毎月、横浜市から地区の回覧板とともに、広報紙が配られます。これは神奈川区だけのドメスティックなものです。
横浜市の区域で鶴見区だけは、今までに合併も分割もしていない稀な区になります。
横浜市の当初の区域は、鶴見区、神奈川区、中区、保土ヶ谷区、磯子区の5区だけでした。神奈川区は、港北区、緑区、青葉区、都筑区に分かれましたし、中区は西区、南区、港南区とに分割、保土ヶ谷区は旭区に分割、磯子区は金沢区に分割、戸塚区は瀬谷区、栄区、泉区に分割されました。人口が区を分割せざるを得ないほど、増えたんですね。
だから区ごとの広報と言っても、結構配布規模が大きいので、手が込んだ編集をしています。
今回は神奈川区にある橋がテーマでした。
広報の特集 橋の歴史
上台橋は横浜駅から帰る途中によく見かける道路橋です。上の道路は旧東海道の道です。何回か携帯電話で撮影した記憶があるのですが見つかりません。仕方がないのでまた、googleのストリート・ビューで見てみましょう。
上台橋 横浜駅方面からgoogleより
上台橋 橋台を望む
googleより
橋台の柱間にはH鋼による耐震補強のようなものが施されています。幹線路でもあり、この橋が落ちると被害は甚大そうです。
青海波の文様は、神奈川が浦島伝説の場所なので、この文様がよく使われます。浦島の街灯、高島嘉右衛門ゆかりの「かえもん」公園に見ることができます。
街路灯 2001年1月7日
街路灯 青海波と亀 2008年8月9日
神奈川警察署の近くの公園 2008年8月9日
かえもん公園 2014年11月16日
神奈川ではないですが、品川の旧東海道筋にも看板に見ることができます。
品川宿 道標 2007年8月25日
高島嘉右衛門は、新橋―横濱(桜木町)間の鉄道敷設の際に、海浜の埋め立てを国に申請し、高島台の自邸から工事の進捗を眺めていました。青木橋は旧東海道が鉄道のために切通になるので、旧東海道に掛けられた跨線橋です。
京浜急行の神奈川駅の近くに、この日本初の鉄道の神奈川駅があったので、探しに行った時によく見かけてはいたのですが、人間、肝心なものが良く見えていないので、青木橋の写真を撮っていませんでした。という訳でまたもや、googleのお力を借りることにします。
青木橋 俯瞰
青木橋 手前右側に京急の神奈川駅がある
明治5年 高島台から見た埋立地 手前の家並みが旧東海道か?
※横浜開港記念館蔵
高島嘉右衛門が見たという青木橋は、残念なことに今ではマンションが立ち並び見ることも出来ませんでした。
高島台から見てみましたが 2009年10月17日
今では何も見えない 2009年10月17日
相模原の弾薬補給廠から横濱鐵道(現横浜線)で東神奈川駅、海神奈川駅を経由し、瑞穂埠頭に軍用線が通っていました。神奈川台場はこの近くにあります。
日本帝国陸軍も用いたであろう貨物引込み線が橋の脇にある線路で、臨海貨物線まで延びています。
この専用線は、2004年にはまだ在日米軍が管理をしており、「Keep out」の看板が立てられていました。
瑞穂橋梁 2004年5月2日
瑞穂橋梁脇の貨物鉄道 2004年5月2日
瑞穂橋梁から他の貨物線へ 2004年5月2日
新浦島橋は浦島漁師町にある運河に架けられている橋です。2007年まではこの橋梁の煉瓦橋脚が残されていましたが、2016年に見に行った時には見事に工事用の仮設鉄骨橋脚に替わっていました。
浦島漁師町の運河 2007年3月3日
新浦島橋 煉瓦橋脚が望める 2007年3月3日
新浦島橋 煉瓦橋脚 もう架け替え工事が始まっている 2007年3月3日
新浦島橋工事中 煉瓦橋脚が無い 2016年5月1日
浦島町の運河に係留されている漁船の中には、もう朽ちて浸水しているものもあり時代を感じさせます。もうほとんど漁には行かずに遊漁船として生計を立てているのだと思います。生麦のように船を泊める運河が埋め立てられてしまうのは寂しいなあ。
浦島漁師町運河 朽ちた漁船 2016年5月1日