そうだ、聖徳記念絵画館 行こう!

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 国立競技場前駅に降り立ちました。暑い!西日がかんかんと降り注ぎます。国立競技場では何かイベントが行われているようで、人が多く屯していました。


聖徳記念絵画館 国立競技場で何かのイベント 2023年7月22日

 神宮外苑水泳場跡です。道路と道路に挟まれた狭い敷地内です。むかしは広かったんだろうな。


聖徳記念絵画館 神宮外苑水泳場跡 2023年7月22日

 葬場殿跡です。明治天皇の大喪の儀の際に、御柩車が置かれた処が葬場殿だそうで、今は碑だけが残っています。


聖徳記念絵画館 葬場殿跡 2023年7月22日

 この楠の木の由来として、看板に「明治天皇が明治45年(1912)7月30日にお亡くなりになり、その御葬儀が9月13日に全国民の悲しみのうちにこの場所(当時の青山練兵場)で行われました。ここがその時に御柩車が置かれた葬場殿の跡です。中央の大木はこの事を記念して植えられた楠の木です。明治神宮外苑)と記されてあります。


聖徳記念絵画館 葬場殿跡 2023年7月22日

 聖徳記念絵画館は、明治天皇が崩御されたときに建設することになり、旧青山練兵場の葬場殿跡地に大正15年に建設されました。神宮外苑はこの絵画館のために造られたと言います。館内には、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた壁画80枚が収められているらしい。らしいとは、当日は午後5時に現地に着きましたが、これが遅すぎました。拝観時間は10:00~16:30までで、とうに閉館していました。館内の歴史的絵画も、芸術的な石床材も観ることはできませんでした。まあ、野球を見に来たんだしね。
 周囲に停まっている車は、ほとんどが神宮球場の試合を見に来ている人です。


聖徳記念絵画館 裏側全景 2023年7月22日

聖徳記念絵画館 西側 2023年7月22日

聖徳記念絵画館 西側階段 2023年7月22日

聖徳記念絵画館 西側正面 2023年7月22日

 この時間帯は絵画館を望める丁度よい場所に、観光バスが止まっており景観を妨げています。がっかりすること多々でした。
 正面に回ってみると、外壁に絵画館学園の文字が浮かび上がっています。昭和43年に明治維新100年目を記念した絵画館学園が館内に創設されました。


聖徳記念絵画館 正面 観光バスが邪魔だなあ 2023年7月22日

聖徳記念絵画館 正面全景 2023年7月22日

 そういう文化を持った建物ですが、そのフォルムが素晴らしく、お金を掛けられる古き良き時代を彷彿させます。国会議事堂のようですが、天頂部の丸いドームが特徴的です。内部のロビーに行くとドーム天井になっており、国立科学博物館のロビーのような雰囲気なんだそうです。
 同じように四周の窓にステンドグラスが嵌め込まれています。小川三知の作とは聞いていないのであまり熱心になれませんが、興味はあります。

 うさおは浅学なので、ここは聖徳太子を祀ってある絵画館なのかと思っていました。少し考えれば違うことはすぐ判るのにね。聖徳とは「もっともすぐれた知恵」を表す言葉だといいます。聖徳太子にはぴったりの言葉ですが、この絵画館には合うのかな。

 この馬を左右に配したものは何だろう。この場所では一層異彩を放っている。後で調べてみると、一角獣 国旗掲揚塔だそうな。ステンレスの角柱が異質だなあ。角柱の上からポールが3倍の高さまで伸びて日の丸を掲げるそうだ。旗が上がっているのを見ていないから伝聞ばかりです。


聖徳記念絵画館 一角獣 国旗掲揚塔 2023年7月22日

聖徳記念絵画館 一角獣 国旗掲揚塔 2023年7月22日

 そういえば上野の旧寛永寺坂駅跡の前にも、国旗掲揚台がありました。「国威宣揚」と彫られています。国旗を掲げて朝礼とか行ったのでしょうか。こちらは小規模なもので、裏にポールを支える金具が残っていました。


聖徳記念絵画館 旧寛永寺坂駅跡 2015年6月2日

聖徳記念絵画館 旧寛永寺坂駅跡 2015年6月2日

 神宮球場に行く途中に「つば九郎ハウ巣」がありました。子供たちは大喜びですね。私たちは阪神ファンなので素通りです。


聖徳記念絵画館 つば九郎ハウ巣 2023年7月22日

聖徳記念絵画館 つば九郎兄妹と記念写真 2023年7月22日