雅子.
うさおは一通のメールを受け取りました。
「あの懐かしい塔(鶴見・馬場町の配水塔)を毎日見ながら過ごしていた雅子と申します。
以前の住所は馬場町で今から60年近く前水道塔は邪魔するものなく我が家の2階の窓から母が描いたこれらの絵の様によく見えていました。
明治の最後に鹿児島で生まれた母はその頃女性が入れる唯一の美術専門大学の女子美術を出て絵を描き続けていました。(子育てや戦争中は普通の主婦でしたが 末娘の私が小学4年の頃からはずっとでした。) 母が94才で亡くなった後、これらの「塔シリーズ」が出てきて 、興味のある方に見て欲しいという思いでnetを探している時、うさお氏の文章に出会ったわけです。うさお氏がこの水道塔に優しい思いを籠めて下さっているように感じてしまい こういう絵描きが居たことを知って頂きたくなってしまいました。
そんなに出歩く母ではなかったので自然な身近な題材として窓からのこの風景が慰めだったのでしょう、油絵も水彩画もパステル画もデッサンも鶴見水道塔愛がいっぱいです。
今全部眺めていると(他にも油絵があります。)母が甦ったようで気持が安らぎます。」
また別のメールには
「鶴見の家には今は甥家族が住んでおり(馬場町7丁目 北寺尾の谷の反対側) ききましたところ 昔と変わらず すっきりとよく見えているそうです。幸い下の家が平屋なのですが近々2階建てに立て直すそうでそうなったら 見えるかどうかといいます。
母は深堀富美子と申します。」
とあります。
馬場町の配水塔とは、鶴見・馬場町にある横浜市水道局の配水池にある配水塔のことです。子供の時には「ねぎ坊主」と呼ばれていました。小学生のうさおにはとても遠方にある塔でしたので、ここまで来るには大冒険でした。「横浜水道百年の歩み」、「横濱市水道70年史」によれば以下のような塔屋です。
横浜水道百年の歩みから
横濱市水道70年史より
鶴見配水塔 2000年2月26日
個展・深堀富美子
私が中学生の頃の夏休みの或る朝 父が出勤の玄関で編み上げ靴の紐を結びながら母に言った。「今日は絵を描いておけよ」と。母は「そんな事言ったって洗濯もあるし、掃除もあるし、買い物だってしなきゃいけないし、、。時間がないわよ」。
それを聞いていた私は「父は母の芸術性みたいなものを見続けて居たいのだな」と気付いた。同時に「私が母を手伝って家の事をすればいいんだ」と反省した。
その後、普通の専業主婦だと思っていた母が絵を夢中で描くようになり、というか夫と我々3人の子供たちが居ない時間にのみ集中してカンバスに向かうようになった。しばらくはグループ展などに参加するだけだったが、子供らが家を出て数年後、父が「個展をしよう」と言い出したそうだ。さっさと銀座の中林画廊を予約して、初めての個展が開かれたのが1969年。母が60才の時だった。
その直前、父はガンでなくなった。
それから86才まで14回の個展を銀座交詢社ビルの大倉画廊で続けることになる。その間、妹とフランス、イタリア、ギリシャなどを巡り、旅先の風景を描くことにかなりの情熱を注いでいたようである。
個展と並行して、いつからか定かではないが「蒼騎会」にも属して毎年大きな絵を出品していた。
ここにうさお氏の好意で載せていただいた絵は全て横浜鶴見の母の窓から見える水道塔で、季節折々に描いたものらしい。亡くなったあと整理していたら束になって出てきた。数点の油絵ではしっかり描き込んである一方、水彩画では脇役のように窓の遠くに見える。が、何よりスピードのあるエスキースの数点が彼女の目と心の感性の鋭さと豊かさの表れと娘ながらぞっこんである。私も断捨離の時期になり、これらがこのままゴミになってしまうかと思うと残念で寂しいと思っていたところ、うさお氏の鶴見水道塔の優しい文章に出会い、絵を見て頂いたのが母をこうして紹介できる幸運への道になったのだ。
深堀富美子 配水塔のある風景1
深堀富美子 配水塔のある風景2
深堀富美子 配水塔のある風景3
深堀富美子 配水塔のある風景4
深堀富美子 配水塔のある風景5
深堀富美子 配水塔のある風景6
深堀富美子 配水塔のある風景7
深堀富美子 配水塔のある風景8
深堀富美子 配水塔のある風景9
深堀富美子 配水塔のある風景10
深堀富美子 配水塔のある風景11
深堀富美子 配水塔のある風景12
深堀富美子 配水塔のある風景13
深堀富美子 配水塔のある風景14
深堀富美子 配水塔のある風景15
深堀富美子 配水塔のある風景16
深堀富美子 配水塔のある風景17
深堀富美子 配水塔のある風景18
深堀富美子 配水塔のある風景19
深堀富美子 配水塔のある風景20
深堀富美子 配水塔のある風景21
深堀富美子 配水塔のある風景22
わすれゆき
これを機に母の遺した絵だけではなく文章などもまとめたりする力をもらえた気がしていて感謝です。
※深堀富美子さんは「蒼騎会」に属していました。当時の東京都美術館便りや生活の友社刊「美術の窓」等に、色々な紹介記事が残っていました。
生活の友社刊「美術の窓」
artvision 白い伽藍
美術の窓 オーベルニュ地方の廃村
美術の窓 海の窓(B)
東京都美術館便り わすれゆき
凸レンズ 無題
※net上で深掘富美子さんの記述が多く発見されます。それらを幾つかご紹介します。
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