長いこと行ってみたかった大房岬に行くことが出来ました。Caccoの従弟が車で連れて行ってくれました。でも、うさおの脚が動かない、動かない。ほぼ引きづるようにして、2~300mの僅かな道のりを歩きました。
大房岬とは「たいぶさみさき」と読みます。普通じゃあ読めないよ。道路標識の英文で読み方が判りました。
この岬は大房岬自然公園と言い、広大な公園です。ホテル南房総とキャンプ場があります。ここに大房岬砲台があったと言います。
大房岬の俯瞰写真 googlemapより
ワシントン軍縮条約で戦艦の幾つかを減らす必要が出てきました。この岬には巡洋戦艦「鞍馬」が解体されたときの第1号、第2号連装副砲を据え付け、浦賀水道の防備に用いました。武装解除による軍縮では無く、新たな軍備増設ですね。
ですので、大房岬砲台は戦艦の砲を用いた砲塔砲台です。下の地図の赤字のところです。
東京湾要塞地図 「日本の要塞」から
この図から見るとあまり大した要衝では無いように見えますが、「知られざる軍都東京」では重要な役割を担っているように見えます。東京湾の防衛の先陣を切る城ヶ島、剱崎、三崎、洲崎、大房岬は重要な地点です。だって、大きな星が付いているもの。
戦争遺跡 「知られざる軍都東京」より
最初にインフォーメーション・センターに行って、貰ったのがこの地図ですがこれにすっかり騙されてしまいました。地図では要塞跡地が二か所しか載っていません。
大房岬インフォーメーションセンター所有図
実際は大房ビジター・センターで配っている地図のように、昔の要塞跡を辿っていけば、結構な数の遺構に出会えた筈。よく調べてから行けばよかったなあ。行き当たりばったりだったからなあ。
砲塔砲台ってどんなものかご存知ですか。以前千代ヶ崎の砲塔砲台を見に行ったことがあります。軍艦に搭載されていた加濃砲を陸上の要塞に利用したものです。
下図に千代ケ崎砲台の断面図を示します。千代ヶ崎は45口径30cm加農砲ですが、大房岬は45口径20cm加農砲です。また、他の砲塔砲台は軍艦の構造にならって砲塔の下に砲側庫がありますが、大房岬の砲台は換装室の後ろに運弾庫があります。砲台の看板の下に下水溝のような横穴があり、そこを覗けば見ることができたのですが見逃してしまいました。
※117 千代ケ崎砲台
まあ、大房岬公園を散策してみましょう。軽い上り坂を登っていきますが、この少し前に鋸山に登ったので足がガクガクしています。登れるかなあ。不安だなあ。
それでも我慢して登っていくと、開けたところにでました。ここが展望台のようです。でも足に来ているので塔には登りませんでしたよ。
塔の上からなら三浦半島や東京湾を一望することも可能ですね。一階は椅子がありデイキャンプの炊事場とかに使われていそうです。
展望台を通り過ぎるとレンガ積みの花壇が見えてきます。うさおやCaccoは戦争遺跡の達人ですから、この花壇が砲台だとひと目で分かりました。
花壇の先にもレンガ積みの花壇が見えます。あれが二基目の砲台でしょう。2基が40m間隔で設置されているそうです。この看板の近所をもっとよく探せばよかった。さっき述べたように、そこに弾薬庫が隠れていたのです。
以前の様相を写した写真が残っています。三浦半島の金田(剱崎)の砲台跡と良く似ています。剱崎砲台は大正年間に、第二海堡の据えてあった砲台を移設したもので、15cm加農砲が二基づつ四門で大房岬と酷似しています。剱崎にも大浦探照灯格納庫が有ります。
※36 金田砲台跡
探照灯格納庫を探しに行く途中で、いかにも怪しい施設を見つけました。建物の壁がモルタルの吹付けで屋上に植栽があります。いかにもカモフラージュぽいです。
奥の方にアーチ構造の壕がありました。コンクリート補強がしてありましたが何かの施設でしょう。先程の砲台遺跡地図には載っていません。
もとはレンガアーチの壕だったのではないかな?奥の壁にもいろいろ穴が空いています。奥の壕は埋められてしまったのかも知れない。一人乗りの自動車が置いてあります。
たまたまここで働いている女性がいたので、この施設は何かと聞いてみました。「探照灯庫だと聞いています」 んっ、そうかな? こちらの平屋の建物は? 「戦争遺跡と関係しません」 え~違うんじゃないかな? もしかしたら掩灯所の聞き間違いかな。
そうこうしているうちに、要塞群の看板が見えてきました。
前を歩いているCacco達が急に見えなくなりました。慌てて追いかけるとそこには横道と入口がありました。
おっ、それっぽいぞ。第二掩灯所の入り口です。
第二掩灯所の内部です。
広い部屋が有ります。窓や開口には扉等無いようです。器材の格納庫なのでしょう。
掩灯所から第二探照灯照座の入り口が見えます。
第二掩灯所の外観です。屋根上は樹木で掩蔽されています。
第二探照灯照座入り口です。Caccoの身長と比較しても高さは2mを少し超す程度でしょうか。
第二探照灯照座の地下壕の内部です。
照明所は2ケ所あり、1基は先端南側の井戸昇降隠顕式(第二掩灯所)であり、もう1基は西側(先ほどのところかな)で、中央の掩灯所(第一掩灯所)に格納され、照明所まで軌道で移動させたといいます。
探照灯の地下発電所は谷に設置されました。こちらはよく判らないので、第二の照明所を見てみましょう。右側のくぼみは階段です。
観音様でも安置してあるような探照灯の格納庫が付いています。
上を仰いで見るとこんな感じ。
このままだと新興宗教の巣窟のようですので、井戸昇降隠顕式をすこし説明します。普段は隠してある探照灯を、敵機襲来とか敵艦襲来のときに照明座まで持ち上げて照らすものです。「日本の要塞」にその仕組図が載っています。
さてそこで判らないのが、まるで揚弾井のようなこの四角い穴です。Caccoが写真が撮れなくて四苦八苦していました。
ストロボを焚いて撮ってみるとこんな感じ。横方向に開口部があるようだ。
戦争遺跡を堪能して表に出てきました。
大変見応えのある施設でした。しかし、海岸の方まで行かなかったので見逃した施設も多く有ります。例えば海軍の聴測所や魚雷艇基地、陸軍の戦車壕等です。
聴測所
敵潜水艦の侵入を防ぐために、パッシブ・ソナーを用いて探知するもので、観音崎にも同様なものが残っています。
観音崎 水中聴測所 2018年1月20日
発電所
駐車場に帰る脇道にあったはずです。気付きませんでした。
発電所跡
人間魚雷回天発射台跡
海岸の方まで行かなかったからね、全然分からなかったよ。山の上から海岸を俯瞰して見ていたんだけどね。まあよく判らないかも。
人間魚雷回天発射台跡
人間魚雷回天 遊就館蔵 2015年11月1日