広島の四季再発見 ② yuko





 暑い暑いと言い続けた長い夏が終わったと思ったら、秋が駆け足で過ぎ去って、冬がやってきました。急に冷え込み広島では先日ちらちら初雪がありましたよ。

 さて、広島の四季再発見。今回は私の好きな墓碑や句碑を巡ってみましょう。
先ずは私の大好きな毛利元就のお墓から。



 毛利元就の墓所は、広島県安芸高田市の吉田町にあります。昔は高田郡吉田町でしたが、今は安芸高田市…ニュースで今の市長が市議ともめている市として、変に有名になっています。
 父方の祖母がこの吉田町の出で、私には何となく所縁があると感じている町です。

 私の家から車で1時間ほど走れば、この長閑な町に行けるという手軽さもあって、時々息抜きに訪れる好きな場所が、この毛利元就所縁の地なのです。


墓所のすぐそばにある「百万一心の碑



 説明は不要でしょうが、百万一心…一日・一力・一心…人柱の代わりにこの言葉を彫った石を埋めたという話を聞き、毛利元就が好きになった私です。

  百万一心の丸き碑文字や冬ぬくし


 「毛利元就の墓」…山の中で人通りはまったくない閑散とした感じです。それでも前に立つと、やはり圧倒される。
(鳥居をくぐって少し行くと鉄扉に囲まれたお墓があります。写真が無くてすみません)

 一族をなほ守るごと冬の蝶

 郡山城から多治比へと移動して、毛利元就が幼少期を過ごした「猿掛城址」へ、これが私のドライブコース。
 猿掛城から見下ろせる場所に、やはり好きな「お杉の方」の墓があります。初めてお杉の方の墓を訪れた時、その小さな墓、ましてや民家の横にひっそりと建っていることに驚きました。何故か何度も訪れたくなる墓でもあります。
 猿掛城を望めるこの場所が、お杉の方にとっては安らぎの場所なのではないかと、お参りしながらそんな風にも思えます。

「お杉の方の墓」



 こんな風に民家のすぐ脇に、特別な囲いもなく建っています。初めて訪れた時には「うそ~!」と思ってしまいました。

 おおらかに終へし生涯冬銀河

 続いて、やはり広島ですから平和公園近辺の碑を巡りましょう。


国民学校教師とこどもの碑

 原爆で多くの人々が犠牲になった広島ですが、その中には当然小さな子ども達も含まれます。戦争はいつの世も罪なき人の命を奪います。
 この碑の前に立つといつも平和という言葉の意味を考えます。碑の背面に正田篠枝さんの、短歌が刻まれており、胸を打ちます。

 大き骨は先生ならむそのそばに
           小さき頭の骨あつまれり   正田篠枝


 平和公園の周辺には、多くの句碑や歌碑が点在しています。広島に来られた時は、ぜひそれらをぐるりと巡ってみてくださいね。



 これは平和公園にある、被爆で飛ばされ残った墓石です。
 平和公園の中に、何故この墓石がそのまま残されているのかというと、この辺りには慈仙寺というお寺があり、当然墓もあったのです。この墓は江戸時代からこの地に建っていたもののようですが、通常の土地よりも低いくぼ地に建っています。この低い土地がもともとの土地の高さで、平和公園は被爆後盛り土をして、生まれ変わっているのだと、皆さんに知ってもらうためにこの墓が残されていると、聞いたことがあります。
 250年もこの地で先祖を見守っていた墓が、この場で訴え続けていると私は一瞬の原爆の破壊力に恐怖を覚えるのです。
 同時にこの盛り土の下には、どれだけの尊い命が埋まっているのだろう…と、笑いながら公園内を闊歩する若い人たち、食べ物を片手に声高に話しながら行き交う外国の人達に、そのことをもう一度考えて欲しいと、願ってしまうのです。

 町ひとつ消えし現実冬ざるる



 私が編集した俳句誌の「平和を考える」という特集号から平和公園付近の句碑です。

 悲しみの夏雲へ向け鳩放つ  中曾根康弘
 慈母の像平和の鳩をはなち給ふ  松野自得


 「広島の四季再発見」などとタイトルをつけながら、今回は私の好きな石碑や墓をご紹介しました。句碑好き、墓好きの私なので…

次回は広島の自然を存分に紹介できればと考えています。  yuko