Tomy jr.
さて退職から何年経ちました?
サラリーマンの多くは
退職後の自己紹介も「元○○社で□□部長していました」「現役時代に△△をしました」と過去のキャリアで自分を語るのが一般的(スタンダード)のようです。 でも、これじゃあ自分は働くために生まれて来たので「退職後の自分は絞り切った出汁殻でしかありません」と吐露しているようなもので、ちょっと悲しいですよね。
私が人事部時代にキャリア理論を勉強した際、感銘を受けたのがD.スーパー博士の
「ライフキャリア・レインボー」です。私はそれまで「キャリア=経験した仕事の種類」だと思っていました。でも
「キャリア=生まれてから死ぬまでの様々な役割」、「人生全体がライフキャリア」で、「仕事=その中の一部(ワークキャリア)に過ぎない」ことを知りました。
【虹全体がライフキャリアで、ワークキャリアはオレンジ色のみ】
日本人の平均寿命は男女とも80代ですから、20代前半に就職し60代で退職するとしたらワークキャリア(労働者)は期間的にライフキャリアの約半分。その期間内も勉強(学生)や趣味(余暇人)や親など(家庭人)、別のキャリアが併存しています。退職後数十年も生きるとしたら
ワークキャリアは知的資産や人脈等の獲得で退職以降の人生を豊かにすべきものです。
サラリーマン時代の接待で
ゴルフやお酒の飲み方を知り、転勤で地方都市生活を経験し、海外出張で
異言語や異文化に触れ、社内外ミーティングで
多様な人達との知己を得、営業で芸術家やアスリートなど
全く違う世界の人達と交流を持つ、それらのキャリアによって
退職後の人生が豊かになる。これが主たる成果で、会社で残した業績等は副産物でしょう。
退職後に
珍しくカミさんから私が褒められた事がありました。最近還暦を迎えたカミさんが昔のママ友や近所のパート仲間と話した際に退職した旦那達の話になり「ウチの旦那は買物にも着いてくるのよぉ。その点、お宅は一人で出掛けてくれてイイわねぇ」と言われ「その点は確かに有難いわ」だと。
そんな事?その旦那も罪滅ぼしのつもりだろうに・・・。
もう50年近く前、母親がオートクチュール(注文婦人服)の店を畳んで自宅で固定客のみで自営していた頃のお客様の話です。何歳か年上の旦那様が数年前に定年退職された際「
彼は仕事上の知人も多く社交的だから濡れ落ち葉族*にはならないだろう」と半ば安心していたそうです。そして退職して半年くらいは昔の仕事仲間などが頻繁に来訪していたとの事。
【濡れ落ち葉 PHOTOHITOより】
ところが
退職から半年を過ぎたあたりからパッタリ誰も来なくなって旦那様は自宅に独りでボーっとして過ごす日々が続き、まだ現役で働いていた奥様はとても心配されたそうです。しかし、その旦那様は町内会の会合に顔を出したり、地元の趣味のサークル等で新しい仲間を作ったりして、今は日々社交的に過ごしているので安心されたという話でした。
その後サラリーマンとなった私は、
この話を思い出す度に自分が実際に仕事上で知り合った気の合う先達を思い浮かべては「そりゃそうだろうな」と得心したものです。その人が同じ会社の先輩だろうが顧客筋だろうが、気の合う人なら仕事上の付き合いがなくなった後も連絡をしたり時にはご自宅に伺って助言をもらったりもするかも知れません。
しかしそれはお互いが現役であることが前提で、相手が退職されてしまった途端に連絡はしにくくなると思ったのです。もし
先方が優雅なリタイア生活をしていて「お前、まだそんな事で悩んでいるのか」と言われても嫌だし、逆に退職して元気を失っていて「お前はまだ仕事出来てイイよな」と言われても嫌ですから。戦場は違っても戦友同士でないとね。
私自身は、新卒(22歳)で就職した会社を満65歳で退職して約2年半になります。現在は一応自営業(経営コンサルタント)ですが、
実際は開店休業中の年金生活者としてつつましやかな生活を送っています。現役時代は退職したらどうなるのか不安でしたがそれらは杞憂で、今はサンデー毎日状態が快適で、自由に時間が過ごせる事を謳歌しています。(2023.8.1)
*濡れ落ち葉族:主に定年退職後の夫で特に趣味もないために妻が出かけようとすると必ず「ワシも(付いて行く)」と言って、どこにでも付いて来る様子を指す。 (Wikipediaより)