Tomy jr.
衰退期は成長期と何を変える?
今から丁度60年前の1963年(昭和38年)6月15日、日本人(永六輔)が作詞し、日本人(中村八大)が作曲し、日本人(坂本九)が日本語で歌った楽曲
「上を向いて歩こう (英題:SUKIYAKI)」が、全米ヒットチャートNo.1*になりました。この曲は2年前の1961年(昭和36年)に日本で大ヒットし坂本九はその年のNHK紅白歌合戦に初出場しています。
坂本九は都会の比較的裕福な家庭で生まれ育った**にも拘わらず、所謂イケメンではないニキビ面の素朴さも相まって、
地方から都会に中卒で集団就職した少年少女達にとって身近なアイドル的存在となりました。1963年(昭和38年)12月には「
明日があるさ」(作詞:青島幸雄、作曲:中村八大)という曲も大ヒットさせています。
1963年(昭和38年)当時の日本は、翌年に最初の東京五輪も控え高度経済成長期の真っ只中にあり、まさに
国を挙げて上を向いて歩いていた時期で、誰もが “明日は今日より良くなる”と信じて疑わない空気が流れていました。そして、労働力人口やGDPなど国家レベルだけでなく、人間の一生にも当然「成長期」と「衰退期」はありますよね?
「成長期」とは、昨日(昨年)出来なかった事が今日(今年)は出来るようになり(オレンジ①)、今日(今年)出来できなかった事も明日(来年)出来るようになる(オレンジ②)期待が持てます。一方
「衰退期」はその逆で、昨日(昨年)出来た事が今日(今年)出来なくなり(ブルー①)、今日(今年)出来ている事も明日(来年)出来なくなる(ブルー②)懸念がある局面です。
「這えば立て、立てば歩めの親心」というように若い頃は押しなべて「成長期」なので、何かが上手く出来なくても「明日があるさ」と気を取り直し「上を向いて歩こう」で良かったのでしょう。こう考えると
「上を向いて歩こう」や「明日があるさ」という曲は、歌謡曲のスタンダードであると共に、まさに「成長期」における応援歌だったとも言えます。
でも齢を重ねると先ずは身体が、次に頭が「衰退期」に入っていきます。いずれ走れなくなり、歩けなくなり、立てなくなり、そして死ぬのです。
「衰退期」では、明日は今日より悪くなるでしょうし、将来を考えたら上ではなくむしろ足下をよく見て歩かないと転んでしまう危険があります。では「衰退期」においては、一体どうすればいいのでしょうか。
少なくとも過去を振り返ると、以前は出来たのに今は出来ない事(ブルー①)が気になって落ち込むので得策ではありません。ならば
今出来ているがこの先出来なくなる事(ブルー②)に着目すればいいのでは、とも思います。でも一体どの部分がそうなるのかが想定できません。想定した事が引き続き出来てしまい想定外の事が出来なくなるかも知れませんしね。
従って、残された着眼点は一つ。つまり、今出来ている全ての事(ブルー③)です。これらのうちの一部は将来出来なくなる(ブルー②)と考えていますが、よく考えれば死んだら何ひとつ出来なくなるわけです。つまり
今出来ている全ての事(ブルー③)は、いずれ必ず出来なくなると考えるべきです。何故なら我々はいずれ必ず全員漏れなく死ぬのですから。
ということは、
「衰退期」において我々は、決して過去を振り返らず、自分が今出来ている全ての事(ブルー③)に着目し感謝し、毎日を過ごすしかないのではないでしょうか。そう考えたとき「成長期」の「上を向いて歩こう」や「明日があるさ」に相当するような「衰退期」の応援歌は何でしょう。
スローガン的には「今を生きる」といったところでしょうか?
【ザ・シネマVODニュースWebより】
「いまを生きる」という邦題の米国映画(1989年)は主演のロビン・ウィリアムズの好演が印象に残りますが、原題は「Dead Poets Society (死せる詩人の会)」で主体は学生寮の若者達、今回のテーマとはあまり結びつきません。但し、若者も含めて
誰にとっても確実に言える事は「これからの生涯において、いまが一番若い」ということでしょう。(2023.8.7)
*:1963年6月15日からビルボードで3週、キャッシュボックスで4週連続No.1となったこの曲はこれまでに世界約70か国で1300万枚以上のセールスを記録。(
Wikipediaより)
**:川崎市出身で名前の由来は第九子だったため。当時の人気番組「夢で逢いましょう」出演者の中で「自宅にテレビがあったのは坂本九だけだった」と永六輔が証言している。