読書評 日出彦

 深川にゃんにゃん横丁



 又々、猫つながりである。宇江佐真理の「深川にゃんにゃん横丁」という、ずばりの題名の小説を紹介する。



 この小説はこれまでのものとは違い、人間側からのクールな描写に徹している。舞台は題名のように横丁であるが、江戸切絵図には載らない人一人がようやく通れる幅の町人用の通りである。その横丁に面して住いする人々が主人公になる人情物の連作である。
 ここでの狂言回しは裏長屋「喜兵衛店」の大家徳兵衛、その長屋の店子のおふよ、および自身番の書役の富蔵の3人である。3人は幼馴染で共に数えで55歳。この中で、徳兵衛が中心となり話が進む。加えて、岡っ引きの岩蔵45歳がトラブルの解決に専門筋として参加する。三人は「三匹の○○」のように率先して問題解決に当たることもあるが、成り行き任せで解決に至ることもある。
 ここで目次に沿って登場人物(+登場猫)を示しておく。季節欄の数字は推測しうる本書の該当ページを示す。(以下、ネタばらしあり)

 目 次  主人公  関連場所  季節  あらすじ
 ちゃん    泰蔵 (材木屋「相模屋」の手代25歳)  山本町喜兵衛店  晩秋(27,38,44)    別れた娘おるりと再会して連れまわした泰蔵が、かどわかしの疑いで海辺大工町の自身番に拘留される。疑いが晴れてのち、おるりとの別離がある。
泰蔵は白猫を「るり」名付けて飼う。鳴き声が人語に聞こえる。  
 おるり(8歳)  海辺大工町
 白猫(るり)  にゃんにゃん横丁⇨仙台掘亀久橋⇨喜兵衛店
 恩返し     音吉 (巳之助<木場の川並鳶>の三男  山本町喜兵衛店  「ちゃん」の翌年の早春(49,64)     ・相模屋の当主弘右衛門が相撲好きの隠居のため「子供相撲」を開催。親への恩返し
・音吉は世話になった人々への恩返しで相撲に出る(?実は)
・冬にまだらがおつがの家で出産。仔猫5匹。その後、まだらが色々な物品を運んでくる。猫の恩返し   
 相模屋の隠居(子供相撲の主催者)  三好町
 おつが(富本節の女師匠)  山本町;にゃんにゃん横丁沿い  
 母猫(まだら)
 菩薩    おもと(女髪結い)  山本町;にゃんにゃん横丁沿い   盛夏(盂蘭盆から深川八幡祭りまで)(89,108,117,127)    民蔵とおもとの夫婦の情愛物語で、酒毒で民蔵が亡くなるまでの顛末。
徳兵衛が菩薩とまだらの夢を見る。  
 民蔵(おもとの亭主;元絵師)
 母猫(まだら)  にゃんにゃん横丁
 雀、蛤になる    喜兵衛(呉服屋増田屋の隠居)  蛤町  晩秋から初冬
(霜月から師走)
(131,132,161,170)  
 徳兵衛が家主の喜兵衛から一茶の句を教えられる。
蛤になる苦も見えぬ雀かな
いろいろな出来事があって、徳兵衛たちはおこまも、おなおも蛤になったと思う。
猫は表立って出てこない!  
 おこま(煮売り屋金時を営む)28歳  山本町の表通り
 おなお(佃煮屋小川屋の長男鉄平の嫁)22歳  油堀の下之橋際
 香箱を作る       彦右衛門(薬種屋五十鈴屋の大旦那;隠居)  米沢町⇨山本町喜兵衛店  冬から初春
(前年の)師走の後半から3月頃
(178,186,210)    
 年明けに彦右衛門が越してきて、井戸端にいる猫を見て「香箱を作る」と長屋になじまない言葉を言う。彦右衛門とおひちの淡い恋物語がある。
佐源太と瑞江の恋物語。瑞賢に許される。    
 佐源太(大工源五郎の次男;竹村瑞賢の弟子)  本所緑町⇨山本町喜兵衛店⇨本所緑町
 竹原瑞江(竹原瑞賢の一人娘)  本所緑町
 おひち(数十年前の火事で焼死した娘)  多分山本町
 長屋にいる猫たち(井戸端で丸くなっている)  山本町喜兵衛店
 そんな仕儀       おふよ  山本町嘉兵衛店  春(桜の季節の後)(213)        ・おふよの長男一家が上方から里帰りする。おさちだけがおふよの家に泊まっていく。
・亡くなった母親によく似たおふよを友五郎がストーカー。家に押し入る。
・まだらがいなくなる。
ある夜、おつがの家の周辺ににゃんにゃん横丁のすべての猫が集まる。
るりがまだらの後継者になることを匂わせて、幕切れ!     
 おさち(おふよの孫娘)  上方⇨嘉兵衛店⇨上方
 友五郎(炭屋佐賀屋の末っ子)  本所
 おつが  山本町の2階建て
 母親まだら  おつがの家
 にゃんにゃん横丁の猫たち(るりを含む)  おつがの家の周辺

にゃんにゃん横丁はどこにあるか?

 にゃんにゃん横丁は下記の古地図(人文学オープンデータ共同利用センター深川絵図14-239 山本町)では明らかでない。



 そこで、作者の記述に沿って界隈の地図を描いてみた。
 山本町は浄心寺の裏にある町人町で、海辺新田の小路を間にして南北に分かれている。木場が直ぐ目の前にある。にゃんにゃん横丁は山本町と東平野町の間の狭い小路で、山本町の住人が使っている。なぜなら海辺新田の小路は秋田安房守の関係者(家臣や出入りの商人など)が主に使っているから遠慮しているためである。
 目印になる浄心寺は現在も江東区平野2-4-25にある日蓮宗の寺院で、江戸時代は将軍家から十万石の格式を許された。現在の浄心寺本堂はコンクリートの建物になっているようだ! 
というと、にゃんにゃん横丁は南の山本町と東平野町の接触している部分であろう。
 次の図は以上の情報を元に描いてみた。道路幅などのサイズはいい加減である!
 にゃんにゃん横丁ついては図示したところにあるとみてよいだろう。



秋田安房守下屋敷の謎

 上記の古地図を見てもらうと明らかだが、冒頭に出て来る「秋田安房守の下屋敷」が見当たらない。秋田淡路守の屋敷はあるが、ここは旗本で、綱吉の生類憐みの令が出たときに、5歳の家老の息子が誤って吹き矢で燕を射ってしまったため、親子共々斬首の刑にあったという話で歴史に残っている。三春藩の秋田安房守の縁戚にあたるという。
 秋田安房守は東北の三春3万石(5万石とも)で、文化文政時代に上屋敷は西新橋慈恵医大付近、中屋敷は港区麻布台にある現在のロシヤ大使館付近、下屋敷は西新宿東京都庁付近にあったといわれている。徳川300年の長きに渡るので、過去に深川に屋敷を拝領したかもしれないが、小説の時代の現実世界では秋田安房守の下屋敷はこの土地には存在しないのである。

こだるまの場所

 徳兵衛らは自身番が引けてから一膳めし屋「こだるま」によく寄る。自身番の近くにあり、書き役の富蔵と一緒に帰りに寄ることがしばしばある。ここは夜だけおふよが手伝いに出ているので、五つ半(21頃)に暖簾を降ろしてからも居座っておふよと一緒に帰ることが多い。亭主は年寄りの弥平で、料理を作る以外ほとんど表に出てこない。こだるまは、にゃんにゃん横丁の西の端、横丁を折れて右に折れたところにある。隣に質屋「大磯屋」があり、出入口がにゃんにゃん横丁とこだるまの横にあるという。大磯屋は鍵の手になっている。このことから、こだるまは次の地図の位置にあると思われる。



自身番の場所

 徳兵衛らが詰めている自身番はどこにあるのだろうか?
 にゃんにゃん横丁を抜け、仙台掘りに向かった所にあり、実際は東平野町に所在しているが、通称「にゃんにゃん横丁の自身番」で通っている。あまり定かでないので、上の図のように考えた。徳兵衛、富蔵、岩蔵が詰めていることが多い。

にゃんにゃん横丁沿いの家々

 にゃんにゃん横丁に沿った家々は明確に示されていないが、かろうじて推測できるのはおもとの家とおつがの家である。おもとは「菩薩」に出て来る女髪結いで家は裏店の向かいにあると書かれている。この横丁に複数の裏店がなければ、喜兵衛だの向かいということになる。また、おつがの家は2階建てで(西側から見て)喜兵衛店の手前にあるようなので、このような位置になるだろうか?



 
なお、にゃんにゃん横丁沿いではないが、<雀、蛤になる>で出て来る、冒頭の絵図に示した材木仲買「信州屋」(同定できた唯一の場所)や、<恩返し>に出て来る弁天湯も山本町のどこかに所在している。 
 ちなみに、大家徳兵衛の自宅は東平野町にある一軒家である。妻のおせい、長男夫婦、3人の孫と一緒に暮らす7人家族である。

にゃんにゃん横丁の猫たち

 にゃんにゃん横丁と言われる位だから、多くの猫がいる筈だが、登場するのは母猫まだらとその眷属である。まだら(黒と白のまだらで、正式には「よもぎ猫」と呼ばれる)は多分傀儡子に相当する猫と思われる。傀儡はだれかというと、ネタばらしをすると、おつがと思われる(多分)。
 まだらはこの小説の中で10匹の仔猫を生む。
 最初の出産は春で、生んだ場所は不明。5匹の仔を産む。明らかになっているのは、①尻尾がきゅっと曲がっている猫、②黒猫、③白猫で、残りの二匹の生死は分からない!
 この内、白猫が紆余曲折の後に泰蔵に飼われることになり、「るり」と名付けられる。
 次の出産はその翌年の早春で、おつがの家で5匹の仔を生む。自身番の傍にいたよもぎは「雀、蛤になる」の巻で、師走に死んでしまう。他によもぎ(2匹)、黒猫および虎猫が生まれたが、その後の生死は不明。
 まだらはそれ以前にも仔を生んでいて、岩蔵の飼い猫の中にもいるらしい。なお、おふよの飼い猫はまだらのきょうだい猫だという。

 白猫るりは徳兵衛やおふよから人語を話す猫と思われている。るりが話した人語には次のようなものがある。カッコ内は目撃者を示す。
 ちゃん(泰蔵、おふよ、徳兵衛)
 うまい、うまい、鮪、うまい(泰蔵、おふよ)
 何だかなあ(彦右衛門)
 白猫るりはこの小説の最後「そんな仕儀」で5匹の仔猫を生む(217)。よもぎ猫と虎猫だが詳細は不明である。
 るりは最初からいわくありげな猫なのだが、最後にまだらの後継者になるらしいことを匂わせて物語は終わる。傀儡は明らかに泰蔵と思われる!

浄心寺について

 浄心寺は今も深川にある。縁起は次のとおりである。
 "明暦の少し前に、日義上人は千葉の小西檀林の夏安居を利用して江戸に出て、深川の草庵で読経三昧に明け暮れていた。そこを小堀遠江守宗甫の室お秀の方(通称三沢局)が通りかかり、日義上人に熱心に師事するようになった。のちに三沢局は春日局に付き添って四代将軍となる家綱公(幼名大樹)の乳母を勤めた。三沢局は病にかかり、明暦元年(1655)に乳母を辞し、日義上人に新寺建立を遺命し、明暦二年に亡くなる。上人は局に浄心院妙秀日求大姉の法号を贈り、自分は通遠院日義と名乗る。上人は三沢局の遺命を奉じて小西檀林を辞して、深川の地に永住を決意するも病気となり、学友日通上人を小西から呼び新寺建立を委託して亡くなる。日通上人はお秀の方を開基と定め、日義上人を開山とし自分は第二代と名乗る。家綱は乳母の志に感銘して、浄心寺の建立を許可し、一万畝の寺額・奉一〇〇石・経費として五万両を寛文二年(1662)に寄進する。また、大奥入りしたとき、大奥女中の意志和合を祈って伊勢外宮の豊受大明神を奉祀して、和合稲荷とし毎朝夕にお題目を唱えていた三沢局のために家綱は、浄心寺境内に和合稲荷を建てたという(「法苑山浄心寺縁起」)。
 浄心寺は身延山の末寺となり、宝暦三年(1753)、身延山の祖師像・七両天女像の出開帳が浄心寺でおこなわれ、その後も数度あり、身延山の弘通所と呼ばれた。
 壮大な境内も、震災・戦災で焼失する。ただ、祖師堂の内陣は明治四〇年に完成した鉄筋コンクリート造りなので、昔の姿を伝えている。なお、浄心寺の住職は世襲ではなく法縁である三百余の寺の住職から選ばれるという。(江東区の民俗深川編より)"
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
宇江佐真理プロフィール
 宇江佐 真理(うえざ まり、1949年10月20日 - 2015年11月7日)は日本の時代小説作家。本名、伊藤 香(いとう かおる)。
 北海道函館市生まれ。函館大谷女子短期大学(現・函館大谷短期大学)卒業。OL生活を経て、主婦となる。
 1995年、「幻の声」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。同作品の伊三次を主人公とする『髪結い伊三次捕物余話』シリーズが有名であり、中村橋之助主演でテレビドラマ化された。ペンネーム「宇江佐真理」は「ウエザ・リポート」というタイトルでエッセイを書くために決めたという。ほかに、「深川恋物語」で第21回吉川英治文学新人賞、「余寒の雪」で第7回中山義秀文学賞を受賞している。「深川にゃんにゃん横丁」は2008年9月に新潮社から刊行された。
 2015年に函館市で死去。66歳没。