安福翁伝 抜粋
安藤井筒堂 店舗
ダイヤモンド齒磨の宣伝
製造にも販賣にも眞面目なれ
(未稿)
舶來化粧品を駆逐するまで
(未稿)
余談ですが、先日亡くなられた平尾昌晃氏の祖父の平尾聚泉氏は、明治時代に「ダイヤモンド齒磨」を売り出し大ヒットします。
この商品は、『安福翁伝』に出てくるあの齒磨ですね。その後、平尾聚泉氏は「レート化粧料」を売り出し、これも大ヒットします。同じ時期に、齒磨の情報が入って来ることに、シンクロニティと言うか、何か因縁を感じます。
「ライオン歯磨80年史」によると、当時国産歯磨を発売するのがブームだったようで、数多くの製品が売られているのが分かります。
「明治22年のころには金尾商店発売のマッキン氏歯磨、24年には花王石鹸本舗長瀬商店から寿考散、レート本舗平尾賛平商店からダイヤモンド歯磨、26年には、花王石鹸本舗長瀬商店から鹿印煉歯磨、
オリヂナル本舗の安藤井筒堂から象印(エレハント)歯磨、28年には、化粧品問屋として有名だった田中花王堂からカチドキ歯磨がそれぞれ発売され、29年には、小林富次郎が出した「獅子印ライオン歯磨」、39年には近源商店からデンワ歯磨、翌40年には、パピリオの前身伊藤胡蝶園から御園歯磨、43年にはクラブ歯磨が中山太陽堂から発売された。ライオン歯磨の新製品である「萬歳歯磨」が国内向けとして発売されたのは明治43年である(英米向けは明治38年)。印度・南洋向けカーボリック歯磨は明治40年に発売された。
これらの当時の有名品にまじって、大阪は、矢野芳香園からツバメ歯磨、朝日堂からアサヒ歯磨、前神彰栄堂からゼーエム歯磨、稲葉丹浜堂からバイオレット歯磨、脇田盛真堂からベビー歯磨、などが発売された。このほか、日本歯科製剤会社からモデル歯磨、津京東光園から、ばら歯磨などが売り出されている。」(ライオン歯磨80年史より抜粋)