補項
うさお
深堀富美子さんについて、うさおは色々調べてみました。
蒼騎会とは (
http://www.sokikai.com/guide.html)
蒼騎会は、1959年(昭和34年)若い美術家たち十数人により結成されました。互いに感性をみがき、理想を求め、現実をしっかりとみつめて、真摯に作品表現をすること、差別することのない運営を行うことを決意してスタートしました。以来60年、私達はこの精神を受け継ぎさらなる発展を目指し、油彩・日本画・水彩・版画・パステル・ミクストメディア等多彩な作品の全国的な公募団体として、多様性に富む新鮮で個性的な作品が並ぶ蒼騎展にしたいと願っています。
蒼騎会代表 塩川吉廣 挨拶
有明美術館 (
http://w2.avis.ne.jp/~y-kenji/jousetsu-kaiga.html)
この美術館は穂高有明の櫟林に囲まれた私立美術館です。1981(昭和56年)に開館されています。そして、ここの常設展に行くことをお勧めします。「絵画」の項に深掘富美子「風景」が飾られています。
藤原QOL研究所 (
https://www.fujiwaraqol.com/tochinoki/events)
所長の藤原一枝さんは脳神経外科医を極めた方でメスを置いた後、 QOL研究所 を立ち上げます。QOLとは Quality of Life の略ですが、氏は「
L」 は love や language や laughing や lesson や listener や loneliness の意もあるとして、「
寛ぎと豊かな感性を深める場所」にできれば幸せだとしています。
過去イベント一覧に「2005 深掘富美子 遺作展」の記述があります。
雨さんの画業-2 (
http://tozenzi.cside.com/zzgagyo-2.htm)
東善寺のサイトの絵画・石仏・工芸の項に「雨さん・横手由男画伯」に記述があります。
■生死を賭ける旅を決意したものの無一物の私は、千円どころか十円の金もない。昭和48年6月のことである。おりしも、20年前の知人から個展の案内が届いた。これを機会に旅の心は確固たるものになった。3号の油絵一点かいて3万円の金を手にした。当座の生活費として家族に渡し、2千円を懐にして上京した。一人心に秘めての旅は、何とも形容しがたい寂しい船出であった。
■銀座の個展会場へ向かった。雨が降っていた。案内状をくれたのは、深堀冨美子さんという先輩であり、さる大会社の重役の椅子におられた技術家の令室で、美しい花の絵を得意とする方であった。貧しい私はお祝いの品ひとつ持参できず心いためた。還り際に白封筒をいただいた。1万円紙幣が入っていた。そのときの涙を忘れることはない。雨の銀座の大倉画廊での別離であった。一時間後には新幹線ひかりの車中にあった。
(中略)
雨・横手由男 (「望郷」展パンフレット-3)
*銀座の画廊で深堀夫人に、施設の子どもたちの顔をたくさん描いたスケッチブックをリュックから出して見せると、夫人はじっと見つめて、すばらしい、とi言ってくれた。
画廊を出て有楽町駅へ向かって歩いていたら後ろから呼ばれた。振り返ると深堀夫人が追いかけてきて、これ持ってって、と渡された封筒に餞別が入っていた。私はありがたくいただいた。この餞別のおかげで京都まで買えなくて途中までしか持っていなかった切符を買い足して、とりあえず目的の黒谷まで行くことができたのです。(雨さん談ー村上泰賢記)
*深堀富美子さんは戦中戦後、家族で渋川に疎開して雨さんと知り合い、グループ展などでともに画業に励んでいた。2004年平成16年1月9日に97歳で亡くなられました。
広報あびこ
(
https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/kouhou/abiko/backnumber/h1-20backnumber/h5hakkoubun.files/1993_0801.pdf)
我孫子市の広報に、ミニギャラリーとして記述が残っています。
洋二 (私家版書籍)
雅子氏のご尊兄に「洋二」さんという方がいらっしゃいました。横浜市鶴見区東寺尾に生まれ、平沼高校を卒業し、東京大学理学部物理学科で学び、北海道札幌管区気象台に勤務するも、桑園近くの踏切で電車事故に巻き込まれ24歳で夭逝されます。若くして亡くなったため、将来を嘱望された息子に対し父母と妹は、洋二氏の記憶を残すためにメモや書簡を編纂し遺稿集を作りました。その本の中にも深掘富美子氏のカットが残っています。
交詢社
深掘富美子氏は大倉画廊で14回の個展を開きました。大倉画廊が入っていたのが、銀座6丁目にある交詢ビルディングです。交詢社とは、慶應義塾を創設した福澤諭吉先生が提唱した実業家社交クラブです。基本的には慶應義塾大学の同窓会を中心に運営されており、社名は「知識ヲ
交換シ世務ヲ諮
詢スル」に由来します。
明治13年からこの倶楽部は連綿と継続されており、会員資格は慶應義塾大学のOB・OGとされています。交詢社では会員のことを社員と呼びます。
交詢ビルディング 2019年8月1日
館内にある福沢諭吉翁の肖像画 2023年3月2日