Tomy jr.
時代を超え岡本太郎に会ってくる?
2025年に大阪で万国博覧会が開催されるそうです。
万博と言えばEXPO’70つまり1970年の大阪開催から55年ぶりとなります。当時、アメリカ館の“月の石”を一目見ようと入館者が何時間も行列した事などが話題になりました。中学生だった私は別に万博に興味が無かった訳ではないのですが、遠いし「どうしても行きたい」とまでは思いませんでした。
先日、川崎市にある岡本太郎美術館*に初めて行った際、「太陽の塔」の特別展示があり、EXPO’70当時に建設されたこのモニュメントのバーチャル・ツアー等を体験しました。この塔は
地下にも展示があり、単なるオブジェとかシンボル・タワーではなく “人類の進歩と調和”というテーマを担う館として様々なアートが展示されていた事を初めて知りました。
【太陽の塔公式Webより】
私にとって岡本太郎とは原色を多用した派手で奇抜な作品が多い前衛芸術家というよりもTVタレントで、CMに登場しては
「芸術は爆発だ!」とか「コップの底に顔があってもいいじゃないか」等と叫ぶ“ヘンなオジサン”でした。でも近年、知人から薦められて彼の著作を読んだところ、まさに“目から鱗”の連続で彼の論旨にはとても感銘を受けました。
特に彼の芸術に関する深い考察というか洞察力には驚かされました。
“芸術は教わることも教えることも出来ない”として師匠も持たず弟子も取らず、工芸や芸能の職人芸は称えつつも、それらと芸術とは全く違う価値だとしています。また自らを
“本職は(芸術家ではなく)人間だ”として、
“人生が芸術であり、芸術が人生だ”とも述べています。
また
“芸術は心地良くあってはならない、綺麗であってはならない、上手くあってはいけない”という芸術3か条を提唱しています。私は「芸術は“美”の追求だから綺麗な方が良いのでは?」と思いましたが
“美しいと綺麗は正反対”で、心地良くて綺麗なものは時代に依存するとし、
“真の芸術は「何だこりゃ!?」となるものだ”と彼は書いています。
以前、書道を教えている人から「ある分野に秀でた人が書く字には何とも言えない味がある」と聞いた事があります。バランスや筆さばき等の技術は伴わなくても、その書から伝わる“何か”があるのでしょう。
「上手い○○」を目指すのが一般的(スタンダード)ですが、上手さとは違う心に響くもの、それが芸術だよ、という岡本太郎の声が聞こえるようです。
【岡本太郎美術館公式Webより】
何より凄いと思ったのは、多くの日本人画家が20世紀初頭のパリに短期間滞在しては当時の西洋画のトレンドであるセザンヌやルノアールらの画風や印象派の技法等を学んで持ち帰ったのに対し、
彼は「西洋絵画がいま何故この様式になっているのか?」という疑問を持ち、ソルボンヌ大学に入学して(絵画ではなく)哲学と民族史を深く学んだという点です。
中世以前の画家は音楽家と同じく王侯貴族等に雇われ、一族の先祖や家族の肖像画や宗教画を描いていました。それが20世紀に入り市民革命などを経て、民衆の日常(ミレーの「落穂拾い」等)や一般人の裸婦
(ルノアール等)、卓上の静物(セザンヌ等)などの対象物を描くようになっていったそうです。彼はこうした
西洋絵画の背景を学び本質に到達したのです。
そして、王侯貴族などのパトロン(資金提供者)や教会等の権威のためではない、一般市民のための芸術をパリで目の当たりにした彼は、日本でも
一部の裕福な好事家の所有物としての高価な嗜好品ではなく、広く一般市民が気軽に味わえる芸術の意義と機会を生涯を通じて追及しました。私はその生き方に、彼の“筋の通った芸術論”を感じるのです。
【岡本太郎記念館「明日の神話 再生プロジェクト」ページより】
いま私が住んでいる
渋谷の街にも岡本太郎の作品が常設展示されています。メキシコで取り壊されたホテル内にあった大壁画を日本に持ち帰って修復した「明日の神話」です。今や日本を代表する場所の一つとなった渋谷スクランブル交差点からもガラス越しに見え、誰でも無料で鑑賞できるので我々はいつでも岡本太郎に会うことが出来ます。(2023.8.4)
*
川崎市岡本太郎美術館:彼の生誕地でもあり名誉市民でもある川崎市の生田緑地に1999年竣工・開館した美術館。また港区青山の住居兼アトリエが
岡本太郎記念館となっています。