スタンダードな日常から③

                  Tomy jr.

 〇〇は前世で□□だった?


 巷では「前世占い」と称して「あなたの前世は○○でした」「貴方の妻は前世では娘でした」等と教えてくれるようです。「前世」とは、今の人生(「今世」)の直前の人生、つまり「人は何度も生まれ変わる」という輪廻転生*を前提としている概念です。こうした考え方は世界各地の原始宗教に存在しますし日本人にとって受け入れ易い考え方ではないでしょうか。

 ♪君の前前前世から、僕は君を探しはじめたよ~♪は、ヒットアニメ映画「君の名は」(2016年)のテーマ曲としてRADWIMPSというグループが歌って曲自体もヒットしています。これは「前世」という言葉が、ごく一部の信心深い年配者のみならず、日本では若い世代も含めて標準的(スタンダード)な概念として、ごく自然に受け入れられている証拠でしょう。


             【映画「君の名は」公式Webより

 「日本では~ごく自然に」と敢えて書いたのは、この考え方は世界的には決して標準的(スタンダード)な考え方ではないからです。科学のように民族や文化に関係なく客観的かつ実証的なものしか信じない無神論者は勿論のこと、欧米では多数派であるキリスト教でも(死後に天国か地獄かの審判はあっても)「生まれ変わる」という考え方はありません。

 チベットかどこかで皆が前世の記憶を持っている村があるとかいう話は聴いた事がありますし、立花隆氏がジャーナリストとして晩年に追及していた「臨死体験」なども、やはり主観的なものであって科学の様に客観的かつ実証的な事象ではありません。やはり宗教や信仰のように極めて個人的かつ主観的な信条に基づくものなのでしょう。

・これまでの人生において何も思い当たる要因がないとしたら?

 輪廻転生という教えは仏教にはありますが日本人がみな仏教徒ではないし、多くの日本人が無意識のうちに馴染んでいるといわれる神道の世界ではどうなのか私は知りません。特定の宗教への信仰を持っていない私ですが、個人的には「人は何度も生まれ変わる」ので今の人生が「今世」、直前が「前世」、次回以降は「来世」と、何となく思っています。

 これは特に強固な信心ではありませんが、そう思ったきっかけはあります。一つは人事部時代に当時30代の部下(女性)が「私、大きな仏像ダメなんです」「大仏の前に立ったらきっと気絶します」と真顔で言い、九州の大学廻りで出張した際にレンタカーを運転させたら山道で寺が出て来る度に「わ」と目を伏せ事故りそうになるので私が運転を代わりました。

 この部下は友人と京都に観光した際も寺巡りの度に友人に先導させ「あ、左に仏像があるからね」等と、なんとか仏像を見ない様にしていたというくらい重症だったそうです。こういう人は初めて知ったので「子供の頃とかに何か仏像に関して怖い目に遭ったり親に怖い話をされたりした事があったの?」と聞いても何も思い当たるような事は無いとの事。

 その後、彼女から「どうやら私がダメなのは仏像の大きさではないようです」というので「じゃ、何がダメなの」と聞くと「あの全てを赦すようなブッダ・スマイルがダメなんです」「え?」仏像を拝む人や彫る人の多くがあのスマイルに救われるというのに…。思わず私は「きっと貴方は過去世**で相当な悪事を働いたんだろうねえ」と言ってしまいました。


    【左:大仏 東大寺大仏殿公式Webより、右:桂林 JTB公式Webより】

 もう一つのきっかけは私自身で、中国の音楽を聴いたり景色を見たりすると何故か憂鬱になり、何となくイヤ~な気持ちになる事に気付いたのです。私は少なくとも今世では中国に行った事も無く、中国に何の縁もないのです。こうなると「自分は過去の人生において中国で相当辛い思いをしたのかな?」と過去世に要因を求めざるを得ません。

 とはいえ過去世の有無など確かめようもないし、実際に自分が過去にどんな人生を歩んでいようと、私はそんな事を知りたいとは思いません。「人生は一度きりと考えて大事に生きればよいはず。だって何度生まれ変わろうとも、その時の人生は一期一会***ですし。そもそも、そんな事は意識しない方がいいので我々は覚えてないのでしょうから。(2023.7.31)

*輪廻転生:命あるものが何度も転生し、生類として生まれ変わること。(Wikipediaより)
**過去世:輪廻転生の過程で過去に経験した人生のこと。「前世」を含む以前の人生経験。
***一期一会:その機会は二度と繰り返されない一度きりとする心構え。(Wikipediaより)