安政五ヶ国条約により江戸幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5ヶ国と開港場の横浜村に外国人居留地を設けました。山下居留地が最初に制定されましたが、手狭になり慶応3年(1867年)に山手地区に山手居留地我設けられます。
関内という地名は、居留地の境界に関所を設けたため、居留地内を関内と呼びました。居留地は商業を行う山下居留地と住宅地の山手居留地に別れました。
関東大震災と大東亜戦争により関内、山下町は壊滅的な被害を受け、山下居留地にあった居留地境界石はほとんど姿を消しました。※関東大震災の倒壊物は今の山下公園に埋め立てました。もしかすると掘り起こせば境界石の一つや2つは出てくるかも知れません。
現存する居留地境界石は、おおよそ6本程度だと言われています。※当初の境界石には「居留地界」の文字が刻まれています。
明治21年山手地区の地図 横浜もののはじめ考より 横浜開港資料館
境界石が残っているのは山手居留地なので、そこを重点的に見てみます。上の地図の薄茶色の区画が外国人街で、黄色が日本人街です。区別しづらいですが、元町は元々日本人街だったようです。
居留地境界石地図
googleより ○が調査した境界石のある場所
googleより拝借した地図上の、○が境界石の大まかな位置を示しています。番地名は明治の時代の呼称です。現在のものとは異なる可能性があります。
現在確認されている境界石は、1本再発見されて6本になりました。そのうちの1本が横浜開港資料館の中に、もう1本が山手十番館の道路際に、更にもう一本が山手ROUCHEの庭にあります。
エリスマン邸とベーリックホールの間の道境にも1本、フェリス女学館大学裏門にも素性の判らない境界石があるそうです。
兎も角も境界石は,横浜の歴史にとって、貴重なもののひとつでしょう。
横浜開港資料館の境界石 横浜開港資料館「たまくす」より 1本目
元町から谷戸坂に抜ける坂道の途中に、ブラフ積の石垣があります。その壁の袂に維新から明治時代のものと思われる、私有地と居留地との境を示す境界石があります。
居留地境界石 この左側の崖がブラフ擁壁 2017年2月12日
居留地境界石 だいぶ劣化しています 2本目 2017年2月12日
居留地境界石 居留地界の字が読めます 2017年2月12日
山手十番館の前には、とても程度の良い境界石が残っています。風化して形が変わるといけないので、新旧、お見せします。ずいぶん字が綺麗です。14年の間に石が赤く染まっています。健さんは山手十番館の株主です。
山手十番館の外観 2002年5月10日
山手十番館の居留地境界石 3本目 2003年11月3日
山手十番館の赤くなった居留地境界石 2017年4月8日
この十番館の隣に、山手ROUCHEというカフェ・レストランがあります。
ここの境界石は山手十番館のものと同じものに見えますが、文字の部分まで埋まっているのでよく判りません。書かれている文字は、山手十番館と同じで、「居留地界」と彫られています。 目立たないので、ほとんどの人が見過ごして気が付きませんでした。
山手ROUCHEの外観 2017年4月8日
山手ROUCHEの居留地境界石 4本目 2017年4月8日
山手ROUCHEの前の居留地境界石 2017年4月8日
エリスマン邸とベーリックホールの間の道境のところに5本目があります。額坂の近くで、旧75番地の処です。番地は変わっていませんでした。
居留地境界石 額坂公園 この近くです 2017年3月11日
居留地境界石 この境界石は「七十吾」と読める 5本目 2017年3月11日
居留地境界石 こちらの字はよく読めない 2017年3月11日
山手ROUCHEの脇の道を、北方小学校の方へ行きます。そこに269番地境界石と268番地境界石があります。265番地境界石も、すぐに判りました。しかし、この境界石は当初の境界石では無いようです。形状が違います。横浜市はこの境界石は数に入れていないのかも知れません。
居留地境界石 北方小学校脇の坂 2017年4月8日
居留地境界石 269番地境界石と言われるもの 2017年4月8日
居留地境界石 268番地境界石です どこにあるのか 2017年4月8日
居留地境界石 ここです 字が読めますが居留地界ではない 2017年4月8日
265番地の境界石は、すり減って普通の敷地境界石と見分けがつきません。何処の産地の石か判りませんが、山手十番館のものと同様、赤っぽくなります。鉄分でも多いのでしょうか。
居留地境界石 265番地の境界石 「番地」の字が読める 2017年11月3日
居留地境界石 265番地の境界石 2017年11月3日
142番地の境界石は、韓国領事館の近くにあります。これは大きさと言い、文字がはっきりしているので本物ではないかなあ。
居留地境界石 甲142番地の境界石 2017年11月3日
居留地境界石 側面は甲142番地の記載 2017年11月3日
136番地の境界石は、駐車場の中にありますが、背後のブラフ壁同様、消滅するのは時間の問題のような気がしました。この境界石は本物だと言われています。年代ものであることは確かです。
居留地境界石 136番地の境界石 ブラフ壁を背負っている 2017年11月3日
居留地境界石 136番地の境界石 百三十六が読める 2017年11月3日
124番地の境界石は、見つけ難いところにありました。ほとんどコンクリートに埋まっているので、これでは判らないよ。caccoも最初、違う境界石(現代のもの)を探し出してきて得意そうでした。
居留地境界石 124番地の境界石 埋まっている! 2017年11月3日
居留地境界石 124番地の境界石 指に摘まれているようだ 2017年11月3日
214番地の境界石は、横浜共立学園の道路にあります。ここには、214番館と言う史跡建物があり、横浜共立学園が保存管理をしています。建物を挟む道路と階段の2箇所に境界石があります。
居留地境界石 214番館 学園の同窓会記念会館です 2017年11月3日
居留地境界石 214番地の境界石(道路側) 2017年11月3日
居留地境界石 214番地の境界石(階段側) 2017年11月3日
7番地の境界石は、ごみ置き場の裏側にひっそりと存在しています。躰半分、壁に埋まっています。
居留地境界石 7番地の境界石 2017年11月3日
居留地境界石 7番地の境界石 ごみ置き場の裏です 2017年11月3日