蔵、倉、庫 編 

 さて、今回はコマ稼ぎで隊員を少し紹介しよう。
 ご存知、写真担当の「cacco隊員」。



 他の隊員以上に「トマソン」に執念を燃やしている。「うさお隊員」などは押されまくっているぞ。トマソンがいき詰まった時にいろいろ探し回ってくるのも彼女だ。意外と行動派である。ふん、ものぐさでもあるけどね。

 「ライ隊員」。彼は駆け回るだけではなく、前回執筆も担当した。ときたま、[笑う犬]になる。彼自身のパーソナリティには罪は無いのだが、たまさか入場を拒否されることがあり、門、または車の中で待つことが多い。彼だけが黒眼鏡をしていません。
 「うさお隊員」。花粉症で苦しんでいる。彼の兄である「日出彦」も同様に花粉症で、こりゃあ遺伝かもしれない。最近は横浜の昨今に興味を持ち、じいさんの足跡をたどってみたいと思っている。じいさんは明治の時代に、単身渡米しハーバード大学で歯科医学を学び、帰国後は横浜・馬車道に診療所を持ち、日本初めての米国流歯科医となったそうだ。何か史実が残っているかもしれない。



 さて、今回のテーマは「蔵」です。蔵、倉、庫・・・ものを収蔵するためのもので、発生の歴史は古い。嘗て太古の時代では食物や農耕、狩猟の道具を納めたようだ。沖縄や奄美大島にある「ぼれ倉」は、弥生時代の高倉が姿を変えて残ったものだろう。動物に穀物を荒らされないように高床式になっているのだ。
 倉も堅固になり、宝物や御神体、仏像、権利の象徴(勾玉や剣、鏡などね!)などを納めるようになった。正倉院の校倉が有名ですね。その性格から、陽の差さない、薄暗い処が「蔵」のイメージになりました。
 蔵の中で蝋燭一本で執筆した江戸川乱歩。横溝正史の作品では、おどろおどろしい使われ方をしました。恋の場としても使われました、「春琴抄」、宮尾登美子の「蔵」、ともに盲目の少女が主人公です。 その蔵も今では、お宝鑑定団のお蔭で、叩き売ってなんぼの成金的な骨董品収蔵庫のイメージになってしまいましたね。
 蔵といえばすぐに日本風の「蔵」を思い描いてしまいます。「土蔵」ですね。鶴見の獅子ケ谷にある「横溝屋敷」は農家の旧家を保存したものです。
そこに典型的な和風の蔵があります。


横溝屋敷の蔵 2001年2月25日

蔵の中 2001年2月25日

 トマソン欠乏!の募集をしたら、健ちゃんが教えてくれた蔵が二つです。鶴見の下末吉にあるものです。


壱の蔵 2002年2月26日

弐の蔵 2002年2月26日

壱と弐の蔵はお隣同士です 2002年2月26日

 cacco隊員の実家の近くにも、下の写真のような蔵があります。第二京浜国道の際に建っています。やはり下末吉です。この地域には「蔵」というものが文化というより、家の格のステイタスとして残っているのでしょうね。


下末吉の煉瓦蔵 2001年6月24日

国道に面している 2001年6月24日

 私は蔵というのは土壁で囲まれてすぐに屋根があるものだと思っていました。つまり、壱の蔵のような形ですね。そして鉄製の窓扉が付いているという物です。


小机の蔵 2002年2月22日

 だけど、弐の蔵は出っ張りに乏しく石張りであったり、西欧文化の融合の感があります。日本風というにはちょっとイメージが違うなあ。上の壱の写真のほうがイメージです。
 壱の蔵を良く見てください。蔵と屋根の間に隙間がありますよね。換気のためか、太陽熱を遮るためか、何かの工夫の跡のように見えます。
 同じ様な蔵の形は、小机城址跡の近くの民家に残っていました。屋根が浮かしてあることがはっきりと判ります。この辺の屋根の空かしは何故をご存知の方は、ぜひ教えてください。興味があります。

 私も建築家の端くれなのですが、ぜんぜん判りません。(きっぱり!おお威張り!)(-_-)
 さて、それ以外にも和風の蔵は、ご近所に存在します。新子安にあるこの蔵は、京浜第一国道に面しています。この蔵の前にケンタッキーがあり、すごい調和です。背面に見えるビルは、最近出来た新子安の超高層ビルです。新旧の差が明確に現れたこの調和もすごい。


新子安の蔵 2001年9月22日

新子安の蔵
 2001年9月22日

 この蔵は新横浜にある蔵です。2棟並んで建っています。なにやらおかしいので、近くによって見ますとどうやら一方は住まいとしているようです。(蔵かなあこれは?)トタン張りのほうは蔵のようですけどね。


新横浜の蔵 2002年2月22日

新横浜の蔵 2002年2月22日
 

 この写真は、相模原にある家に付随した蔵です。「caccoの実家のそばの蔵壱」も住居と一体です。私の友だちの父親は、慶応大学の教授をしており、目黒のお宅に遊びに行くと書斎があり、それに続く蔵をさらに書斎にしていました。大正から昭和にかけてのブルジョアのお宅を垣間見たような。ちょっぴり、嫉妬が。確かに蔵は、火事や地震には安全で、それに壁厚が厚いため、大変静かでした。
学究の人には蔵は最適な住まいかもしれません。けど、一般人にはちょっと黴臭くて、ジメっとして辟易するかも知れませんねえ。


相模原の蔵 2001年8月14日

 その相模原の水田にあったトマソン的なものがこの写真です。なんでしょう?案山子でしょうか?それなら、こんなにリアルな顔をしていなくてもよいのに。なんだかイチローに似ているなあ。


田圃のイチロー 2001年8月14日

 倉庫も「蔵」の商業化したものでしょう。個人の思い入れが無い分、世の流れや景気に左右されるところがあり、その残骸を晒すことも多くなります。左の写真は、鶴見のビール倉庫(工場?)の跡だと聞いています。chicaさんの家の近くです。毎日こんなものが眺められるなんて、なんて幸せな環境にいるんでしょう。これを見ながらのご飯は美味しくいただけますね。!


オラガビールの蔵 2000年10月8日

オラガビールの蔵 2000年10月8日

 横浜での倉庫の王者といえば、なんて言ったって「赤煉瓦倉庫」でしょう。歴史、風格、佇まいと言い、この倉庫の右に出るものはありません。所は横浜港、三菱ドックに隣接し、嘗ては居留区へ馬車道を介して続いていたと言います。
 cacco隊員はここへの思い入れが深く、既に何度か足を運んでいます。Misiaのプロモを見るたびに、「赤煉瓦倉庫」だと騒いでいます。
 cacco隊員の労作、「赤煉瓦倉庫」の改修前・後の変化をご覧下さい。レトロな雰囲気を生かしながら、お洒落に仕上がっていますね。うさお隊員も自身がレトロなんですけど、どうもこのような小洒落た処は似合わなくて・・・
(ライ隊員もね!彼は田舎っぽいからなんだけどね!)
 疑問があります。Misiaのあのプロモ、雪が結構積もっていたけれど大雪の日を狙って撮りに行ったのかな?cacco隊員はCGだって言うんですけど、そんな高度なことって出来るんかい?えらい金が掛かりゃしないかい?
 確かに最近はパソコンでも、ちょいちょいとCGが出来ちゃうけど、一昔前はグラフィック・ワークステーションを使っていたものさ。(これを使った映画はシュワちゃんのT2が有名です。ものすごいビデオ・メモリィのお化けです。)


赤レンガ倉庫 2002年2月22日

赤レンガ倉庫 2002年2月22日

赤レンガ倉庫 2002年2月22日

赤レンガ倉庫 2002年2月22日

赤レンガ倉庫 2002年2月22日

 あっ、話を戻しますね。やはり横浜で歴史があるといえば、これ「帝蚕倉庫」でしょう。歴史建造物に指定されていますし(表の赤煉瓦はね!)、嘗て日本が生糸で世界を席巻した名残として重要です。でも、「赤煉瓦倉庫」ほど重要視されていないようで、こんなもんですよ。(これは裏側ですよ。今でも帝蚕倉庫は立派に仕事をしています。)


帝蚕倉庫 2002年2月22日

帝蚕倉庫 2002年2月22日

帝蚕倉庫 2002年2月22日

帝蚕倉庫 2002年2月22日

 さっ、続いて3連発。私の住んでいる処には、嘗て子安農園と言うところがあり、たくさんの牛がいました。牛舎の周りには、玉蜀黍畑やキャベツ畑、菜の花畑があり牛の餌料となっていました。広大な敷地で天皇陛下もお立ち寄りになったとか。今やゴルフの練習場になっています。これは牛乳を溜めていた倉庫です。う~ん、こりゃ今でも、牛だけじゃあ生活が成り立たないか。


子安農園 2001年2月25日

子安農園 2001年2月25日

 子安農園は岩崎財閥の岩崎輝弥氏が興したもの、大口には岩崎美術館もあったことから、この地に何か氏の曰くがあったのかも。で、ネット上で子安農園の牛乳の宣伝用マッチを見つけたので、参考に付けておきます。※https://auxiliarylines.wordpress.com/2018/03/04/


子安農園マッチ

 それと、熊田千佳慕さんの「ふしぎのくにのアリス」の絵本の著者紹介に、氏の写真が載っていますが背景が子安農園で牛が写っています。( `ー´)ノ


熊田千佳慕「ふしぎのくにのアリス」の絵本 著者経歴

子安農園 2001年2月25日

 さて、物を納めることが出来るものが、蔵、倉、庫ならば、これらもりっぱに蔵です。
動けなくなった貨車です。!!次頁左側の貨車は、オノヨーコの作品です。空いている穴は銃弾の跡で、みなとみらいの中にこの様に置かれるとあたりの景色とマッチして芸術作品です。


オノヨーコの貨車

 この貨車は小机の駐車場に放置されてあった貨車です。(えらい扱いが違うな!)
やはり風格が違いますね。う~ん、こっちは錆、錆だし。やっぱり洋ものの貨車は一味違うなあ。


小机の貨車 2002年2月22日

 そうなるとやはりこれ、電車の車輌を納めてある「車庫」も蔵の範疇に入れてもよいでしょう。
 昭和16年頃に東京地下鉄道株式会社と五島慶太率いる東京高速鉄道株式会社が新橋で合併して、銀座線になりました。この上野の車輌基地は昭和12年頃のもので、日本最古の地下鉄構造物です。




上野の車両基地

 新橋駅は留置線がありますが、この留置線こそ嘗ての東京地下鉄道の「新橋駅」だったのです。この留置線の奥には「新橋駅」と右から書かれたタイルがあるのですよ。何だかロマンが感じられますよね。やはり、こうしてみると「蔵」というものは、トマソンの宝庫なのでしょうか。


新橋駅 留置線?

新橋駅


 ※蔵:家財や商品などをしまっておくための(耐火性・防湿性などを備えた)建物。「倉」、「庫」とも書く。一戸前(ひととまえ)と数える。
次回は、いよいよ映画館かな。