煙突 2004年5月2日
今回のテーマは「ご近所の煙突」です。最近、ご近所の煙突が消えていくことに気がつき、やらなくてはと思っていたテーマでしたが、やはり遅きに失してしまいました。無残にももう無くなった煙突がいくつかありました。
(無くなったのに“ありました”・・・日本語は難しいなあ)
煙突の役割は、燃焼ガスを速やかに大気中に抜いて、燃焼効率を上げる筒状のものを言います。
さて、煙突には自然通風と、強制通風の2種類が有ります。最近のマンションやビルは、強制通風(押込通風・吸引通風)が主流ですので、煙突が殆どありません。
よほどのことが無いと自然通風のための高い煙突は作りません。費用と技術の点で、作るのも大変ですし、壊すのも大変です。煙突は高ければ高いほど、熱風の抜きが良いと言われます。
理由のひとつは、熱によって発生する上昇気流を囲ってやることで、ドラフト(引き抜き)効果が大きくなります。更に煙突が温まっていると、ドラフト効果は上がります。
理由の二つ目は風圧の差です。風圧は、風速の二乗に比例しますし、改正前の建築基準法では、風圧は建物の高さの平方根に比例します。平成12年の法改正により、複雑な計算式になっちゃいまして、よく分からなくなっちゃいましたが、Hを煙突の高さとしますと、5mの高さの煙突は1mの地上とは2倍の風圧になります。このことで煙突上面に負圧が生じ、空気が上空に引っ張られます。
理由の三つ目は、工場などの煙突は、航空法で特別な設備がなくても、高さ59mまでは許されます。この高さになると気圧の差による負圧も生じる筈です。このことから煙突と志(こころざし)は高いほど良いということになります。)^o^(
風圧の変化 高さ16mまでの建物に適用(H=建物の高さ)
うさおの親父は東京電力の社員でしたので、子供の頃の寝物語のレパートリィーの中に、「おばけ煙突」がありました。千住の火力発電所の煙突を、「おばけ煙突」と呼んで皆が怖がっていた話です。
菱形に建てられた4本の煙突は、見る位置によって、4本に見えたり、3本だったり、2本、1本にも見えました。ここを詳しく説明をしているサイトがあります。
hwm7.gyao.ne.jp/hasu/obake.htm です。
東京電力の資料によると「お化け煙突」は、以下のように見えました。
1本が2本に、2本が4本に、春は3月、嵐山落花の形・・・?
お化け煙突の仕組み
お化け煙突 1本
お化け煙突 2本
お化け煙突 3本
お化け煙突 4本
これは結構、幾何数学的な話で、数学好きな日出彦さんや矢澤さんが好みそうなテーマです。「おばけ煙突」って言葉が子供の頃は、なんだかおどろおどろしくて、ドキドキして、わくわくしたのも事実です。
うさおはこの煙突を見た記憶はありませんが、当時の新聞によると、このおばけ煙突は、大正15年1月、当時の東京電燈会社(現在の東京電力)が、なんと約1,500萬円もかけて建設したもので、75,000キロワットの発電量をもつ、日本最大の火力発電所だったそうです。
高さ83.8メートル、直径4.5メートル。燃料は石炭で隅田川を船で運んでいたとのことですが、何かいいですねえ。時代ですねえ、このへんの浪漫は好きです。
時代が進むと熱効率の悪いボイラーが廃止になり、昭和39年秋に取壊され、その11月末には、姿を消しました。無くなるときには、結構早いですねえ。
小学生の頃に、鶴見の日本鋼管だか、旭硝子だかの工場の煙突が、『お化け煙突』だぞって噂されていました。そこで働いている工員さんあたりから聞いた話なんでしょうけど、雨の降る夕暮れに、おばけ煙突の前を通り過ぎうと、何か怖いな怖いなと言う気持ちになり、ふと見上げると同じ煙突が前の方に見えてくる。幾ら歩いても、またその煙突に戻ってしまうという話でした。何か、話が刷り替ってますよね。
「おばけ地蔵」の話と混同した話になって居ます。
撤去された「おばけ煙突」は、昭和40年に一部が輪切りにされ(直径6メートル、重量約3トン)、足立区立元宿小学校にすべり台として寄贈されています。
お化け煙突が滑り台に 当時の新聞記事
お化け煙突が滑り台に 元宿小学校校庭
http://sapporo.cool.ne.jp/hasu/obake/obake.htmから転載
ところがです。肝心の元宿小学校が、2005年千寿第三小と統合し、千寿双葉小学校になり閉校してしまいました。その跡地は地は帝京科学大学北千住キャンパスになりました。
たまたま、その近くの現場に行く用事があったので、少し足を延ばして帝京科学大学を見に行くことにしました。帝京科学大学は、日出彦さんが教授をしていた大学です。
北千住駅からバスに乗ることにしました。「千住桜木」で降ります。何だか辺鄙なところで、バス停の前の飲み屋さんもやけに高さの低い建屋で、河川敷の掘立小屋を連想させます。
お化け煙突 千住桜木バス停前のお店 2017年4月24日
お化け煙突 一膳飯屋のようですが、喫茶店です 2017年4月24日
お化け煙突 帝京科学大学北千住キャンパス 2017年4月24日
お化け煙突 むむ・・あれに見えるのは 2017年4月24日
お化け煙突 帝京科学大学が見えます 2017年4月24日
とりあえず帝京科学大学を目指して、隅田川の土手に出てみます。
おお、もう見えて来ました。大きな土管の様な輪切りにされたリングが目の前に聳えています。意外と大きいぞ。
お化け煙突 このリングだ 上半分が本物の煙突のものです 2017年4月24日
近くに寄ってみると、リングの直径は大きく、上半分の鋼板が煙突のものだそうです。耐火煉瓦の周りに防護のために鋼板を捲いた、その半周分が元宿小学校に滑り台として寄贈されました。煙突の鋼板にはリベットが残っています。
お化け煙突 煙突と言ってもかなり大きい 2017年4月24日
お化け煙突 側面 2017年4月24日
お化け煙突 由来の看板 2017年4月24日
お化け煙突 もう一つの看板 2017年4月24日
お化け煙突 もう一つの看板 2017年4月24日
脇に4本の煙突の模型が飾られており、位置を変えると1本から4本に変化します。
お化け煙突 4本に見える 2017年4月24日
お化け煙突 3本になる 2017年4月24日
お化け煙突 2本に見える 1本には木が邪魔で見ることができない 2017年4月24日
お化け煙突 リベットの跡が凄い 2017年4月24日
お化け煙突 ここに元宿小学校がありました 2017年4月24日
お化け煙突 帝京科学大学側から 2017年4月24日
そう言えば、何かかっ力発電所の模型もあったはず、探してみましたが発見できません。
帝京科学大学に聞いてみようと、守衛さんの所に向かいました。あら、丁度玄関から出てきた女性は、今時珍しいワンレン・ボディコンのおねいさん。学生さん?、研究員?、圧倒されてこの方には声を掛けられなかったぞ。もちろん、写真も無いぞ。
守衛さんはそのような模型は見たことありません、それに自分は今年配属になったばかりでと困惑顔。うーん、東京電力の事業所にあるのかな。ならば、今日はこれで帰りましょう。
お化け煙突 東電の火力発電所跡は東電物流になっていた 2017年4月24日
日立の煙突倒壊
さて、大きな煙突を下から見上げると、流れていく雲の中で、ゆらり、ゆらりと船のように動いていく錯覚に陥ります。
以前に結構高いマンションの煙突に登らされたときがあります。煙突自体がゆっくり左右に振動していると感じました。
煙突の天辺に1.5m四方の作業台が付いていたのですが、登るときには結構楽に登れたのですが、降りる段になると梯子が1m位下のところにしか付いていないので、大変怖い思いをしました。その垂直梯子まで足を伸ばすには、懸垂の要領で手だけでぶら下がる必要があります。足がすくんでそれが出来ませんでした。このまま煙突の上で暮らすのかと思っちゃいましたよ。
煙突は何時倒れるのか判らない怖さがあります。この例として、「日立の大煙突」が有名です。台風の直後に煙突が崩壊してしまいました。すごいなあ。http://ksplan.sub.jp/daientotsu/から転載
日立の煙突 倒壊前
建立:1914年(大正3年)12月
所在地:茨城県日立市三作山頂(標高328m)
高 さ:155.7m(当時世界一)
材 料:鉄筋コンクリート(382トン)
規 模:延べ36,800人、9ヶ月間
目 的:銅精錬の煙害防止
所有者:日鉱金属日立工場
うん、見るからに大きくて倒れて来そうな怖さがありますね。
日立の煙突 倒壊後
そんな、前振りをしておいて、ご近所の煙突群です。ちょいと規模駅にマイナーなものが多いので恥ずかしい。(^^)テヘヘ・・・。
ほんの少し前までは、撞木鮫のような形の煙突が、どこの家にもありました。殆どが台所と風呂場のものでした。しかし、最近のキッチンは、熱風の排気は強制換気になっていますし、風呂もガスによる湯沸かし装置や電気によるボイラーになってしまいましたので、煙突を見かけることが少なくなりました。
石油や石炭、薪を燃やす風呂釜は、地方に行かないと見受けられなくなりました。自然換気に頼る煙突は、最近、お洒落じゃないんでしょうか、本当に見かけることがありません。
うさおの住んでいる地域は都会じゃありませんので、ご近所に少し煙突が残っています。
このお宅は町会長さんの家で、餅菓子の製造をされています。暮れには若い学生アルバイトが働いているのが見られ、膨大な白い水蒸気が煙突から吹き出しています。
近所の煙突 町会長宅 2004年5月2日
次の煙突はお煎餅屋さんのもので、町会長さんよりももう少し立派な煙突が付いています。今は工場だけで、お店はタバコ屋さんになっています。昔は屑煎餅を袋に詰めて100円位で売ってました。
(時代は変わっていくもので、お煎餅屋さんも無くなりました)
近所の煙突 お煎餅屋さん 2004年5月2日
近所の煙突 お煎餅屋さん 2004年5月2日
こちらは普通の町家ですが、まだこのような煙突が付いています。雪の積もる地域でも無いんですが、石油ボイラーでもあるのでしょうか。なんちゃって、うさおの家だって、ついこの間までは石油ストーブかガス・ファンヒーターで暖を取っていました。
近所の煙突 町屋住宅 2004年5月2日
西洋館なんかには、マントルピースの煙突(チムニー)がありますが、そんなお洒落な館は、この辺にはありません。
と言うことで、山手に行って見ました。ご覧のように一味や、二味も違う煙突が見つかりました。
このチムニーは大仏次郎記念館の隣にあります。今は日本文学記念館だったかな?間違えているかもしれません。
近所の煙突 旧英国総領事官邸 港の見える丘公園の隣 2002年5月10日
昔は、この山手や居留地(関内、馬車道、境町など)には、煉瓦や木造の西洋館が沢山あって、沢山の煙突が林立していたのでしょう。
あの、「エリスマン邸」の煙突の写真です。玄関の脇に存在感を示して聳え立っています。山手○○館と呼ばれる西洋館には、大体このような煙突が付いています。
近所の煙突 エリスマン邸 2003年11月3日
近所の煙突 エリスマン邸 2003年11月3日
近所の煙突 エリスマン邸の暖炉 2003年11月3日
エリスマン邸の裏手には、山手80番館、通称「マクガワン夫妻邸」があります。関東大震災で、被害があったものと思われますが、この家には暖炉跡が残っています。多分この辺りにあったんでしょうね。
近所の煙突 マクガワン夫妻邸 2003年11月3日
近所の煙突 マクガワン夫妻邸建物基部 2003年11月3日
近所の煙突 多分ここが暖炉の煙突基部 2003年11月3日
さて、近所に現存する煙突の多くは、お風呂屋さんの煙突です。この地域は、横浜の他の地域に比して、お風呂屋さんが多いと言います。アパートなどで、お風呂付きのものが少ないのかも知れません。
新婚当初に住んでいたアパートには、風呂がありませんでした。その代わりにご近所にお風呂屋さんがありました。最近は、風呂銭が結構高くて、そんなに気楽には行けないなあと言う感じです。
家の近所のごく一般的な風呂屋の煙突です。でも、「福助湯」さんに行った記憶が無いなあ。
近所の煙突 福助湯さん 2004年5月2日
近所の煙突 福助湯正面 このラーメン屋さんはもうありません 2004年5月2日
近所の煙突 福助湯 2004年5月2日
ご時世でしょうか、スパのような楽しめるお風呂屋さんが増えて来ています。お家に風呂が無いから来るのではなく、いろいろなお風呂を楽しみたい、リラクゼーションの一環でお客さんが来るようで、若い人が多いです。「鷲の湯」は、大きな駐車場も用意されており、遠方からお客さんが来ています。
近所の煙突 鷲の湯さん 2004年5月3日
道路を隔てた反対側に、もう一軒、昔ながらのお風呂屋さんがありますが、こちらは閑古鳥が鳴いている状態で、潰れてしまうのは目前でしょう。
名前も「浦島温泉」。温泉ってネーミングも古いなあ。
横浜のダウンタウン、面目躍如なりってなところかなあ。
近所の煙突 浦島温泉 2004年5月3日
近所の煙突 浦島温泉 今は消滅しています 2004年5月3日
こちらは近所のトマソンする筈のお風呂屋さんです。ご覧のように広々とした野外の風呂で・・・。ってな訳無いでしょっ!
お隣のアパートも潰して、マンションが出来るようです。すっかり更地にされたお風呂屋さんの跡地です。今回も取材対象のひとつでしたが、残念です。
近所の煙突 神之木台の消滅した風呂屋跡 2004年5月3日
近所の煙突 神之木台の消滅した風呂屋跡 2004年5月3日
ここは線路を隔てた反対側にある「大富士湯」です。昔はまともなお風呂屋さんでしたが、世間の風を受けて、下がお風呂屋、上がマンションというコラボレーション。
なんとか時代に残れているようです。
近所の煙突 これはっ! 2004年5月3日
近所の煙突 大富士湯さんでした マンションの入り口の様だ 2004年5月3日
近所の煙突 こんな感じのマンションです 2004年5月3日
菊名と大倉山の中間というか、新横浜駅の近くにある「福美湯」、マンション群の中に建てられているお風呂屋さんで、さてお客さんはいるのだろうかと、心配してしまいます。今も黙々と煙を吐いているので、活躍中であることは判りますが。
ただ、周りのマンションの目を気にして、高い位置に目隠しの塀を建てているのが、都会の銭湯だという象徴があります。
近所の煙突 福美湯さん 車の中からだからこんなもんです 2004年5月3日
菊名にはもう一軒、駅の近くにお風呂屋さんがあったはずでしたが、つい先達って、パチンコ屋に改装されてしまいました。ああ、南無阿弥陀仏。
夜行の方にも、富士の湯というお風呂屋さんがあったと記憶していましたが、なんか近代的な建物のお風呂屋さんはあるけど、レトロなお風呂屋さんは無くなっていました。
近所の煙突 富士の湯さん 二ヶ領用水の碑を探していました 2004年11月21日
近所の煙突 富士の湯さん 2004年11月21日
あっ、煙突だあって思ったのに、騙されたもの、2題。
ひとつは旧東海道にある、本田の自動車屋さん。どこかの有限会社がフランチャイズで経営しているようだが、まさしく暖炉の煙突のように見える。しかし、下からの鉄柱の延長線上にあるので、これは飾りでしょうね。
近所の煙突 ホンダのディラーです 2004年5月2日
もうひとつは、やはりこの旧東海道際にある高いもの。近くによって見たら、これはどうやら通信用のアンテナだと思う。図抜けて高いので、期待しちゃったよ。
近所の煙突 道路情報の通信塔? 2004年5月3日
ご近所にある煙突で、なかなかカメラが向けられなかったのが、この山の上の火葬場の煙突です。子供の頃から、畏怖の念を持って見ていました。今回は遠くからご紹介だけにします。この次には、京浜地区の工場群に残る煙突ということで、本格的に取材するつもり。今回はプロローグということで・・・・。
近所の煙突 山の上に見える煙突が火葬場です 2004年5月2日
かつてはこの辺りも町工場で賑わっていましたが、今ではベッドタウンの感が否めません。その割りに横浜、新横浜、鶴見、川崎に囲まれ、横浜でも中心地に近いと思うのですが、ドーナツ現象と言うのか、窪地のように文化度の低い地域になってしまいました。それでも細々と残っている工場の煙突をいくつかお見せします。
これは「ユニー」(今はピアゴ)や「ライフ」の近くで、がんばっていた町工場、今はコジマになっちゃいました。
近所の煙突 今はコジマですが前はマツダの整備工場でした 2002年3月20日
「ユニー」も前は、大きな木工場でした。「ライフ」はお風呂屋さんでした。この工場の 周りも、工場群でしたが、今では駐車場とマンションになっています。無くなってしまうのは、意外と早いかもしれません。
こちらは、鶴見にある東洋製罐の多分、子会社だと思われる、「東罐興業株式会社」の煙突です。
近所の煙突 東罐興業 2004年5月2日
近所の煙突 東罐興業 2004年5月2日
でこれが、扇島のコンビナートの大陸間弾道弾のような煙突。
近所の煙突 川崎の備蓄タンクの後ろに聳えている 2004年9月19日
近所の煙突 2004年5月2日
煙突はどうしても手入れがし難いので、煤ぼけてくると、どうしてもおどろおどろしくなって「お化け煙突」のようになっちゃいますよね。