オーディオへの道「復活に向けて」

                 タツノオトシゴ



  昔こんな経験をしました。闇夜で静かな日の事です。四国を旅した時、地元(中邑市)の郷土史家さんと四万十川河口近くで過ごした時間、目を閉じ、どんな音が聞こえてくるかを二人で会話しました。
 川のせせらぎや風のそよぎ、草木がこすれ合う音、警報機や列車の走り去る音、遠くからは浜辺に打ち返す波の音、神経を研ぎ澄ますとより鮮明に聴こえてきます。


音の聞こえ方は不思議だ

 波の音を聞きながら、「音からすると、今日は引き潮ですね?」と言うと、「何故分かるのですか?」と質問されました。
 引き潮の時は、砂や小石が転がる時間が長くなり、波の後半に、サラサラと言う高音部が強く出ます。満ち潮では打ち寄せる石のぶつかる音がきこえます。
 そんな会話をしながら、聴覚に優れた人は、サバイバルには有利だと実感しています。(座頭市の映画や、「暗くなるまで待って」のシーンを思い出しますね)

 聞こえて欲しい音と、聞こえて欲しく無い音、二つの音のせめぎ合いがあります。
 心理学的には「カクテルパーティー効果」により、多少は補正されていますが、夜中の時計の「チクタク」が気になりだすとホテル客室でのクレームにもなります。測定器を持ち込んで測って、結果を報告しても解決策にはなりません。


カクテルパーティー効果 聞きたい音だけ聞くことができる

 それまで気にならなかった音源の良し悪しや雑音(ノイズ)が気になりだします。
 一般に使われる「原音」とは何でしょうか?人間の耳の方が測定機より優れていると信じているマニアも多く、「俺がルールブックだ!」と同じ世界になりそうです。聞く場所や、個人の差によって違うもののようですが、最終的には個人の『脳』が勝手に判断した結果ではないのでしょうか?測定機を用いて分析しても、脳内フェロモンの働きまでは分からない・・・


振動を脳が判断して言葉や音楽を聴き分ける

 そこで、音源≠原音(生音)という設定が出てくるのです。
 さて、話を戻しますと、何がオーディオへの復活につながったかという本題に戻ります。
 それは、スピーカーのセッティングの重要性と光カートリッジの出現でした。


https://www.otaiweb.com/audio/event/dsaudio2017s/ 光カートリッジ

 アナログの代表であるLPレコードから出てきた音を聴いたとき、今までの再生音とは全く違う次元の音を感じました。CDではカットされている高音域や低音域の音が、クリアに再現されていたからです。この音源でなら、「繊細なチェンバロの音も再生が可能ではないか?」そう思わせてくれます。
 原音には無い音が、二次的な音を作り出す可能性があります。(いわゆる残響音や倍音)
 チェンバロの下降旋律、フランスバロックの音からは、星屑(スターダスト)のような音が聞こえてきます。これは、ホールの音ではなく、チェンバロが出す音が直接働きかけ、残像を脳が創り出している可能性は否定できません。


チェンバロの脳への残像効果

 コロナによる影響で、家に篭りがちになった時、古い映画のDVDを買い漁りました。とはいえ、毎月の費用は5000円位で抑え、音響的な面で底上げをしています。200本近くの名画を繰り返して見ました。演奏会やオペラの作品を見て、「足りないところは脳が補ってくれている」という事を実感しています。長年、合唱団で歌っていたことで、記録(レコード)と演奏会(記憶)の違いを知る私としては、ホールや音源の限界を追い求めるよりも、脳の働きを活用する方が満足度が高くなるのではと思っています。演奏会は「生き物」です。一期一会の世界を追い求めるためには、記憶に残る演奏会を数多く聞くことが大事だと思いました。

 長期間、オーディオから離れていたタツノオトシゴは、フルオーケストラで舞台に立つと言う別世界の楽しんでいました。



 宗教曲などの大編成になると、どんな良い演奏でも再現はできないというのがオーディオでの常識です。オペラ等は演技を伴うため、我々アマチュアには手の届かない世界です。
それでも、自分たちの生の声で舞台から客席に向かって届けることが、どんなに楽しいことか、やってみないとわかりません。
 はじめの頃は、1つの団体(合唱団)での活動でしたが、慣れてくると2つ、3つと広がっていきます。混声合唱団が基本ですが、時々は男性合唱団にも参加し、女性合唱団とコラボもする機会がありました。
 話をする相手の人も、音楽大学の修了生やプロの演奏家が増えてきました。演奏家にとってはどこが良いホールかと言う話がされます。1つは自分たちが歌いやすく、音の響が感じられるホール。もう一つは、客席側から聞いた場合、どこの場所でも同じように聞こえて、音が明瞭であること。

 記録(レコードやCD)の面からは、一期一会の世界がどのように伝わっているかが気になります。サロンのような小さな規模での演奏会もあれば、フルオーケストラの演奏会もあります。オーディオには限界があると言うことを知りながら、それでも追い続けるロマンもあります。



 人間の耳から入った音が脳に届き、どのように感じるかが課題になります。そういう意味では、コロナ禍におけるDVDの活躍がオーディオの復活にひと役買っているような気がします。
 どんな媒体が今後出現するかは分かりませんが、光カートリッジのようなものが出てくると、オーディオは格段にレベルアップします。人間の体とオーディオ製品の組み合わせしたようなものも考えられると思います。

 福祉の世界で言えば、視力、聴力、嗅覚、触覚、味覚、その他センサーが活躍する領域が増えてくると考えられます。
 人間を中心に、地球規模で取り組まないといけない環境問題、何かワクワクしませんか?

 身体に染み込んだ記憶は、簡単には消え去らず、似た環境下では、聞こえてないはずの音が聞こえる事もある・・・表裏一体の世界、まだまだ謎の多い世界です。 完