日本大通り 2009年9月27日(横浜市中区日本大通)


日本大通りの歴史遺産を探せ!

 日本大通りは横浜を代表する歴史的な場所で、幕末からの文化遺産が多く存在するところです。この道路は、1866年(慶応2年)の日本人街の大火災を契機に、日本人街と外国人街を区分する幅36㍍の防火帯として、英国人技師R.H.ブラントンが設計し、整備されたものです。
 私の祖父もこの日本大通りの境町に住居していました。丁度、横浜スタジアムの近くに、茂木惣兵衛(横浜の実業家)の家作を借りて、歯科医院を設けていたと父から聞いています。
 祖父は1883年(明治16年)に渡米後、ハーヴァード大學齒科學部に入り、D.M.D.(ドクトル・メヂチーネ・デンタリエー)の學位を得ました。帰国後、1893年(明治26年)10月に醫術開発試験委員を命ぜられ、1894年(明治27年)5月に米国東洋艦隊臨時齒科醫を嘱託されました。それらの功績によって1903年(明治36年)3月には正七位に敍せられました。ほとんど高級外国船員を診ており、いつも現金決済で、金貨がポケットに溢れていたそうです。
※齒科醫事衞生史 昭和15年10月25日刊 日本齒科醫師會参照
私はその境町の家を見たことはありません。横浜歴史資産調査会の日本大通り建造物一般公開に参加し、その周辺の遺構を探ってみました。
※ 東西倉庫以外の出典は、横浜歴史資産調査会のパンフレットに依りました。




日本大通り地図 2009年9月27日



○東西倉庫(横浜市中区海岸通)

 1949年(昭和24年)に横浜税関の保税倉庫として、大日本帝国海軍霞ヶ浦航空隊零戦格納庫の資材を用いて建築されました。この倉庫は戦後の横浜の復興をずっと見守っていましたが、2008年の春に解体されました。消えゆく鉄道施設Ⅱでご紹介した、転車台はこの倉庫の床下に眠っていたものです。この倉庫に貨物線も多く配線されていましたが、今は舗装が敷き詰められて跡もありません。波止場には揚重機も残っていましたが、横濱臨港貨物線跡の遊歩道が完成しこれも消滅しました。


東西倉庫  2006年5月3日 在りし日の姿で


東西倉庫  2006年5月3日 右手の建物が横浜海洋会館

東西倉庫  2006年5月3日 右手奥にシルクセンタ

東西倉庫跡 左側がスッキリとありませんね 2009年9月27日

東西倉庫跡  2009年9月27日

東西倉庫跡 丁度この手前の広場にありました 2009年9月27日

東西倉庫跡 白い建物は波止場会館 2009年9月27日

東西倉庫跡 中央の囲われたガラス張りの下に転車台がある 2009年9月27日

 中央に転車台跡があります、臨港貨物線の高架橋は遊歩道になりました。


揚重機  2001年9月22日

揚重機  2001年9月22日

揚重機跡 ここにあったんですがねえ 2008年10月19日

揚重機跡 ありませんねえ 2008年10月19日

揚重機跡 なんか綺麗になっちゃって 2008年10月19日


 揚重機は波止場と転車台の間にありました。


○横浜海洋会館(横浜市中区海岸通)

 1929年(昭和4年)に建てられた鉄筋コンクリート造(地上3階地下1階)の建物で、先ほどの東西倉庫に隣接する建物です。この海岸通りには同じような外観の建物群があり、ほぼ同時期に建てられましたが、現存するのは4棟です。設計、施工は大成建設の前身である大倉土木です。
 この会館の場所には関東大震災前まで2代目の横浜税関がありました。震災で倒壊後、税関は今のところに移り、跡地に建てられた建物には、すべて貿易や海運関係の会社が入っています。
 外壁の化粧枠や開口部は擬石ですが、それ以外の壁はスクラッチタイル張です。ここの1階にはカフェやレストランがあり、のんびりお茶をしていると、古き良き時代の横浜にいるようです。
 事務所の内にも入ることが出来ました。
 映画に出てくるような、異国情緒が溢れるノスタルジックな会議室があり、若い時に一度は勤めたかったなと思うことしきりです。


日本大通り 県庁(キング)を望む 2009年9月27日

日本大通り レストラン・アルテリーベ 2009年9月27日

横浜海洋会館 外壁はスクラッチタイル張り 2009年9月27日


 日本大通り側から見ると、もう東西倉庫のところがすっぽりありません。


横浜海洋会館 並びの建物 2009年9月27日

横浜海洋会館 玄関 2009年9月27日

横浜海洋会館 看板 2009年9月27日

横浜海洋会館 事務所かな 2009年9月27日

横浜海洋会館 重厚な室内 2009年9月27日

横浜海洋会館 階段の踊り場 2009年9月27日

横浜海洋会館 洗面台のある階段 2009年9月27日

横浜海洋会館 会議室? 2009年9月27日

横浜海洋会館 会議室 2009年9月27日

横浜海洋会館 シャンデリア 2009年9月27日

横浜海洋会館 少し急な階段 2009年9月27日

横浜海洋会館 屋上も開放されています 2009年9月27日

横浜海洋会館 港もよく見えます 2009年9月27日

横浜海洋会館  2009年9月27日


○横浜開港資料館旧館(旧横浜英国総領事館)(横浜市中区日本大通)

 子供のころには、ここはイギリス領事館でした。領事館は2代目で、関東大震災の後に建てられています。初代は浦島町の浄滝寺でした。1931年(昭和6年)に英国工務省の設計で、昭和土木建築が建てました。ですので、とても英国的な香りがするところです。旧横浜英国総領事館の建物の中には、領事館の部屋もあり当時の家具も残されています。ここの中には、水道の項で述べさせていただいた獅子頭共用水栓が残されています。


横浜開港資料館  2009年9月27日

横浜開港資料館  2009年9月27日

横浜開港資料館旧館 カフェ 2009年9月27日

横浜開港資料館旧館 入口  2009年9月27日

横浜開港資料館旧館 門の前の大砲 2009年9月27日

横浜開港資料館旧館 大砲の由来  2009年9月27日

 矩形が基調と言われています。


領事室 2003年11月3日

領事の椅子 2003年11月3日

 日米和親条約が結ばれたところかもしれません。)


○横浜海岸教会(横浜市中区日本大通)

 この教会は1933年(昭和8年)に開港資料館のすぐ脇に建てられました。現存する日本最古のプロテスタント教会です。
 設計者の雪野草吉は横浜に生まれ、旧東京芸術大学で学んだ宮内庁の建築技師でした。 建築的な特徴は、尖塔、バットレス(控壁)、アーチによるゴシック調の建物です。
 室内は天井部を折り上げ、明り採りを設け、明治村の聖ザビエル天主堂のような三廊式です。


横浜海岸教会 外観は白が基調です 2009年9月27日

横浜海岸教会 2009年9月27日 

横浜海岸教会  階段がシックです 2009年9月27日 


横浜海岸教会 日本基督公会発祥の地 前の石は狛犬か 2009年9月27日 

横浜海岸教会 圧倒的な迫力の天井 2009年9月27日

横浜海岸教会 祭壇を俯瞰する 2009年9月27日

横浜海岸教会 三廊式 2009年9月27日

横浜海岸教会 2009年9月27日


○ZAIM旧関東財務局横浜事務所(横浜市中区日本大通)

 この建物は、1928年(昭和3年)2月に日本綿花株式会社の横浜支店として建てらました。この建物の通りを隔てた反対側に、祖父の歯科医院があったはずです。日本大通りに面していたと聞いています。隣がスーベニア・ショップで、斜め前が朝日新聞だったそうなので、多分このあたりでしょう。
 さて、日本綿花株式会社は、ニチメンと社名を変え、その後日商岩井と合併して、双日株式会社となりました。建物は終戦後に米軍が接収しましたが、その後、国に買戻され1960年(昭和35年)に事務所棟が旧関東財務局に、1964年(昭和39年)に倉庫棟が神奈川労働基準局庁舎となりました。2003年(平成15年)には横浜市が買収し、この建物を歴史遺産「ZAIM」と名付けました。
 外装は茶と薄黄色のスクラッチタイルが張ってあり、海洋会館と似た雰囲気です。ここでの見どころは、階段室周りです。ここに居た商社マンが、訪れた外国の街並みを懐かしんだのでしょう。壁の塗装のひび割れに通りの名前を書き込んだものが残っています。


ZAIM 2009年9月27日

ZAIM 2009年9月27日

ここで見学会の受け付けをしました)


ZAIM 2009年9月27日

ZAIM 色々な団体が間借りしているぞ 2009年9月27日

ZAIM 年代を感じさせる窓の格子2009年9月27日

ZAIM あれあれ! 2009年9月27日

ZAIM 壁の塗装の剥がれ 2009年9月27日 町の名前や黒猫、椅子が書いてある

ZAIM・cafe 名刺 2009年9月27日

日本大踊り 2003年3月13日

 ZAIMの反対側、手前の茶色の建物あたりが祖父の家のあたりかと思われます。