宮越家の襖絵
       青森紀行その2 大英博物館
 
                       うさお&Cacco

 宮越家の小川三知のステンドグラスを見に行くほぼ一カ月前に、朝日新聞の夕刊に宮越家の襖絵の記事が載っていました。大英博物館にある狩野派の襖絵と対をなすものでは無いかという記事でした。


朝日新聞夕刊 2024年9月18日

 青森に着くと則雄さん(倅の嫁さんのおじさん)から、新聞2葉を頂きました。東奥日報の9月18日版と東奥日報の9月29日「にちよう文化」版でした。多分、青森県政記者クラブから全国紙に情報が伝えられたんでしょうね。

 「日本新聞協会によると、「記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される取材・報道のための自主的な組織」と位置付けられています。
 現在、日本国内には大小様々な記者クラブが存在しています。
 東奥日報は青森朝日放送、青森テレビ、青森放送、朝日新聞、FM青森、河北新報、共同通信、産経新聞、時事通信、デーリー東北、日本経済新聞、NHK、毎日新聞、陸奥新報、読売新聞、フジテレビと共に、青森県政記者クラブ(県庁担当)を形成しています。」
https://www.saibanhou.com/seminar2010report_1_2.pdf


東奥日報の9月18日版

東奥日報の9月29日「にちよう文化」版

 東奥日報の9月29日「にちよう文化」版に大変興味深いことが書かれており、少し長い引用になりますが掲載します。小川三知の研究家として名高い田辺千代さんが、足繁く宮越家を訪ねているうちに、襖絵に興味を持ったことから重要な文化財が発見されたということです。

「今回の調査は、ステンドグラス研究家で宮越家と交流のある田辺千代さん(82)=横浜市=が2021年、町教育委員会から取り寄せたふすま絵の画像を、知人の大学教授を通じて室町美術を専門とする島尾新さん(71)=学習院大学元教授=に届けたことがきっかけ。
 「これが何か分からないか」。島尾さんからメールで画像を受け取った狩野派研究専門家の山下善也さん(65)=元京都国立博物館主任研究員=は、その中の花鳥図の画像を見ているうちに、1987年に東京国立博物館で開かれた大英博物館所蔵展へ出品された「秋冬花鳥図」に似ていると気づき、島尾さんとともに昨年10月、詩夢庵を実地調査した。
 大英所蔵のふすま絵写真と見比べたところ、双方の樹木や岩、渓流などの図柄に「点苔描写」と呼ばれる特徴的な技法を確認した。
 また、中泊町博物館の斎藤淳館長らと画像を検討する中で、大英所蔵の花鳥図の右端の渓流と宮越家の花鳥図の左端の渓流はつながる構図であることを発見。さらに三つ巴紋があしらわれた引き手金具が同じだったことが決定打となり、8面のふすま絵は宮越家の4面が春夏、大英の4面が秋冬を描いた対の作品であると判断した。
 大英のふすま絵の裏面は、奈良県桜井市の談山神社にあったシアトル美術館所蔵の「琴棋書画仙人図」(4面)だったことが知られており、今回、日英の花鳥図が対の作品であることが判明したことにより、「絡まっていた糸がするすると解けるよう」 (田辺さん)に、詩夢庵のふすま絵ももとは談山神社にあったものと判定。最終的に詩夢庵の18面は、
安土桃山時代末期から江戸時代初期の慶長から元和年間(1600~1624年)に制作され、宮越家に伝わる作者と画風は異なるが、同じ狩野派の有力絵師を中心としたグループが描いたものとの結論に達した。」


東奥日報の9月29日「にちよう文化」版より襖絵の配置関係

 涼み座敷には襖絵はありませんが、床の間や違い棚、柱に架けられた美術品が数多くあります。宮越家のこれら文化材には、九代・宮越正治氏が多き係わっています。夫人イハのために詩夢庵を建てましたし、夫妻とも書画、骨董の審美眼を有していました。
 そのため、多くの文化人と交流を持っていたようです。横山大観、下村観山、木村武山、寺崎廣業、小川芋銭、橋本関雪、菊池契月、上村松園、木島櫻谷、小坂芝田、池田桂仙、鏑木清方、松岡映丘、結城素明などお宝鑑定団でおなじみの方々と多くの書簡を交わしておりました。また尾崎紅葉、幸田露伴、与謝野寛(鉄幹)とかの文人とも付き合いがありました。中でも小川三知とも多く書簡を交わし三知をして、わが生涯の作と言わしめるステンドグラスを作成しました。
 襖絵は(伝)狩野山楽、(伝)岩佐又兵衛、いった安土桃山~江戸前期に活躍した絵師の大作、欄間は能面師後藤良の彫刻と伝えられています。柱の能面も後藤作と伝わっています。


涼み座敷 色々な書画骨董 2024年10月14日

この能面も後藤作 2024年10月14日

達磨の書画 2024年10月14日

谷文晁作と言われる鳥の絵があります。署名落款は酷似しています。これは本物ですね。

 
谷文晁作か?署名落款 2024年10月14日 
 
谷文晁作と言われる鳥之図 と署名落款

 圓窓の間に移ります。ここには竹図の襖絵が2本あります。この竹図は伝狩野常信筆と伝えられています。髑髏や人骨のある銅鑼の説明はよく聞いていませんでした。ですが、孫は喜んで触っていました。


竹図 伝狩野常信筆 2024年10月14日

骸骨の彫刻の銅鑼 2024年10月14日

竹図 伝狩野常信筆 2024年10月14日

 奥の間に移りました。床の間には橋本雅邦の絵が掛けられています。橋本雅邦は小川三知の日本画の師匠なので、その縁もあるのかも知れません。
 そしてこの襖絵が新聞に大きく取り上げられた大英博物館のものと対をなすと言われているものです。狩野山楽の作と伝えられていましたが、同じ狩野派の有力絵師のグループが描いたものとされています。


春夏花鳥図 2024年10月14日

 このように繋がりますと、大英博物館のものと比較したものを見せてくれます。


比較図を見せる澤田さん 2024年10月14日

橋本雅邦の山水画 2024年10月14日

 この裏面が、山蘭の間で土佐之岩佐又兵衛作と伝えられている襖絵で、米国シアトル美術館の「琴棋書画仙人図」であることが知られています。


風俗山水図その1 2024年10月14日

風俗山水図その2 2024年10月14日

 欄間は能面師後藤良が彫刻したものと伝えられています。いずれもしっかりとした拵えで圧倒されます。


欄間は能面師後藤良の彫刻 2024年10月14日

欄間は能面師後藤良の彫刻 2024年10月14日

欄間は能面師後藤良の彫刻  2024年10月14日

 宮越家はまだまだ続きます。青森紀行その3:華麗なる庭園の項に乞うご期待。