猪瀬直樹・著/中公文庫・2020年
Tomy jr.
《総評》
日米開戦前夜、首相直轄の「総力戦研究所」に集められた軍官産の若きエリート達の模擬内閣が机上演習により導いた結論は「日本必敗」。彼らは当時の首相はじめ実際の内閣に対し二日間にわたってプレゼンをしたが果たして日本は四か月後に対米戦に突入してしまう。その後の現実は、原爆投下を除いてほぼ彼らのシミュレーション通りとなってしまった。本書は残された数少ない資料や生存者へのインタビューから当該研究所が生まれた背景や研究経緯、研究生のその後の生き様などを淡々と綴り現代の日本への警鐘を鳴らしている。
《出版刊行歴》
1983年単行本(世界文化社)発刊、1986年文春文庫、2010年中公文庫、2020年新版。
《構成と内容》
プロローグ、第一章 三月の旅、第二章 イカロスたちの夏、第三章 暮色の空、エピローグ、あとがき-参考文献にかえて(1983年夏)、我々の歴史意識が試されている-新版あとがきにかえて(2020年初夏)、『昭和16年夏の敗戦』の教訓 石破茂×猪瀬直樹(2010年10月)
・・・今首相である石破茂氏との著者対談(「中央公論」掲載分)は大変興味深い。全289頁
《著者プロフィール》
猪瀬直樹(いのせ・なおき)1946(昭和21)年長野県生まれ。信州大学卒、政治学修士。作家、政治家。1987年「ミカドの肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年東京都知事、2013年収賄疑惑報道で辞任。2022年~参議院議員(日本維新の会国会議員団参議院幹事長)。
《読書の経緯》
女性初の家庭裁判所長となった三淵嘉子をモデルとしたNHK朝ドラ「虎に翼」主人公の再婚相手が「総力戦研究所」に居たというエピソードから興味を持ち、この本に出会った。
《所感》
① 「総力戦」という概念
言葉というものは他との区別をするために存在するので、その必要がなくなれば廃れる。
「総力戦」とは武力戦、外交戦、経済戦、思想戦など、国の総力を挙げて戦う国家間の戦争を指す。これは現代人にとっては「何をいまさら(当たり前の事じゃないか)」という感があり戦争は総力戦が当たり前の現代において「総力戦」という言葉は殆ど使われない。しかし、第二次世界大戦以前はまだ研究の対象となる段階で決して当たり前ではなかった。事実、日本がそれまで経験してきた日清戦争も日露戦争も欧州を主戦場とした第一次世界大戦も軍隊同士が戦う「武力戦」が主であって「総力戦」ではなかった。従って現在の我々が「総力戦」という観点で考える限り、資源保有量や工業生産力等の国力に雲泥の差がある米国との戦争など明らかに無謀としか思えないが、当時の戦争の常識では「現時点で武力(特に太平洋での海軍兵力)においてまだ優勢だった日本に勝機がある」と軍も民衆も考えたのは当然だったろう。そう考えれば当時の内閣が「実際の戦争は諸君が検討したような結果になるとは限らない」(東条陸相)として、当該研究所の結論を黙殺した事も頷ける。
② 航空兵力の強大化
当該研究所の結論が当時の国策に生かされなかったのは、時代の変化(による科学技術の革新)に国の指導者層も民衆もついていけなかったということだ。なかでも最も顕著だと私が思うのは航空兵力の強大化である。以前は戦争といえば戦車や歩兵が国境を越えて敵領土に侵攻するか公海において艦隊同士が戦うことを意味した。特に海に囲まれた日本においては敵の軍隊が上陸することは困難を極めたので「戦争とは軍隊が海や敵地で戦うもの」でしかなかっただろう。そして国際法によって非戦闘員である一般市民を攻撃することは禁じられていたので、軍隊同士が戦って相手の軍隊や軍事施設を無力化した時点で勝利となり一般市民が徴兵以外で戦争に巻き込まれることは想定されていなかった。しかし航空兵力の強大化によって敵国の都市に空から爆弾を投下する「空爆」が可能となり、大量の爆撃によって軍事施設等を含めた市街地を「空爆」出来るため戦争行為に加担していない一般市民も戦争に巻き込まれ経済活動等にも支障を来すことになり、戦争は国家の総力を挙げた戦い、つまり「戦争=総力戦」が当たり前になったと言えよう。この航空兵力の威力を最初に世界に示したのは真珠湾攻撃やマレー沖海戦での日本軍だった。日本の航空兵力が英国東洋艦隊の主力戦艦プリンス・オブ・ウェールズを沈没させたことは世界中に衝撃を与えた。にもかかわらず大日本帝国は最期まで大艦巨砲主義に囚われ大和級戦艦の建造に走り、その戦艦大和も米航空兵力で沈没させられたことは大いなる皮肉である。
③ 総力戦研究所設立の趣意
本書で興味深いのは同研究所の設立に至る過程やその背景を丹念に掘り起こしている点である。研究生36名の構成は、軍人4名(大尉・少佐クラス陸海軍各2名)、官僚25名(内務省以下主要官庁職員、司法判事及び満州、朝鮮等外地統括官吏)、民間人7名(日本銀行、日本製鐵、日本郵船、同盟通信etc.)と、まさに国内のあらゆる分野をくまなく網羅している。国際情勢があわただしい動きを見せている昭和15年の日本において、閣議決定までして予算を確保し、国内の“最良にして聡明(Best and Brightest)”なる若い(概ね35歳以下)精鋭人材を集めるというのは並大抵のことではない。本書によれば同研究所のモデルは英国のRoyal Defence Collage (国防大学)であり、これは職業軍人を対象としたStaff College
(陸軍大学等)とは異なり官僚や民間人も対象とした機関で1920年代(昭和初頭)には英国の国家機密であったという。従って設立趣意は「(今後の戦争は総力戦になるので陸海軍のみならず)国内各分野において戦争遂行の指揮を執れる人材の育成」だったのであろう。
④ 日本の組織における意思決定システムの問題
本書は当該研究所の活動や研究員の動静と同じくらいのボリュームを割いて、当時の日本の国家的な意思決定プロセスやリーダー達の苦悩を描いている。特に開戦に至るまで近衛内閣で陸相を務めその後首相となって戦争を指揮する東条英機について、彼の人となりや思考プロセス、そして天皇や木戸内大臣が彼を首相にするに至った思惑や背景などを丹念に調べ深く洞察している。よく誤解されがちだが総理大臣の配下である陸相や海相は軍政(軍の予算や人事)を司るが、軍令(軍隊に命令を下すこと)は一切出来ない。軍隊に命令を下せるのは大元帥たる天皇の大権(統帥権)であって、これを実質的に揮うのは大本営(陸軍参謀本部と海軍軍令部の集合体)であり、内閣は総理大臣でも不可侵なのである。この両者は「内閣大本営連絡会議」で合議はできるが意思決定はできず、その結果を形式的に承認する場が「御前会議」だが、ここでも天皇が意見を述べることは出来ないのだという。「じゃあ一体誰が国の最高意思決定をするのか?」ということになるのだが、要するに誰も決断して意思決定することは出来ず「全員一致」が可能な着地点を探ることになる。そしてその最たるものが日米開戦という国家意思決定だったと本書は結論付けている。結局のところ、日本という国は“赤信号みんなで渡れば怖くない(全体責任=無責任)”ということになるのだろうか。本書は「日本的組織の構造的欠陥」という点では、野中幾次郎氏らが著した「失敗の研究」にも通じるものがあるし、「対米戦必敗の警鐘無視」という点では、井沢元彦氏著「言霊」の冒頭に書かれたエピソードのインパクトにも通じる。(2024.12.3)