深谷煉瓦工場専用線 2006年3月6日
今日も沢口靖子似の女性に出会いました。相変わらず足が速い。1秒で0.5m は引き離される。私と併走する男性は私と同じ速度で歩いている。私だけが遅い訳ではなさそうだ。彼が少しリードをとってきた。道をふさいで牽制する。ふんっ。朝のお散歩の柴犬君と出会う。おはよう!にこっ。
ゴミ捨てに来たおばさんも犬を小脇に抱えている。
あっ、気がつくと沢口靖子は100m も先に、おじさんには3m も離されていた。
深谷煉瓦工場専用線 パーキングのドックラン こんな処、久し振りだね! 2006年3月6日
楽しい毎日を熱く語ったので、さて、今回のテーマですが自分の記憶と言うものが、どこまで確かなものなのかということを実際に探って見ました。うさおがまだ三歳になるかならないかの頃の記憶です。
深谷の煉瓦工場に遊びに行っていたと言う記憶があります。勿論、その当時は煉瓦工場だなんて知りもしません。後から大人たちに教えてもらった情報です。
心象風景としては、こんな風です。
① たぶん工場の地下通路です。終戦直後のこと、荒れ果てたままに施設が放置されていたのでしょう。水が溜まっていて、あの当時読んだ手塚治虫の「メトロポリス」(だっけな?)がイメージされます。結構おどろおどろしい感じがありました。怖かったよ。
深谷煉瓦工場専用線 2006年3月6日
② 夕暮れの景色ですが、もの寂びた感じでにょきっと煙突が立っていました。この辺りに高い煙突はないので、この煉瓦工場のものでしょう。中島飛行機の工場もあったようですが、利根川を渡った向こう岸と聞いていますので、幼い子供のことそんなに遠くは行かないでしょう。工場の外壁や窓も壊れていたように思います。記憶の中では、どうも近所の子供らとだけで遊びに行ったようです。
深谷煉瓦工場専用線 2006年3月6日
数年前、日出彦さんと深谷の本家に墓参りに行ったことがあります。こんな所だったっけという思いでした。
小山川の土手で母と蓬を取り、蓬餅を作った記憶があります。小学生の時に遊びに行ったときには、牛君が遊んでいた記憶もあります。その小山川も通ってみましたがぜんぜん記憶に触れるものはありませんでした。
その煉瓦工場ですが、今は痕跡もなく無くなっているものだと思っていました。地図で調べて見ると何と煉瓦工場はまだ残っています。おおっ。
で、行って見ました。
深谷という街は今も昔も閑散としています。今回もこの街を車で走って見ましたが、信号というものがほとんどありません。まるで北海道の原野を走っているようです。
しかし、その町並みは30年前の古き善き時代の香りをすごく残しているなと感じたのは私だけでしょうか。
が、それも深谷駅の近辺で様相は激変します。荒船清十郎が肩入れをした深谷駅は、文明開化の波をどっぷりと受けて、すっかりヨーロッパをしていました。
深谷煉瓦工場専用線 信号の無い深谷の道路 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 信号の無い深谷の道路 2006年3月6日
ご覧のように信号がありません
深谷煉瓦工場専用線 ミラノ;中央駅 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 深谷;中央駅みたいな 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 煉瓦の深谷駅 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 深谷駅 2006年3月6日
まるでミラノの中央駅のようです。(ん~・・・ちょいと違うかな?)
もっとも、ヨーロッパしているのは駅と隣接するホテルの界隈だけですが。
少しはずれると交差点の四辻にカラオケボックスがありました。そこだけが深谷の娯楽の総合商社のようで、「魚民」やパーラー(パチンコ屋ね!)が併設されており、このような景色は周りがさっぱりなのに「ここが繁華街です」って言っているようで、侘しさがいや増しますね。
ライ隊員とcacco 隊員もまるでベルリンかミュンヘンにでも行っているようです。よく、「笑金!」の「ヒロシねた」にならなかったものです。
深谷煉瓦工場専用線 駅のトーンに合わせた街並み! 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 深谷の目抜き通り。魚民の看板が目につく 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 どう見てもヨーロッパの町を歩くライ隊員 2006年3月6日
さて、深谷は鶴見線の時に書きましたが、明治の経済王、澁澤榮一氏の出生の地です。翁の像が駅前に鎮座ましましていました。(なんだ、この文章は!面白いじゃないか!)
翁は「青淵」と号し公園に銅像がありました。うさおの記憶の中の工場、「日本煉瓦製造」の創設者が澁澤榮一氏であることは有名です。
あの異端の文豪、澁澤龍彦も氏の子孫らしいよ。うさおは「帝都物語」に出てくる澁澤榮一氏しか知りません。(勝新太郎だったかな!)
深谷煉瓦工場専用線 青淵公園 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 澁澤青淵翁 2006年3月6日
この公園の写真を見て判ったことがあります。確かに休日に出かけたこともありましたが、人通りの少ない町並みな割りに、ベンチで休んでいる人がなんと多いことか。
ヨーロッパのような街にも、青淵広場にしてもなんでこんなにいるんでしょうか?初めはまったく気づきませんでしたよ。
それではここで煉瓦工場に至るまでの道筋を航空写真で見て見ましょう。駅から出た専用線跡が、弧を描いて北に伸びているのが判ります。
深谷は水田がほとんどありません。畑がほとんどで、麦や陸稲、菜の花や葱が主なものでした。菜の花は酪農の牛君の食べ物です。勢い、「葱」だけが「深谷葱」として有名になりました。
深谷高校や住宅街を抜け、その畑の中を鉄道は走っていました。黄色の補助線を付けておきましたよ。
埼玉グランドホテルの脇を通り、高崎線に沿って歩くと橋に出会います。そこを渡り、住宅街を大きく曲がります。
愛車「それ行けトマソン3号車」で行くと、楡山神社の前を曲がり、明戸村の前を西に折れ、再び専用線を横切ります。
そこには「泉光寺」という大きなお寺さんがありました。
この辺りは上州の香りのする所です。
深谷煉瓦工場専用線 googleより上空写真 2006年3月6日
上州と言えば、
「お頼のん申します、お頼のん申します。こちら兎屋犬五郎さんとお見受けいたします。お控えなすって。」
(どうぞ、旅先の兄さんより先にお控えなすって。)
「それじゃあ、仁義になりやせん。お先にお控えなすって。」
(それでは控えさせていただきます。)
「早速のお控え、有難うさんでござんす。軒先三寸借り受けましての仁義、真っ平ご免なすって。手前、生国と発しますは、関東でござんす。関東、関東といっても、兄さんご存知様にいささか広うござんす。
関東は紫の不夜城、新宿より発しまして、北に十三里離れました所、武州は深谷でござんす。深谷、深谷と言っても広うござんす。
大利根河原で産湯を使い、大里郡大字明戸西畑村に、住居邯鄲、仮の炊爨仕ります、お見かけ通りの若輩者でござんす。
姓名の儀、声高に発します・・・。」
ご存知の鉄火仁義の切り方の一説ですが、「ござんす」が良いでござんす。
昔は映画で中村錦之助なんかの江戸前の啖呵を聞いて育ったのですが、最近は香具師さんでも仁義は切りませんねえ。
では散策順にご紹介しましょう。
駅を出ますと、線路沿いに遊歩道がありますが、これがその名残です。
散歩道と自転車道に分かれています。最近それが変更になったらしく私たちの後ろから自転車が来て、ベルを鳴らされました。
深谷煉瓦工場専用線 遊歩道 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 このような遊歩道が延々と続きます 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 煉瓦製の中央分離帯 2006年3月6日
煉瓦工場の専用線ということで、中央分離帯に(散策路と自転車専用道とに分かれています。)煉瓦が置かれています。昔を知る人にはノスタルジックなものでしょう。
深谷煉瓦工場専用線 つばき橋 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 つばき橋の椿のレリーフ 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 つばき橋を渡る 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 東橋からつばき橋を望む 2006年3月6日
しばらく行くと唐沢川に橋が架かっています。「つばき橋」です。これを横から見ると、昔のデックガーダーをそのまま利用したものだと判ります。
欄干の半円形の中は、椿の花で埼玉県の花だそうです。全体的に煉瓦の雰囲気を醸しているのだけれど、艶艶し過ぎてなんだか偽者っぽいなあ。
深谷煉瓦工場専用線 漫画喫茶花ぐるま 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 花ぐるま店内 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 花ぐるま店内 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 これがスープ・スパゲティか!驚くうさお! 2006年3月6日
もうしばらく歩いて行くと、「花ぐるま」という喫茶店に差しかかります。ここは面白い喫茶店で、店の中には漫画本がぎっしりと積まれていて壮観です。手塚治虫の貴重な本も無造作に横積みされており、漫画収集癖マニアには目の毒なお店ですね。
ここで昼食を取ることにしました。メニューにはスープ・スパゲッティがありました。 割にお洒落ですねと頼んで見ます。あれ?出て来たのは湯麺か?中華丼ぶりのような器に、白スープが。
「おい、これ違うよ!」って言おうとした矢先に、cacco が「おいしそうじゃない?」と丼を指さした。ああ、これがスープ・スパゲッティなんだって納得。
口に入れて見ると、やっぱりチャプスイのような中華味の細麺うどんでした。それなりに美味しかったけど。
深谷煉瓦工場専用線 深谷宿常夜灯 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 洋館 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 小洒落た洋館 2006年3月6日
先に進むと、大きな石灯籠がどでんと。昔の宿場跡のようです。「深谷宿常夜灯」とあります。
この灯篭の前のステンレスのポールのところに、直行する形で専用線が走っていました。
この界隈に残る建物もその昔は繁栄の時があったであろうと思わせるものが多かったです。土地の分限者の家に不釣り合いなハイカラな洋館であるとかね。
深谷煉瓦工場専用線 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 あったかい処 好きです 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 深谷中央病院 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 埴輪群 デストロイヤー? 2006年3月6日
意味不明な石塔も道路脇にありました。しばらく走ると田畑の中に立派な病院(深谷中央病院)が現れます。ここには何か感じられる祠が存在します。
それに変な埴輪です。って言うか、ザ・デストロイヤーじゃん。(歳が判っちゃうか?昔から格闘技ファンでした。)
深谷煉瓦工場専用線 楡山神社その1 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 楡山神社その2 2006年3月6日
専用線からは外れますが、少し行くと楡山神社です。なにやら由緒のある有名な神社さんのようですが、こんな田舎道なのに道路に車止めのポールが建ててあって車を停めることが出来ませんでした。
まっ、神社さんの外観はこんな感じです。御神域の大鳥居の脇に楡の古木があることから、楡山社と呼ばれています。樹齢一千年だそうで天然記念物に指定されています。「八咫烏」を祭ってあり、子供の頃に神武天皇の東征の話を聞かされた思い出があります。
深谷煉瓦工場専用線 明戸村入口 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 深谷の畑 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 2006年3月6日
さて、明戸の交差点を越し左に曲がると、また専用線に行き当たります。
ここから太古の遺跡が出たのでしょうか?この先の遊歩道にも道路との境には必ずこの埴輪が出てきます。泉光寺さんという大きなお寺さんが右手に見えます。
その先にあの待望の煙突が二本聳えておりました。
早く行ってみたいな!
深谷煉瓦工場専用線 備前渠由来 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 備前渠鉄橋 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 備前渠鉄橋 ここを専用線のトロッコが走っていた 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 備前堀の空渠 2006年3月6日
ここは備前渠鉄橋です。小山川が増水したときや田畑に水を供給するときに堰を開けて水を流したのでしょう。私たちは備前濠と言っていました。
深谷煉瓦工場専用線 分水路の堰 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 深谷方面を望む 2006年3月6日
備前渠鉄橋
重要文化財(建造物) 平成九年五月二十九日指定煉瓦輸送専用線用に架設された鉄橋である。操業当初からの輸送手段であった利根川舟運は安定した輸送力に欠け、燃料や製品の輸送に度々問題が発生した。これを解決するため建設されたのが本専用線であり、明治二十八年、深谷駅との間で日本初の民間専用線として運用を開始した。
専用線には四箇所の鉄橋が架設されているが、唐沢川、福川、備前渠には、当時の鉄道院技師、イギリス人チャールズ・アセトン・W・ポーナルが基本定規を設計したI 字形鋼板を橋桁とする「ポーナル型プレート・ガーダー橋」が採用された。中でも本鉄橋は十五・七メートル(約五十フィート)と、専用線中最長の橋桁を有している。また分岐する用水路に架設された煉瓦アーチ橋は、長さ約二メートルと小規模ながら、完全な煉瓦構造と推定される責重な構造物である。
文化庁・埼玉県教育委員会・深谷市教育委員会
ここは「鉄ちゃん」たちには有名なところらしく、部下の鉄ちゃんも知っておりました。延々、二時間も話されちゃいましたけどね。大体鉄ちゃんという人種はお話好きです。 どんなマイナーな人に知られていないところでもきっちり、二時間話します。この鉄橋の由来は看板にしっかり書いてありました。
深谷煉瓦工場専用線 ショッキングな説明が 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 画像を勝手にお借りしました ぺこり 2006年3月6日
しかし、ショックな事実が判明しました。煉瓦アーチ橋があると記述されているではありませんか。
ええ~?どこに~い?
答えはこの看板にありました。看板の脇のフェンスに煉瓦積が。鉄橋の橋脚と繋がっていたんで見過ごしてしまいました。
口惜しい~!
この分水路の取水口で気が付かなければなりませんでした。この向こうに「新井用水」が通っていたのです。鉄橋を渡ったすぐ真下にこのアーチ橋があったのです。
この橋は煉瓦アーチ橋としても有名で、ホームページにも掲載されていました。橋の上のフェンスが看板と鉄橋を結んでいたフェンスで、この上に立ってきょろきょろしていた訳です。
この鉄橋以外に何か遺跡が残っていないかと、護岸や地下水路を探っていたうさおは・・・。
深谷煉瓦工場専用線 崩れた煉瓦護岸 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 レンガで積まれた護岸跡と地下水路跡 2006年3月6日
漸く煉瓦工場に辿り着きました。休日でしたけど門は開いており、工場は動いておりましたが、事務所に人はいませんでした。おまけに資料館もお休みでした。
資料館はこの煉瓦の製造法を教えに来ていたドイツ人の宿舎だったらしく、これも重要文化財になっていました。
深谷煉瓦工場専用線 正門 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 資料館 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 旧煉瓦製造施設 旧事務所 2006年3月6日
重要文化財(建造物)
平成九年五月二十九日指定
建物は明治二十一年頃の建設で、煉瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったナスチエンテス・チーゼ技師が住居兼工場建設事務所として使用したと伝えられている。地元の人々からは「教師館」、「異人館」の名で呼ばれていた。
日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量供給する民営工場として、渋沢栄一らが中心となって設立された。工場建設地は、当時政府に招かれていた建築技師ウィルヘルム・ペックマン、チーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され・良質の原土を産出し、水運による東京への製品輸送が可能な現深谷市上敷免 新井に決定された。チーゼは娘クララと共に明治二十二年十二月に帰国するまでここで生活し、彼の帰国後は会社事務所として使用された。
文化庁
埼玉県教育委員会 深谷市教育委員会
深谷煉瓦工場専用線 ホフマン輪窯六号窯 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 ホフマン輪窯六号窯 2006年3月6日
日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦造施設
ホフマン輪窯六号窯
重要文化財(建造物)
平成九年五月二十九日指定
ドイツ人窯業技術者フリードリッヒ・ホフマン考案の大量生産用煉瓦焼成窯である。全長五十六・五メートル、幅二十メートル、高さ三・三メートルの総煉瓦構造である。内部には十八の焼成室があり、各室に煉瓦の搬出入口、燃料の石炭投入口、排煙口が設置されている。この焼成室を業火が巡りながら常時煉瓦を焼成することにより、月産約六十五万個の煉瓦生産高を実現していた。操業当時、窯は地上三階の木造上屋に覆われ、二階は燃料投入室、三階は煉瓦乾燥室とされた。
本窯は明治四十年頃に建造され、昭和四十三年までの約六十年間生産を続けた。現在上屋は撤去されたが、残った柱材、二階床面と燃料搬入用のトロッコレールが操業時の様子を伝えている。煙突も当初煉瓦構造だったが関東大震災により倒壊、現在の鉄筋コンクリート構造となった。
文化庁
埼玉県教育委員会 深谷市教育委員会
深谷煉瓦工場専用線 工場内 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 資料館前 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 展示コーナー? 2006年3月6日
工場の庭には実物が展示されていました。(と言うより耐侯性試験のようでしたが)社歴はなんと100 年にも及ぶようです。社のマークは極真会館のそれのようで、四方手裏剣に日輪でした。
そしてこれも国指定の重要文化財になっている輪窯の工場です。これじゃあないんでしょうかうさおが憶えているのは。お社があって「恒徳神社」とありました。こんな怖いとこに遊びに来たのかな?
深谷煉瓦工場専用線 恒徳神社 2006年3月6日
この脇に70 年記念碑もありました。
深谷煉瓦工場専用線 70周年碑 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 70周年碑 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 100週周年記念碑 2006年3月6日
そして帰る道すがら、こんなところに曰くのありそうな碑があるので見てみると、「講道館 金子道場 師範金子震一先生」とある。「先生は多年に亘り講道館柔道の普及と発展に力を注ぎ多数の門人を育成しこのたび還暦を迎えたので、門人有志にて記念に此の碑を建立する。」
深谷煉瓦工場専用線 講道館 金子道場 師範金子震一先生碑 2006年3月6日
さて、後ろのほうでCacco隊員が撮影しているのは、なにやら怪しい雰囲気のある塚であった。土饅頭のように小高い築山。祟りそうなお社!
煉瓦製に見えるお社の屋根は片方無い!中にお手長さまの文字が。お手長さまと聞くとつい、手長猿をイメージし猿田彦が奉ってあるもんだと思っていました。
ここには「天手長男神社」が祭ってあるのでしょう。
お手長さまの素性はよく判りませんが、天手力男命とよく似ています。天手力男命は「てじからおのみこと」のことで、天岩戸を開けちゃった人ね。お手長さまは穀物の神様とも、火防ぎの神様とも言われています。
まったくの別人かもしれません。天手長男神社は、壱岐國の一の宮ですが、もともとは物部氏の氏神ですから、曾我氏に滅ぼされた神としての祟り神かも。
明治の時代から、寄居町小園の壱岐天手長男神社が広く講社を持っていたとのこと。深谷のこの地にも根強い信仰があるのかもしれません。
深谷煉瓦工場専用線 お手長さま 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 お手長さま 2006年3月6日
深谷煉瓦工場専用線 お手長さま 2006年3月6日