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米国Universal・2023年公開              
監督:クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィ
   エミリー・ブラント
   マット・デイモン
   ロバート・ダウニー・Jr.
   フローレンス・ピュー
   ジョシュ・ハートネット
   ケイシー・アフレック
   ラミ・マレック
   ケネス・ブラナー
   トム・コンティ 他
上映時間: 180分
興行収入:約10億ドル
写真:映画.comより



《概要》
第二次世界大戦中、極秘裏に進められたマンハッタン計画のプロジェクトリーダーとして世界で初めて原子爆弾の開発を成功させ“原爆の父”と呼ばれたアメリカの理論物理学者、オッペンハイマーの栄光と苦悩を描いた伝記映画。
《ストーリー》
米・ハーバード大を首席で卒業したオッペンハイマーは留学を経て理論物理学に傾倒する。第二次世界大戦中、ナチスドイツの原爆開発を危惧した米国は極秘プロジェクトのリーダーにユダヤ人の彼を据え人類初の原爆を開発する。しかし実戦使用で罪悪感に苛まれ、終戦後は水爆開発に反対し政治家による公聴会で彼はソ連のスパイ疑惑をかけられ苦悩する。
《所感》
“原爆の父”として知られる人物の伝記の映画化であり上映時間が3時間という長編大作。アカデミー賞でも作品賞はじめ監督賞や主演男優賞など主要7部門でオスカーを獲得し、興行収入も製作費の10倍以上のヒットとなった。唯一の被爆国である日本でも今年3月に公開され2ヶ月目に入った今も上映中である。私が鑑賞した5/4の午前もほぼ満席だった。

この映画では、学者、軍人、政治家など、職種や立場によって異なる思惑が描き分けられていて興味深い。同じ学者間でもアインシュタインは「計算には頼らない」と数学者との距離を置き、ローレンスは「理論(物理学)には限界がある」と実験に勤しむ。軍人のグローブスは「後は任せてくれ」と兵器となった原爆を早々に持ち去り、政治家のトルーマンやストロースは愛国主義や共産主義、ナチスとユダヤの関係も保身や野心のために利用する。

本作には原爆が投下された都市の惨状が一切描写されていないとの批判があるが、私はその批判は的外れだと思う。その理由は第一に本作は伝記という原作本の映画化である事。第二にノーラン監督は一人称視点で作品を構成するので主人公が観ていない原爆投下シーンは基本的に描かない事。そして本作の主題は過去の敵国への原爆投下の是非ではなく、未来の“核戦争による人類滅亡”というパンドラの箱を彼が開けた事の告知だからだ。

ルーズベルトが病折し副大統領から急遽大統領に就任したトルーマンは、その時点で初めてマンハッタン計画の詳細を聞かされ「こんな莫大な予算(20億ドル)を議会に内緒で投じて開発した兵器が完成しないまま戦争が終結したら民主党政権はもたない」と驚愕したという。そこで彼は何としても原爆を完成させ実戦で使用するまで日本に降伏してもらっては困ると考え、ポツダム会談の日程を原爆の開発日程に合わせ一ヶ月も遅らせたという。*

映画の中でもロスアラモスでのトリニティ実験が成功した直後に「大統領に電話を」というシーンがあったが、その日7/16トルーマンは首脳会談のためポツダムに居た。既に日本の降伏は時間の問題であり米国の関心はソ連との覇権争いだったので原爆が完成し兵器として使用可能になった事は同じ連合国側のソ連に対する威嚇カードとして必要だったのだ。

マッカーサーら軍人は、数万もの自軍兵士の犠牲を払ってでも本土上陸によって日本を降伏させようとし、トルーマンら民主党の政治家は原爆の投下によって戦争を終わらせようとしていた。ポツダム宣言として対日降伏勧告が7/26に発表されると、日本がこれを受諾する前の8/6に広島、8/9に長崎と矢継ぎ早に原爆が投下され、8/15に日本は降伏した。

従って同年11月に計画されていた日本本土上陸作戦は不要となり、米国政府はこれを逆手に取って「原爆が百万人(←根拠不明の数字)もの米兵の命を救った」とのプロパガンダを展開した。しかし日本は同年5月時点で既に降伏の打診をしており米戦略爆撃調査の公式報告は「日本を降伏させるためには原爆も本土上陸も必要なかった」と結論付けている。**

しかし米国内では今も「原爆は戦争を終結させた平和の象徴」とされており、本作ではこの空気感も描いている。その時代の空気感を世界に知らしめる事は米国側の責務だろうが、であれば原爆投下で生じた悲惨な状況を世界に知らしめるのは日本側の責務ではないだろうか。勿論、世界に知らしめる手段は必ずしも映画である必要は無いが、原爆投下による悲惨さを伝える資料等の情報発信や公開がネット上で余り見当たらないのは何故なのか?

また原爆の開発責任者の手が血塗られているというならば、通常爆弾や焼夷弾や爆撃機などの兵器開発者もその点では同列ではないだろうか。原爆の犠牲者も空襲の犠牲者も同じく命を奪われており都市への原爆投下も無差別空爆も一般市民の虐殺という点では同じく戦争犯罪である。一方で「一億火の玉だ」「銃後の守り」等の日本国内の戦時スローガンの徹底が、敵国に「日本に一般市民なし」の口実を与えた事も我々は忘れるべきではない。

マンハッタン計画を生んだのは、ナチスドイツが米国より先に原爆を保有したらV2ロケットに搭載して連合国の主要都市が核攻撃されるのではという懸念と恐怖だった。ではもし日本が先に原爆を保有したら***どうだったろう。B29より大きい幻の爆撃機として計画されていた「富岳」に原爆を搭載し偏西風に乗って「戦局を逆転するカミカゼ兵器」として米国の大都市に原爆を投下しなかったと我々日本人は断言できるだろうか。(2024.05.07)

* :鳥居 民「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」草思社、2005年 P.195~199
** :ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」アイネックス、1995年 P.142~151
***:日本でも、陸軍の「ニ号研究」や海軍の「F研究」など原爆開発は行われていた。