田浦港町倉庫群  2010年9月7日


 田浦港は旧日本帝国海軍の弾薬庫があった処で、ここにある倉庫群も旧海軍の所有だったもの。米軍の接収後も火薬庫として使われ、返還後も自衛隊の弾薬庫になっています。
 ②から③にかけて田浦駅までの軍用道路、軍用専用線に沿って旧海軍の倉庫が建ち並んでいます。
 この時は倉庫を目的に撮りに行かなかったので、本当に背景に偶然写っていたものを、お見せしています。いつかちゃんと撮りに行きたいですが、その時まで体力が持つかなあ。


比与宇地区倉庫群 googleより 2010年9月7日

 田浦駅の西側ロータリーの南側に小山があり、その崖に地下壕を利用した倉庫跡があります。この前、間違えて田浦駅に年代物の変電所を探しに行ったとき(これは間違い情報でした)には、気づかなかったので今度行ってみましょう。

 比与宇地区にある倉庫群を、相模運輸倉庫さんの概略図で示します。


比与宇地区倉庫群 相模運輸倉庫社の看板を参考

 道路の南側にある2号、12号、16号、17号,18号,19号の倉庫は、海上自衛隊の横須賀造修補給所油脂庫の整備工事の時に無くなったようです。田浦に仕事で来ていた時は、倉庫なんて気にも留めていなかったのに、古いものがどんどん無くなっていくと、ああ、その前に行っておけばよかったと悔やまれます。
 北側の1号、6号、11号、14号、A号はすでに消失、B号は2018年7月22日に火災で焼失したそうです。

 それでは写りこんでいた倉庫をご紹介します。
 サイロと11号倉庫跡の倉庫です。このサイロは何のためのものかな。手前の錆びた倉庫は、11号の撤去跡地に建てられたものだと思います。11号倉庫の位置よりやや東に向かって振れている感じです。11号倉庫ではないと思うけど。


比与宇地区倉庫群 サイロと付随する倉庫 2010年9月7日

比与宇地区倉庫群 付随の倉庫(11号か?) 2010年9月7日

 線路の右側手前の平屋倉庫は15号かな、右手奥の三連の倉庫が5号です。戦時下における5号倉庫の用途は不明のようです。


比与宇地区倉庫群 左から15号、5号倉庫 2010年9月7日

比与宇地区倉庫群 15号、5号倉庫 2010年9月7日

 次の写真に奥にB号倉庫が写っていますが、2018年7月22日に火災により焼失しており、この当時はありましたが現在は空き地です。


比与宇地区倉庫群 奥にB号とC号の倉庫が見える 2010年9月7日

比与宇地区倉庫群 5号倉庫 2010年9月7日

 3号倉庫はあまりにも普通に使われていたので、戦争遺跡だとは思いませんでした。今度行くときにはしっかり撮っておかねば。3号倉庫は第一兵器事務所だとされています。


比与宇地区倉庫群 右手の倉庫が3号 2010年9月7日

 正面の朱色の窓のある倉庫がK号倉庫です。左手の倉庫が3号倉庫です。K号倉庫は光学兵器倉庫だと言われています。この倉庫はこの方向から眺めるのが最も情感があります。
※窓の朱色は鉄板に塗られている光明丹(防錆塗料)の色だと思います。


比与宇地区倉庫群 K号倉庫 2010年9月7日

比与宇地区倉庫群 K号倉庫 パトカーにドキドキ 2010年9月7日

比与宇地区倉庫群 K号倉庫 2010年9月7日

 この新しい建物は、横須賀港湾合同庁舎です。海上保安部とかも入っているらしい。


比与宇地区倉庫群 横須賀港湾合同庁舎 2010年9月7日

 左手から煉瓦壁の倉庫が第二計器庫、右手が第一兵器庫です。どうやら自衛隊の敷地内の施設なので今もしっかり使われているようです。大好きな煉瓦構造物なので、嬉しくなっちゃうね。


比与宇地区倉庫群 左側第二計器庫、右側第一兵器庫 2010年9月7日

比与宇地区倉庫群 第二計器庫 2010年9月7日

比与宇地区倉庫群 第二計器庫、第一兵器庫 2010年9月7日

 7号(第一水雷庫)、F号(第三水雷庫)、E号(兵器修理場)、K号(光学兵器庫)はJR横須賀線の田浦駅の目の前に展開されています。まるで普通の倉庫のようです。あたりまえだけど。
 E号倉庫は屋根が山切りカットで、妻側に「低温恒湿倉庫」と書かれています。
 車だと何気なく通り過ぎてしまうほど地味ですが、F号倉庫はその中でも断然ノスタルジックな建物です。コンクリートに見えますが、煉瓦造にモルタルが塗布されています。


比与宇地区倉庫群 左手前が7号、奥にF号、E号、K号倉庫 2014年11月24日

比与宇地区倉庫群 7号、奥にF号、E号、K号倉庫 2014年11月24日

比与宇地区倉庫群 F号倉庫側面 2014年11月24日

比与宇地区倉庫群 F号とE号倉庫、草地が渋い 2014年11月24日

比与宇地区倉庫群 F号とE号倉庫 2014年11月24日

比与宇地区倉庫群 F号倉庫全景、モルタルの剥げから煉瓦 2014年11月24日

 左側に7号倉庫(第一水雷庫)、右手前にF号倉庫(第三水雷庫)、右奥にG号倉庫(第三電機庫)が並んでいます。さらに右側奥にH号倉庫(通信兼電気兵器庫)がかすかに見えています。左側7号倉庫の隣の二階建ての倉庫が第二電機庫、その奥が第一兵器庫になります。


比与宇地区倉庫群  2014年11月24日

比与宇地区倉庫群 F号とE号倉庫に柵が出来ている 2014年11月24日

比与宇地区倉庫群 煉瓦だ! 2014年11月24日

比与宇地区倉庫群 F号倉庫の窓 2014年11月24日


 すぐに海上自衛隊第二術科学校が見えてきます。
 横須賀線田浦駅の近くに立派な煉瓦積み隧道がありました。海側に行くと先ほどの海上自衛隊第二術科学校、ご覧の様な米海軍の燃料補給基地、横浜ベイスターズの屋外練習場、戦争遺跡が残っています。田浦はマニアにはたまらない街ですねえ。
 

海上自衛隊第二術科学校 2010年9月7日

第二術科学校正門 白い建物は横須賀自衛隊病院 2010年9月7日

横須賀線煉瓦トンネル 2010年9月7日

米軍燃料ターミナル 2010年9月7日

横浜ベイスターズ練習場 2010年9月7日

 船越隧道には使われていない昔の隧道が残っています。隧道は地盤が緩んで崩壊しかけているものは、補強・補修には莫大な費用が掛かり、隧道の強度は元に戻りません。それならば新たな隧道を掘る方が合理的です。1/3の工費と短い工期でぐっとお得です。まあ、敷地の確保とか状況次第ですけど。


船越隧道 旧隧道跡 2010年9月7日

船越隧道 旧隧道跡 2010年9月7日



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