タツノオトシゴ
中学生時代、国産の腕時計を分解し、文字盤を外したスケルトン仕様にするなど、奇妙な事をしていたタツノオトシゴ、手先の器用さを活かしたハンコ作成や模型作りが得意でした。小学校の夏休みの宿題では、地図から地形模型を作ることも学びました。等高線を3本おきに切り抜くことで、中空の完成模型が出来、材料の節約もなります。
建築の設計部に入って最初のお仕事は、敷地の高低差を確認するための地形図模型でした。自分から申し出て、バルサ材やスチロール板
、アクリルなど色々な材料を使いこなしています。実は、高校時代には鉄道模研究会を創設し、鉄道模型にも腕を磨いていました。まさかそれが仕事で役立ち、設計部の中で貴重な戦力として、営業面などでプレゼンできるとは思っても居ませんでした。コンペ作品(完成模型)や受注に向けての説明模型等、短い期間でありましたが、大いに役立っています。中には完成予想の模型で、外壁のデザインを取り外し可能な2タイプ作ったこともあり、社長への説明模型では、屋上の車の出入り口に縣魚を吊るして、営業部長からお目玉を貰ったこともあります。(^^;
父親の仕事の関係で、家には色々な道具類が豊富にありましたが、電気関係のものは少なく、自分のお小遣いで買っています。テスターは値段が高くて中々手が出ませんが、半田ごて程度なら何とかなります。通電テストは、豆電球で簡単に出来ますが、電圧を測定するのはテスターなしでは大変で、自分の体がセンサーでしたよ。(笑)
その頃は、壊れたラジオなどからスピーカーを取り出して、他の増幅アンプに繋ぐという理屈が理解できるまで、何度も失敗を繰り返しました。たまに一次側と二次側を間違えて、指先に火傷したこともあります。音の出口(スピーカー)によって、立体感や迫力が違ってきます。モノラルの音源で、左右の周波数の特性を変えて、疑似ステレオなんて方式も体験しています。
中には自分でコイルを巻いてトランスを作っていた仲間や、短波放送やアマチュア無線の方面に夢中になった人もいます。
自分でスピーカー等を制作し、運動会での校内放送の手伝いなどで、マイクとスピーカーなどの関係は理解できましたが、その中間にある機器類を自分の知識で理解するのは、中々大変でした。学校の放送室や音楽教室を覗くと、そこに存在するあらゆる機器が高価で、あこがれの世界です。その頃は、お金をかけずに手近なもので代用できないかを調べていました。高級なラジオになると、外部入力の端子が付いていたりします。
ラジオでは、AM以外にFMの高音質の放送も始まり、ステレオの概念が定着しだしています。良い音は、「高価なスピーカーを置けば良い」事は理解していましたが、どこまで安く、良い音に近づけることが出来るのか・・・複数の音源を切り替えて、同じSPで比較するなんてことが、その頃は中々高いハードルだったと思います。
入力装置ではレコードプレイヤーやFM&AMラジオ、マイクロフォンなどが在り、録音再生装置(オープンリールのテープデッキ)などが出回ってきたのは大分後の事です。同級生の家に遊びに行くと、居間にステレオ装置がある友人が何人かいました。TVが普及し応接間から居間に移動し、その後に鎮座したのがステレオ装置です。
メーカーはコロンビアやパイオニアの装置が多かったと思います。
装置の裏ブタを外し、中に入っている真空管の種類をメモしたり、説明書に付いている回路図を見たり・・・そんな懐かしい時代でしたね。
ステレオ装置の多くは、FM&AMラジオとアンプが一体物(総合アンプ)でした。そしてさらに高級なセットの場合、スピーカーは本体と分離されていました。
それなら良い音で聞くためには、家にある装置を使いながら、スピーカーを自作すれば良さそうだと気付きました。大きな箱(エンクロージャー)を秋葉原で買ってきて、16センチのSP(全音域型)を取り付ける・・・普通の箱では共鳴しやすいので、筋交いや補強材の加工に苦労したことが思い出されます。
箱の本体より、補強材の方が重かった。(^^;
タツノオトシゴのこだわりは、さらに続きます。
全方位(無指向性)の球形スピーカーを、身近な市販品を加工して作っています。
SPは当時から評判の良かったフォスターの10センチ全音域型を使用、半円形の洗い桶(プラスチック製)を二つ組合せて球形にし、底部をくり抜き加工してSPを二つ取り付けています。天井のコーナーに吊り下げられたオレンジ色の二つの球体、中々の評判で、何セットか頼まれて制作しましたが、最後の1セットも誰かが引き取って行きました。本当は球形のガラスで作りたかったけれど、そこまでの技術力は有りません。
自分のお小遣いで買える範囲では、ほとんどのアンプ類(増幅器)には手が届かず、雑誌などで紹介されている簡単な回路のアンプを作っています。キットで売っているものも結構高価なので、レイアウトに合った寸法のアルミシャーシーを買ってきて、トランスやコンデンサー、真空管などを所定の位置に取り付けるために、ハンドドリルや金属用やすりなどを使って開口部を開けていました。そのうちにリーマーやアルミパンチという値段の割には便利な道具があることを知り、早速購入しています。自分用に作るよりも、人の依頼で作る方が多かったため、道具類は経費(実費以外)で購入できていました。今考えると、職人さんの世界に嵌っていたようですね。
中学校時代の音楽授業は面白いあだ名の先生で、聞かせてくれる音楽もそのあだ名に恥じず変わっていました。ピアノを習っていた頃なので、ある程度の音楽は聞いて知っていましたが、音楽教室で聞く曲は殆ど知らない曲でした。今でも覚えている曲に、ハチャトリアンの『剣の舞』やヴィヴァルディの『四季』などがあります。教室で聞く未知のクラシック音楽に魅了されていました。そのうち、映画の中で聞いたことのある音楽が、クラシック音楽が多数含まれている事に気付が付きます。
ショパンのノクターン(op-9)の「愛情物語」や、ハイドンの交響曲第88番(V字)の2楽章、チェロのセレナーデは「昼下がりの情事」、この2曲は特定の女性との思い出の曲になっています。(^^
出力側のスピーカーと並行して改良を加えたのは、入力側の音源は最初に買ってもらったレコードプレイヤーです。カートリッジを取り変えたり、アームを別に取り付けたりしています。レコード盤も進化していき、45回転のドーナツ版を聞くうちに、33回転のステレオ版が出始めました。今度は、レコード盤の珍しいものが手に入ると、友人の家に行き聞かせてもらう事が多くなりました。当時は「無いものは他人に借りる」のが手っ取り早い方法です。(^^;
音源(ソース)とスピーカー(出口)の両面からアタックしては、試行錯誤しながら自作のステレオアンプ制作に夢中になった時代も、今となっては良い思い出です。今考えると、複数の音源(ソース)が、身近で容易に確保できてきたことがオーディオへの入り口でした。オーディオへの黎明期・・・そんな感じですかね?
次回は次のステップ、何に熱中したのか「熱中編後半」です。
そのエネルギーは? あたりに迫ります。