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                  Tomy jr.

 伊勢に出雲に京都に奈良に?


 “日本人として一度は行かなくてはならない場所”として私が考えているのは、社では伊勢神宮出雲大社、そして都では(江戸だった東京には生まれ住んでいるので)平城京のあった奈良と平安京のあった京都、そして戦場となった沖縄、原爆投下の広島長崎の7ヶ所です。このうち長崎と京都は子供の頃に行き、広島は現役時代に出張で何度か訪れました。

 2023年5月に新型コロナの感染法上の分類が「5類」扱いとなったことで、旅行熱が再燃し始めたようです。海外からの観光客(インバウンド)も復活し、日本人の国内旅行や海外旅行(アウトバウンド)も増加傾向だそうですが、その昔、鎖国状態の日本では庶民最大のレジャー(娯楽)といえば“お伊勢参り”が定番かつ標準的(スタンダード)だったようです。

 そして伊勢神宮と並び称されるのが出雲大社です。よく言われる事ですが、この両者の位置を直線で結ぶと奈良を挟んでほぼ東西の陸の端なので、海から登る朝日と沈む夕日で対照的です。つまり伊勢と出雲は、日昇と日没、生と死、浄と穢、と対照的な事物を象徴しますが、実は両者は表裏一体で切り離せない同じ事象の両側面を示しているとも言えます


               【地図はGoogle Mapから】

 私はつい最近までどちらの神社にも行った事がありませんでしたが、2014年に伊勢神宮に参拝する機会に恵まれました。あるご縁から「宮沢賢治作詞作曲『星めぐりの歌』による変奏四重奏曲の奉納ツアー」に参加したのです。そして2017年には島根県在住の友人を頼ってJR寝台特急「サンライズ出雲」に乗って出雲大社を訪れることもできました


     【左:伊勢神宮の鳥居と神楽殿、右:出雲大社の拝殿と稲佐の浜】

 神話の時代から存在している出雲も内宮外宮に分かれてスケールの大きい伊勢も、どちらも荘厳で古式ゆかしい趣はあります。でも両神社を参拝して思ったことは、神社とは結局のところ人間が神を参拝する人間のために作った場所だということです。むしろ私が子供時代に遊び場にしていた明治神宮に神社の理想形を見たような気がしたのです。


                  【明治神宮】

 明治神宮はその名の通り明治天皇を祀って大正時代に作られた社ですが、元は何もない広い原っぱ(だから原宿)で、そこに全国47都道府県からの献木や勤労奉仕団により造成された“人工の森”だそうです。更地から新たに設計したが故に、長い歴史で変遷せざるを得なかった伊勢や出雲より神社に求める理想の景観や機能が見て取れるのかも知れません。

 伊勢と出雲に続き、2022年には念願の奈良を初めて訪れました。家内の知人の墓参りを兼ねて30数年ぶりに二人旅で京都に行った際に立ち寄ったのです。奈良は京都と違って市内交通網が整備されていないので、近鉄特急で京都から往復し奈良市内は駅近くでシェアカーを借りて法隆寺、薬師寺、東大寺大仏殿などをクルマで巡る日帰りツアーをしたのです。


      【左:京都の東寺と宝厳院、右:奈良の法隆寺と東大寺大仏殿】

 奈良の寺を観て廻るうちに、家内から「奈良には庭園が無いね」と言われ、気付きました。海外(当時は主に中国)から伝来した仏教が国内で繁栄し、奈良も京都もお寺は沢山ありますが平城京の時代にはまだ庭園文化が無かったのでしょう。そして平安京以降に京都で花開いた日本独自の庭園文化の功罪は岡本太郎の「日本の伝統」*に詳述の通りだと思いました。

 私は京都の繊細な美しさよりも奈良の素朴さに惹かれました。家内もそう感じたようです。もう一つの発見は「大きさ」です。奈良の大仏は鎌倉の大仏より遥かに大きいと聞いていて想定もしていましたが実際に近寄ってスマホで写真を撮った際に「物理的な大きさ等の迫力はデジタルの2次元画像では表現できない」という事を改めて思い知りました。

 さて、これで東京在住の私が考える“日本人として一度は行かなくてはならない場所”7か所のうち6か所を制覇し、残るは1か所、沖縄を残すのみとなったのです。(2023.8.8)

*:伝統とは創造であり、生きるための原動力であると主張する著者が、縄文土器・尾形光琳・庭園を題材に、日本の美の根源を探り出す。「今日の芸術」の伝統論を具体的に展開した名著、初版本の構成に則って文庫化。解説:岡本敏子。(光文社・智恵の森文庫Webより)