘徊 奥にも屋敷が 2006年10月22日

入江町徘徊 庭も凝っている 2006年10月22日

入江町徘徊 そして意外に広い 2006年10月22日

入江川

 この前の通りをほんの数歩歩くと、入江川の岸辺に着きます。水位が高くて水が澱み昏い水の色をしてます。怖いなあ。子供の頃からこの辺りを歩くと、江戸川乱歩の小説の世界、というよりはそこに描かれていた挿絵のおどろおどろしさを目の当たりに感じていました。


入江町徘徊 川面が近い 2006年10月22日

入江町徘徊 幽霊が出そう 2006年10月22日

入江町徘徊 怖くて通れない 2006年10月22日

 鉄橋の下を潜り抜けると、子安の浜。かつてはね。
 今は入江川運河に続く殺風景なところです。


入江町徘徊 昔はここが海 2006年10月22日

入江町徘徊 入江橋 2006年10月22日

 でも、こんな処にも江戸時代か明治の時代の道祖神的な石仏が並んでいます。時代を感じるなあ。


入江町徘徊 道祖神 2006年10月22日

入江町徘徊 海際の橋台 2006年10月22日

もう少し歩を進めて見ましょう。少し戻って入江川を渡ると、そこは明治乳業の配送所です。裏手はこんな感じ。


入江町徘徊  2006年10月22日

入江町徘徊 大正10年の明治乳業あたり

入江町徘徊 明治乳業あたり 2006年10月22日

この辺りの川岸は、水の色や潮の匂いが如何にも海が近いことを教えてくれます。河岸と表記するほうが相応しいなあ。

大安寺

 くねくねと入り組んだ仕舞屋を通り抜けると、横浜線の暗渠が見えてきます。暗渠も小さいながらもトンネルです。良いんじゃないのって、想いを残しながら更に行くと大安寺に辿り着きます。


入江町徘徊 横浜線盛土の暗渠 2006年10月22日

入江町徘徊 暗渠はアーチ構造の石積み 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺 狭い道を行くと 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺 廃墟がお待ちかね 2006年10月22日

 このお寺さんは漁師町にあって、大いに栄えたようですが、東海道線や近在線の整備に伴い土地は切り取られ、お寺さんに行くアクセス道路も狭い昔ながらのものです。


入江町徘徊 大安寺山門 2006年10月22日

入江町徘徊 浄土宗大安寺 2006年10月22日

入江町徘徊 寶樹山 喜楽院 大安寺 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺 2006年10月22日

 写真は大正10年のもの。まだ周辺は広々しています。現在は狭い敷地を工夫して数々の宿坊とか不動堂とかが建てられていました。


入江町徘徊 大安寺 大正10年頃

入江町徘徊 大安寺本堂 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺地蔵堂 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺不動堂 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺阿弥陀堂 2006年10月22日

 その中で目を引いたのが、これ、郵便ポストです。これ、見たことあります。由佳ちゃんちで。
 プロパンガスのボンベの再利用で郵便ポストを・・・・やはり地球の資源は限りのあるもの。お寺さんはやはり地球環境を深く考えているのかなあ。


入江町徘徊 大安寺 ポスト 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺 ポスト 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺 水盤 2006年10月22日

入江町徘徊 大安寺 笹竜胆か? 2006年10月22日

参照写真:「わが町の昔と今-神奈川区編-」


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