入江川散策図  その三  2003年1月3日・20日



入江川散策図  その三  2003年1月3日・20日

L学校下橋:いよいよもって怪しくなってくるのがこの辺りです。西寺尾小学校の脇を通る入江川には、どぶ川のような趣があります。


入江川散策図  その三 学校下橋 2003年1月3日・20日

M寺西橋:川幅がなく大雨の時には氾濫するので、グランドキャニオンのように、深い谷になって居ます。


入江川散策図  その三 寺西橋 2003年1月3日・20日

入江川散策図  その三 寺西橋 ほとんどどぶ川に近い 2003年1月3日・20日

N久保下橋:ここで川は左右に大きく曲がります。入江町から菊名に抜ける道路が無かった時は、まっすぐ伸びていたのかもしれません。


入江川散策図  その三 久保下橋 2003年1月3日・20日

入江川散策図  その三 久保下橋 2003年1月3日・20日

O横断橋:宮前橋で家の前の道路を渡った川が、ここで初めて道路の所に戻って渡ります。橋の名前は無く、暗渠なので勝手に名前を付けました。


入江川散策図  その三 横断橋 右は自動車の修理工場 2003年1月3日・20日

入江川散策図  その三 この下に暗渠が通っている 2003年1月3日・20日

P西園橋:アクロスプラザがすぐ近くにあります。


入江川散策図  その三 西園橋 2003年1月3日・20日

入江川散策図  その三 西園橋 2003年1月3日・20日

Q久保下橋:ここでまた、久保下橋が出てくる?入江橋同様、同名の橋が出てくる。それも、近所だ。どうしてだろう。昔、川筋がここじゃあなかったのか?全部で18橋ですね。それにしても川が汚いのもここまで。


入江川散策図  その三 久保下橋 ゴミの集積場 2003年1月3日・20日

Rせせらぎ緑道:鶴見区発行「歩こう鶴見わくわくマップ」によると、「入江川は都市化による工場や家庭からの排水、ごみの不法投棄などで汚れてしまった。この川を改修して、下水の高度処理水を流し、家庭の谷間にホッとくつろげる小川のせせらぎと、安心して歩ける散策路を作った」とあります。


入江川せせらぎ緑道  その三 @の地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道  その三 @の地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道  その三 Aの地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道  その三 Bの地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道  その三 Bの地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道  その三 Dの地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道  その三 Fの地点 2003年1月3日・20日


 この「入江川せせらぎ緑道」は、一見の価値があります。遊歩道のようでもありますが、川で分断された地域を緑道で融合するかのようです。
 散策図の黄色の@〜Iまでが、その緑道です。その風景をしばしお楽しみください。



入江川せせらぎ緑道  その三 Hの地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道  その三 Iの地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道 馬場町商店街の門(現在はありません) 2001年5月14日

 馬場町の裏通りにもささやかな商店街がありました。この先に遊水地と言うか、入江川源流と言うか、コンクリートで固められた広場があります。
 ここが入江川の終着地の広大な遊水地です。嘗ては池か沼のようで、この辺りの地下水位は比較的浅いようです。指差す先にこの遊水地への排水ポンプが見えます。
 周囲の土手には桜が植わっており、春にはここで花見が行われるのでしょう。意外な穴場だと思います。



入江川せせらぎ緑道  その三 Jの地点 2003年1月3日・20日

入江川せせらぎ緑道  その三 Jの地点 入江川源流 2003年1月3日・20日

 入江川は実は建功寺前のところで分岐され、もう一本は東寺尾(鶴見)の方に流れています。
同じ様に緑道になっていますが途中から暗渠になり、その先は判明しませんでした。
Bの建功寺前の看板には、「寺尾の里 散策マップ」が掲げられています。ここには「ログハウスコース?」、「寺尾城址・殿山公園コース」、「馬場の赤門・花木園コース」とあります。
 寺尾城址とは、寺尾領主の城があった殿山に「寺尾城址」の碑が残されいるものです。城址には、空堀や土塁など、城郭を今に伝える貴重な遺構が残っており、殿山公園として整備されているそうです。これはまだ見ていませんので、ぜひ見に行こうと思います。この辺りは、小机城址やら寺尾城址やら、結構天領跡が残っています。
 さて、「馬場花木園」は「馬場の赤門・花木園コース」にある市営の緑園です。「馬場の赤門」の東側に位置し、緑に囲まれた和風の庭園です。入園料は取られます。
駐車場が無いので、車は不可です。ここは以前、牡丹や菖蒲などが楽しめる農園として知られていたそうです。この池のまわりに、四季おりおりの花が咲き乱れていたと思われます。
「馬場の赤門」は横浜市でも有数な史跡のひとつに数えられるようです。江戸時代末期に周囲四か村の総代名主を務めた、澤野家の門だそうで名主ですから苗字帯刀を許された家柄のようです。
 お代官様が支配していた当時は、この長屋門の部屋で村政を執ったと記録にあります。天領ですから、幕府から特別に紅穀塗りを許された格式の高い名主門で「赤門」と呼ぶのでしょう。これも横浜市の歴史的建造物として認定されています。
(「歩こう鶴見わくわくマップ」より)


入江川散策図  その三 もう一つの分岐されたせせらぎ緑道 2003年1月3日・20日

入江川散策図  その三 もう一つの分岐されたせせらぎ緑道 2003年1月3日・20日

入江川散策図  その三 この辺りに残る道祖神 2003年1月3日・20日

入江川散策図  その三 雪の降りしきる中で、頑張るCacco 隊員とライ隊員 2003年1月3日

入江川散策図  その三 花木園 www.hama-midorinokyokai.or.jpより

入江川散策図  その三 馬場の赤門 横浜市鶴見見どころ80より

 この辺りを「寺尾」と言いますが、多くの人は寺尾の寺は曹洞宗の本山の「総持寺」だと思っているようですが、実はこの「松陰寺」のことだそうで、建長寺の分寺として古くから武蔵野国にあったようですよ。
(嘘かもしれない)
 ですから、寺の格式で言うと相当高い位置にあるらしく、ここの住職を務めて、僧正とか権の師とかになるみたいです。なにか小さなお寺さんですけどね。
 でも確かに子供の頃にこの辺りの切り通しで遊んだ記憶があります。隠れ里に向かう落ち武者のようで、なんだか浸ったなあ。昔はもっと鬱蒼とした山の中でしたが、山の際まで住宅街になっていました。ここのお坊さんが歯医者をしていた叔母のところに通っていました。普通の治療費以外にそれに倍する謝礼を持ってくるとか。ふ〜む。どちらもいい商売のように感じます。本当は知らないけど。不況下で何となく不安感を持っている普通のサラリーマンとしてはね。


入江川散策図  その三 松陰寺 2003年1月3日・20日

 そしてこの山の頂には、空飛ぶ円盤の基地がって、古いなあ。Undefined Fucking Object って言えないかなあ。えっ、意味が違う?あー、その、ここには工業用水の貯水池があります。
 大きなものですが、出来たのは私が大学時代だったと思います。家の前の通りがこの上水工事で1 年以上も掘り返されていたのを記憶しています。あの馬場町の水道貯水池と比べて見ましょう。確かに貯水塔は聳えていますが、その裏に同じ様な貯水池がありました。


入江川散策図  その三 工業用水貯水地 2003年1月3日・20日

入江川散策図  その三 馬場の水道塔 2000年2月26日

入江川散策図  その三 馬場の水道塔 2000年2月26日

入江川散策図  その三 馬場の貯水池 2000年2月26日

 この山を降りたところが、子安農園です。恩賜牧場として有名でしたが、いつの間にやら切り売りをして、今ではゴルフ練習場になっています。広大な唐黍畑が広がっていて、その中で遊んでは玉蜀黍の茎を折り倒して米国のTVドラマ「サイン」ごっこをしていました。子安農園が潰れたのはこんな餓鬼が沢山居たからだな。ちなみに「あかね」の舞台はここです。


入江川散策図  その三 子安農園 2001年2月25日

入江川散策図  その三 子安農園 2001年2月25日

申し訳なく思いながら次号へ続く。次号はうさおの「爺さん」の話です。

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