観音崎燈台   2000年1月14日 2016年3月29日



 さて、Cacco 隊員が燈台に興味を持ったのは、ご近所トマソン隊に入隊する前のこと。グリコ隊長と三浦三崎の戦争遺跡を探訪した際からになります。うさお隊員、ライ隊員は、それに引っ張られるように、お供をしていくようになるのです。横浜は港の街、神奈川は岬の県ですので、実は燈台は子供(子犬)の時から、あまり珍しいものではなく、思い入れもありませんでした。
 それに燈台に行っても、余り内に入れてもらえないし、その周りをぐるぐる回って見るだけなので、時間を持て余してしまうからかな。

 観音崎は帝都防衛線の一角をなす、砲台要塞の一つでした。しかも、最大級の砲台の数です。江川太郎左衛門の護国の意思が、猿島、海堡、富津、台場の防衛ラインを作ったのです。
 ですので、観音崎は戦争遺跡にも触れないわけにいきません。が、「117 神崎・千代ヶ崎探索」に若干述べていますので、ご参照ください。


観音崎燈台  落ち葉に埋もれた砲台跡 壁面に地下壕を埋めた跡がある 2000年1月14日 

観音崎燈台  折しもの雨で、砲台台座が水没している 2000年1月14日 

観音崎燈台  地下壕入口 2000年1月14日

観音崎燈台  砲台群を繋いでいる隧道 2000年1月14日 

観音崎燈台  上にいるのはグリコ隊長 2000年1月14日 

観音崎燈台  何だか落ちゃいそうにはしゃいでいる 2000年1月14日

観音崎燈台  先程の隧道 2000年1月14日 

観音崎燈台  多分弾薬庫跡 2000年1月14日

 さて、観音崎燈台は50 選の中に選ばれている美しい燈台です。この燈台は、東京湾の防衛のために、江戸幕府が建設を進め、明治新政府が引き継いで建設に着手しました。設計者は、横須賀製鉄所のフランス人フランソア・レオンス・ヴェルニーです。この人は城ヶ島燈台も作りました。横須賀のヴェルニー公園に彫像が飾られています。横須賀の海軍の造船所や走水の水源地から水道を引いたことでも有名です。


観音崎燈台  坂道を登りきると燈台だった 2016年3月29日

観音崎燈台  燈台の管理は燈光会が行っており、綺麗にされています 2016年3月29日

観音崎燈台  三浦湾に面して優美な姿を見せています 2016年3月29日

観音崎燈台  これは新たに取り付けられた免震装置です 2016年3月29日

観音崎燈台  もう燈台に不要になった設備が飾られています 2016年3月29日

観音崎燈台  霧信号吹鳴器など 2016年3月29日

 明治元年9月17日に着工し、同年12月29日に完成、翌明治2年1月1日に日本最初の洋式燈台として点灯します。
 燈台はレンガ造四角形白塗りで、燈塔の高さは地上から12.12 メートルありましたが、関東大震災を含めた2度の地震により崩壊し、現在の19m、八角形の燈台になりました。燈台守(今や燈台はほとんど自動化されているため死語に近い)は、万蔵、安次郎2人の燈明番だったそうです。
この辺りには、他に城ヶ島燈台や剱崎燈台があります。