剱崎燈台  2004年6月27日



 さて、剱崎燈台は、ちょっと寸の足りない感じのする燈台ですが、まあまあ威圧感があります。間近に見ますとちょいとしょぼいですが、ご愛嬌でしょう。でも、観音崎燈台、城ヶ島燈台に続いて、日本で3番目にできたのがこの剱崎燈台ですので、所謂日本の近世の燈台の歴史は、三浦半島から始まったといえますね。
 そうやって考えると、凄い、凄い。小高い丘を上り下りして、石畳の小道を登り切った所に燈台が見えてきます。


剱崎燈台 彼方に剱崎燈台 2004年6月27日

剱崎燈台  2004年6月27日

  〜東京湾の入り口にある灯台〜
 この灯台は、1866年(慶応2年)の江戸条約に基づき、明治政府が1871年(明治4年)に設置したもので、三浦半島の南東端に位置し、対岸の房総半島にある洲埼灯台と対で東京湾の入り口を表しています。
 晴れた日は灯台から、房総半島の館山から伊豆大島、新島さらに伊豆半島までを展望できます。
 剱崎の名称は、萬治(1660年)の頃、徳川幕府の管財を積んだ船が三崎の沖で難破した時、岬の突端から海南神社の神主が剣を海に投じ、竜神の怒りを鎮めたことから生じたと言われています。
(後略)

位置      北緯 35度08分29秒
        東経 139度40分38秒
光り方     30秒毎に白光を2閃光と緑光1閃光
        (複合群白緑互光)
光の強さ    48万カンデラ
光の届く距離  17.5海里(約32キロメートル)
高さ      地上から灯台頂部 17メートル
        水面から灯火  約41メートル
管理事務所   第三管区海上保安本部
         横須賀航路標識事務所
         電話0468-41-2864 



剱崎燈台  2004年6月27日

剱崎燈台  2004年6月27日

 観音崎燈台と同様に八角形の燈台です。設計者は、リチャード・ブラントン、大変有名な燈台の設計士で、納沙布岬や、犬吠崎の燈台を設計しています。
 葉山の御用邸が近いこともあり、皇太后のご行啓の碑が建っています。(細長い将棋の駒みたいな格好をしています)


剱崎燈台  2004年6月27日

剱崎燈台  2004年6月27日

剱崎燈台  2004年6月27日

剱崎燈台  2004年6月27日

剱崎燈台  2004年6月27日

    剱崎の由来
 劒崎の名の起こりは、徳川時代の萬治年間であると言われている。徳川幕府の管財を積んだ五百石船が、この沖で暴風のため難破し、木材もろとも船は海底に沈んだ。そこで海南神社の神主が海に剣を投じて竜神の怒りを鎮めてもらおうと祈ると、すぐに風波が静まり、沈んだ官の木材がことごとく浮かび出たという。それをくり船で磯に運んだという。これにより、この地を劒崎というようになったと伝えられている。
 また、断崖の上に立つ灯台は、明治4年に点灯、震災で破損後、大正15年に再建され、千葉県野島灯台とともに東京湾の重要な灯台です。
環境省・神奈川県

 この燈台には、子供の燈台があり、間口港の突先にあるものです。ここに、鳶が営巣しているようで、ご覧のようにここでテリトリィーの見張番をしています。本当の巣は手前の岬の森にあるのでしょう。猛禽類が人間と共住しているというのは、あまり例が無いらしく、欧米では驚嘆の的です。


剱崎燈台 間口港燈台 2004年6月27日

剱崎燈台 間口港燈台 鳶の営巣になっています 2004年6月27日

剱崎燈台 間口港燈台 2004年6月27日

剱崎燈台 ねっ.鳶がいたでしょ 2004年6月27日

 対面する丘には、電波塔が建っています。電波塔は今はとっても近代的ですが、大東亜戦争の時にはもっと違った威容をしていたと思います。さてこの電波塔の脇には、戦時中のものと思われるべトン(コンクリートのことね!)の建屋があります。燈台 のすぐ近くの松輪には、畑の中に高射砲の砲台跡があり、これも何らかの戦争遺跡だと思われます。


剱崎燈台 剱崎の電波塔 2004年6月27日

剱崎燈台 剱崎の電波塔 金田湾の探照灯倉庫の裏にもあった 2004年6月27日

剱崎燈台 剱崎の電波塔の付属する建物 2004年6月27日

 さて、ここには、なんと貞子の井戸が存在しました。
 ここです。昼、尚暗き崖の傾斜地に突如として現れた件の井戸。そこには封印と魔除けの言葉が掲げられていました。魔除けの言葉は以下の如し。
 「矢の根井戸 源為義の第八子、源為朝は幼少より傍名無人で十三歳のとき、父為義により九州へ追放されたほどですが、その九州でも武威を大いに発揮、土地の豪族を征服して、みずから鎮西八郎為朝と称して勢力を振るいました。しかし、その為朝も「保元の乱」では、藤原頼長の判断力の欠如から作戦の策を用いられず、これがもとで敗退、ついに平清盛の武将平家貞の捕えるところとなりました。ただし、その武勇を惜しむ声により、死一等を減じられて伊豆大島に流罪となりました。
 きのうの威とはうって変ったきょうの悲運、為朝は流人の島から「わが弓勢昔に変らずや」と、鎌倉に向かって矢を放ち、せめてものうさ晴らしをしたと伝えられていますが、その矢が誤ってここに落ち、その矢の立ったこの地点から泉がこんこんと湧きでて、井戸となったので「矢の根井戸」と呼ばれるようになったと伝えられています。 三浦市」


剱崎燈台 竜宮祠、祠の裏に小さな洞窟がある 2004年6月27日

剱崎燈台 貞子の井戸と墓石? 2004年6月27日

剱崎燈台 貞子の井戸(矢の根井戸の由来) 2004年6月27日

剱崎燈台 ライ隊員、おしっこ懸けちゃだめだよ 2004年6月27日

 ああ、恐ろしいものを見てしまった。

 さて、意気地の無いライ隊員の勇姿をお見せしましょう。ご近所トマソン隊員なんでしょ!勇気を見せてください。ライ隊員。
 下り坂では、完全に腰の引けてしまっているライ隊員。足が前に進みません。
切り立った崖の小道では、うさお隊員にSOS!抱っこしてもらっての南側岩礁の踏破です。


剱崎燈台 じゃあ出かけようか 2004年6月27日

剱崎燈台 お父さん、ここ怖くないすか 2004年6月27日

剱崎燈台 てへへ・・・その一歩が前に出ないライ隊員 2004年6月27日

剱崎燈台 あれ、前方に何かの遺跡が 2004年6月27日

剱崎燈台 これは戦争遺跡とも、漁具の格納場所とも言われています 2004年6月27日