駆逐艦 雪風
              今だと、どの自衛艦?
                                                       うさお

 Tomy Jr.氏のブログを参照して頂ければ、駆逐艦の役割が見えてくるのと、甲型駆逐艦(陽炎型駆逐艦、夕雲型駆逐艦)38隻の中で、「雪風」は唯一終戦まで生き残った艦なのが分かります。ちなみに「雪風」は陽炎型駆逐艦(一等駆逐艦)です。

駆逐艦“雪風”ノ製作構想決定ス | Saigottimoのブログ (ameblo.jp)

 Tomy Jr.氏の分類で言えば「現在の自衛隊の護衛艦も往時の分類では駆逐艦である。」そうです。ならば自衛艦のどの艦がそれに該当するのだろうか。当時のノスタルジーも込めて艦名に「かぜ」が付いているものを見てみることにします。

 その前に駆逐艦「雪風」を少し検証してみましょう。「ゴジラー1.0」の映画でも、艦壁は多くの戦いを経て少しベコベコになっていました。映画は凄くリアルに作っていましたね。
 Tomy Jr.氏のブログにあるように、全19隻ある陽炎型駆逐艦は18隻が戦闘により撃沈、破壊されました。その中でも、唯一生き残った駆逐艦でした。

 佐世保海軍工廠で建造された「雪風」は、建造時の写真が残っています。


1940年1月 佐世保海軍工廠 雪風

 これではあまりにも解像度が悪く細部が判然としません。
 軍事情報誌に「丸」という雑誌があります。その昭和43年4月号に「雪風」の雄姿が載っています。それがこれ。全長118メートル、基準排水量2000トンで最新鋭の軍艦でした。


軍事情報誌「丸」 昭和43年4月号 雪風

 「雪風」は終戦後は復員輸送船として働き、水木しげるもこの船に乗って帰国しました、
 その後、戦勝国への賠償艦艇として、中国に引き渡されます。中華民国と中国共産党との戦いの際に、台湾海軍の所属になり、「丹陽」と名付けられました。
 老朽化した「丹陽」を日本に返還してもらおうと言う動きが1965年に起こります。


1965年11月16日 朝日新聞朝刊

 しかし、その4年後にはもう廃棄処分にされてしまったと報じられています。


1969年6月7日 夕刊フジ

 活躍していた当時の丹陽の姿がこれ。


艦番号12 丹陽 

未だ砲座があり戦艦の呈をなしている

丹陽 上空から

 さて、本題です。海上自衛隊の護衛艦で「雪風」っぽいのはどれでしょう。
 2009年から2012年頃までは、「かぜ」と付く艦名は「はたかぜ」艦番号171と「しまかぜ」艦番号172、「さわかぜ」艦番号170などが挙げられます。「島風」は大日本帝国海軍に同名の駆逐艦があります。「たちかぜ」は廃艦後、射撃訓練の標的艦となりました。後で着弾位置が分かるようにスリットが描かれています。


元護衛艦の「たちかぜ」 射撃訓練用の標的艦 2008年10月5日 横須賀港にて 
※隣の艦艇は試験艦「くりはま」で研究開発中の対潜及び機雷戦兵器を海上試験します。

 「はたかぜ」は全長150m、規準排水量4600tなので、排水量で「雪風」と比較すると2倍強となります。艦の外観は機関砲の位置などよく似ていると思います。


「はたかぜ」2009年10月23日 相模湾にて

「はたかぜ」2012年10月14日 相模湾にて
 

 「はたかぜ」、「しまかぜ」とも2020年に練習艦になりました。艦番号も3520、3521と年寄りの番号に代わってしまいました。意外に寿命が短いものだと感じました。