スタンダード石油社宅 2006年5月3日
タツオトさんの記事の中で、吾妻ひでおの「失踪日記」について触れてありました。学生時代、漫画家の卵たちと新宿の喫茶店
※1に集って、互いに同人誌を持ち寄っていた頃に、この人がぽちぽち雑誌に載るようになって来ました。手塚治虫の主催した「COM」
※2や青林堂の「ガロ」
※3の作風とはやや受け入れないものでした。
この頃から、この人、抜けていて善いなあと思っておりました。このように抜けるという作風(微妙な表現ですが、気負いが無いという感じかな)は、この人以外には倉田江美さん、新田辰雄さん、最近では西原理恵子さんです。
話が逸れますが、西原理恵子さんは中々綺麗な人で作風とギャップがあるので嬉しくなります。
で、うさおが吾妻ひでおさんを好きなので、Caccoがうさおにこの本を買ってきてくれました。それがなんと手塚治虫賞を獲ってしまうなんて吃驚です。この人が途中アル中で漫画界から消えっていたのは知っていましたが、ホームレスの仲間になっていたのまでは知りませんでした。
スタンダード石油社宅 吾妻ひでお失踪日記 2006年5月3日
横浜から色々な遺物が失われつつあります。歴史遺産的な建物ならともかく、特に住居などの建物はとても危うい状態です。横浜市の財政が乏しいこともあり、地域の開発に伴い歴史的建造物が朽ち果てたり、撤去されたりします。
今回の旧スタンダード石油の社員住宅や倉庫も同様な憂き目に会っています。来年にはこれらの建物は無くなっているかも知れません。
という記事が新聞に載っていました。保護団体も出来上がっていました。最近の人は何か行動が早いなあ。これも
internetのお陰かも知れない。
JRさんの調査を色々していると、60,70歳代のクレーマーが手にパソコンから打ち出したデータを持ってきて、何だかんだと迫ってきます。いい加減なことを言うと、彼らは一旦家に帰りinternetを検索し、色々探してみたがそんな法的記述は無いじゃないかと、更に厚い資料を持ってきます。あまりにも情報過多だよな。
さて、横浜の根岸というよりは三渓園の裏側に、八聖殿という横浜市の郷土資料館があります。日本における詩吟の全国大会の発祥の地という碑が建っています。本当に横浜は何々の発祥の地って表現が多いなあ。横浜の地理があまり良く判らない人のために、地図を載せておきます。実はうさおも三渓園はよく行ったものの、八聖殿なんて知りませんでした。今回、初めて行きました。
スタンダード石油社宅 このあたりの地図 googleより 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 八聖殿の坂道 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 八聖殿参道 2006年5月3日
今まではその名前から結婚式場かなんかだと思っていました。
この八聖殿の脇にあたる横浜の海を見下ろす高台に、旧スタンダード石油の社宅がありました。これが今回のテーマです。
ちなみに八聖殿とは八人の聖人を祭ったことに由来するもので、東洋西洋の8聖人(キリスト、ソクラテス、孔子、釈迦、聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮)を表しているのだそうです。あまり脈絡は無いなあ。どういう基準があったのか。
八聖殿は、パンフレットによると、法隆寺の夢殿を模したもので三層楼八角形の建物です。熊本出身の逓信・内務大臣を歴任した安達謙蔵(1864~1948年)が建立し、昭和8年に完成したとのこと。
この人のこともあまり知らないね。場所も判り難い所にあり横浜市民のうち、何人が訪れるのでしょう。三渓園は年間何万人と訪れるのでしょうけれどね。
さて、昭和12年に八聖殿は横浜市に寄贈されました。建物の一帯は本牧臨海公園(三渓園が有名)として整備されました。昭和48年には「横浜市八聖殿郷土資料館」としてリニューアルされ、郷土歴史資料館となりましたが、本牧、根岸の写真や農具や漁具が展示されているだけですので、ものすごく地味です。
スタンダード石油社宅 八聖殿外観 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 八聖殿入口 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 宣立沖天碑と八聖殿顕彰碑 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 詩吟大会発祥の地 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 建物入口 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 建物外観 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 安達謙蔵領得の碑 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 八聖殿外観 2006年5月3日
話が少し飛んじゃいましたが、この大変眺めの良いところに旧スタンダード石油の社員寮が建っていました。今はほんの一棟だけがバリケードの中にぽつねんとしています。この建物がなぜ注目されているかというと、フランク・ロイド・ライトの弟子だった、アントニン・レーモンドが設計したものだからです。うさおの卒論の指導教授は、このレーモンドと共に群馬音楽センターの音響設計を行っていました。専門は能舞台でしたが・・・。その所為か、レーモンドという設計家には興味を持っていました。
スタンダード石油社宅 旧スタンダード石油社員寮 2006年5月3日
アントニン・レーモンド(1888-1975)は、チェコ人の建築家で、戦前から戦後にかけて日本で数々の実績を残し、多くの後進を育てたことから「日本近代建築の父」と呼ばれています。建築物は近現代建築史の上で価値が高く、県内でも藤沢市内に建設された「グリーンハウス」(旧藤沢カントリー倶楽部クラブハウス)は、所有者の県と住民らが協力して保存と有効活用が図られています。
スタンダード石油社宅 アントニン・レイモンド 2006年5月3日
さて旧スタンダード石油社員寮はアントニン・レーモンドの再来日、直後の設計です。特に景観に配慮し、高低差のある地形や自生する木々を巧みに設計に取り入れ、地所と一体となった建築を完成させたとして有名です。銘版では白石建設が施工しています。そして、アントニン・レーモンドと共に仕事を出来たことを、今も誇りにしています。
スタンダード石油社宅 社員寮の下の道路 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 白石建設の銘板 (平沼横浜市長) 2006年5月3日
本牧の4つの住宅は旧スタンダード石油の外国人社宅として、1949年から1950年にかけて建てられ、平屋が3戸と小高い丘の上方に二階建て1戸でそれぞれが110坪(363平方メートル)以上あった。(うち平屋2戸はすでに失われている)
コンクリートの打放しの躯体に立板張り、大型の木製ハイサッシュがはめ込まれたモダニズム感溢れるデザインで、50年代初頭のアメリカン・ライフスタイルを今に伝える、生活文化史的観点からみても重要な建築物である。
また、レーモンドの代表作「リーダーズ・ダイジェスト東京支社」とほぼ同時期に建てられており、特に「芯外し」とよばれるレーモンド独特の手法が用いられていることや、当時の日本での最高水準であったコンクリート打ちの工法(日本で初めてコンクリートの振動打込機を使用して建てられた建物と推測されている)など、建築史的にみても価値の高いものである。(旧本牧スタンダード石油社宅とその景観を救う会より)
スタンダード石油社宅 木立の中に垣間見える社員寮 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 崖の上に突き出すように片持ち梁で支えている 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 中に入れなかったので、この位置から撮影 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 取り壊し計画の図面 2006年5月3日
スタンダード石油社宅 本牧の町の丘の下から張出部を撮影 2006年5月3日
この地に行ってみるとリクルートコスモスによって、開発が始まっており、新聞の横浜版等では
「終戦後に米軍に接収された横浜・本牧を象徴する一九五〇年代のアメリカンスタイルの邸宅として、ほぼ完全な形で残されている「旧スタンダード石油社宅」が、取り壊される可能性が出てきた。現在の所有者で不動産販売・仲介のリクルートコスモス(東京都港区)が分譲住宅を建設するためだ。八日開始予定だった解体計画は、横浜市教育委員会が同社に協議を申し入れたことなどにより、いったん「未定」となったものの、保存を望む人たちから「協議の行方が心配」との声が高まっている。」そうです。
危ないなあ。本当にすぐに無くなってしまいそうだなあ。
初夏の時期でもあり鬱蒼とした樹木が茂っており、はっきりとその全容が見れなかったのが残念だったね。今でもレーモンド設計事務所というのがありますが、その流れを汲む設計事務所なのだそうです。なんかすごくノスタルジックで良いですよね。
※1 マンガ喫茶
今のように24時間制で漫画本を読ませると言う喫茶店ではなく、店の中の壁に漫画家の原画を貼っており 漫画家の卵が集まってわいわい騒いでいた。新宿の「コボタン」がとりわけ有名で、手塚治虫、石森章太 郎、永島慎二、聖悠紀などが特集?されていた。うさおも新宿に下宿していた漫画家のアシさんの友人とよく行きました。
阿佐ヶ谷には「ぽえむ」がありました。健ちゃんの読書リストの中にも少し触れられてるよ。
※2 COM
手塚治虫が起こした漫画商業誌。新人の発掘に精力を注いだが、虫プロの経営破綻で消えていった。青柳裕介、長谷川法世、宮谷一彦、やまだ紫、岡田史子らがいた。
※3 ガロ
白土三平を筆頭にCOMが洋風な作風とすると、和風の作風の作家が多く集まった。つげ義春、林静一、池上遼一、永島慎二、内田春菊、蛭子能収、水木しげるなど結構、個性派揃いだ。