google street_viewを利用して、帝国海軍、陸軍の通信施設を見てみようかと言う試みです。特に針尾の電波塔を見てみたいと思います。若干、無線中心の話になりますが。

針尾の電波塔


針尾の電波塔 遠方から見ると googleより

 NHKのTVドラマ「17歳の帝国」に針尾の電波塔が写されたので、佐世保には行ったことがありませんが、がぜん興味を持って見ていました。ドラマの粗筋はこうです。
「202X年、鷲田総理大臣は超高齢化と失業率の上昇、経済の没落から、日本が世界中からサンセット・ジャパンと揶揄されるのを憂いていました。日本を改革する人材育成のために、AIを駆使して若手リーダーに地方都市を統治させモデルケースを運用させます。プロジェクト・ウーアと命名され青波市が選ばれます。政治AIコンピューター「ソロン」は17歳の高校生・真木亜蘭を総理大臣に選出、彼は「透明な政治」、「謙虚な政治」、「救う政治」の方針を打ち出し、実験都市ウーアの市議会廃止や市職員の削減を提案する。山口早希記者に早急な都市改革を「17才の帝国」と批判され支持率を落とします。公邸に秘密裏に設置したAIコンピューター「スノウ」(総理の不正献金疑惑で亡くなった白井雪をAI化した)の存在をメンバーに知られ、「スノウ」が暴走し、それが「ソロン」の大規模システムダウンにつながり、真木の支持率は30パーセントを切り、ウーアを去りました。
 総理の孫の照は、新たな総理に選出され、真木が打ち出した3つの方針に従い改革を継続する。ウーアではランタン祭りが復活し、夜空に青いランタンが解き放なたれました。」



針尾の電波塔 住宅地から見ると googleより

 多少、思わせぶりな演出で年配の私には判りにくいところもありました。
 見どころは真木総理の官邸に旧帝国海軍の通信所跡が使われたことです。
 この通信所から真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」を中継したそうです。あの3本のコンクリートの電波塔が、江戸川乱歩の青銅の魔人を彷彿とさせます。大正7年から11年にかけて136mの塔は300mの正三角形の配置で建設されました。

 針尾送信所は、長波無線通信施設で大正11年に竣工しました。無線塔の中心の電信室は、半地下の建物で内部に発電機室や送受信機室などが設けられています。
 大東亜戦争の時代には、無線やレーダーはありましたが、今と比べると脆弱な通信技術で、遠くに電波を送るには大出力で電波を発するか、中波と呼ばれる300-3MHzの波長の電波を使って、大掛かりなアンテナ設備を設ける必要がありました。



針尾の送信所 googleより

針尾の送信所 googleより

 当時の技術ではアンテナの長さを短くすることは難しく、ダイレクトに半波長のダイポール型アンテナを張っていたと思われます。あの長く電線を張って中点に給電点を取るアンテナです。


ダイポール・アンテナのイメージ図

 あの針尾のアンテナもポールの間隔を広くし、長波の電波を発信していました。 短い波長の電波は直進性は優れていますが、山や建物に阻害されると回折減衰したり、反射したりで遠方に届きません。長、中波の電波は回折による減衰が小さく、電離層で反射しながら地球の裏側まで到達します。
 
 余談ですが友人にアマチュア無線のマニアがいて、一級の資格を取り通信に没頭していました。北海道で育ちトリップルコールの開局免許を持っていました。
 また、無類の戦争マニアで、自衛隊の装備や艦隊、戦闘機に詳しい人物でした。
 トリップルコールとは下3桁の記号が同一のものの俗称です。彼は「〇〇8CCC」でした。うさおのコールサインは「JP1 JOR」だったので粋がって「ジャパン・パパ・ワン・ジュリエット・オスカー・ロメオ」とコールしていました。
 当時の上級の試験は電鍵でモールス符号を打てることが必要でした。うさおは電信の電鍵が打てなかったので、最下級の電話級の免許をとり、144MHzと430MHz帯の2バンドの通信機(リグ)を持つことが出来ました。
 でっ、彼の指導の下、ヘリカルホイップのアンテナを自作したこともありました。釣り竿を利用し、竿に導線を巻いていきます。導線の長さは対象周波数の1/4λ(波長)が必要ですが、長いので右図の様に巻いて全長を短くします。面白かったなあ。

 その友達、K君の家は海に面した小高い丘の上に建っています。遠くから見てはっきり識別できるのは、屋上にある電波塔でした。


夷隅の私設通信施設


太東崎の電探  K君の家は丘の上の眺めの良いところ 2007年8月12日

 K君は民間人でありながら、某K国に対する私設防諜隊に従事している。見よ、この無線機の数々を。木の香りのする家は電探で探られないように、内外装も電波的にはステルスの木造家屋だ。


太東崎の電探 さすがマニア 2007年8月12日

太東崎の電探 このような機器はどこで手に入れるのだろう 2007年8月12日

太東崎の電探 高そうなリグも何気なく置かれている 2007年8月12日

太東崎の電探 オシロスコープまであります 2007年8月12日

 ここが周囲の敵を索偵する司令塔です。(嘘です。ここでお昼を食べたり、流星群を見たりする処です)外房が一望できる、羨ましい環境です。中波帯と思しき手作りアンテナがしつらえてありました。その他の色々な周波数に対応するため多くのアンテナが架設されており、指向性アンテナを回転させるためのローテェイターも付いていました。左下のアルミポールが中波のアンテナで、使うときにケーブルを伸ばします。これらアンテナ群の怖い所は落雷時です。そのためのサージブレーカーとバイパスのアースが地面に埋めてあります。


太東崎の電探 敵機索偵塔 2007年8月12日

針尾の送信所

 話を針尾に戻しますと、送信所を中心にして周囲を円形に道路が巡っています。かつての送信所の敷地には、このような形態が良く見られます。強力な電波の影響、例えば磁場だとか電場が干渉することを嫌ったのかもしれません。後でお示しします横浜の深谷の送信所も同様に円形の敷地の中にあります。


針尾の送信所俯瞰図 googleより

針尾の送信所俯瞰図 googleより

 googleでは送信所の内部も見ることができます。素晴らしい時代になったなあ。屋内には変電設備や送信装置、受信装置がありました。多分置かれていた機器類は、今の様に小型ではなく異様に図体が大きなものだったでしょう。


針尾の送信所の井戸があった処 googleより

針尾の送信所 入口を望む googleより

針尾の送信所 西側を望む googleより

針尾の送信所 北側を望む googleより

久里浜の駐屯隊

 では、どの様な通信機器であったか、久里浜駐屯隊の歴史館で見てみましょう。軍用ですからごついし壊れにくいものであったようです。
 駐屯隊の中にある地図には、千代ケ崎砲台も記されていました。戦後は自衛隊の通信隊のアンテナ塔が建っていたところです。



久里浜駐屯隊 千代ヶ崎が真裏にある 2015年4月4日

 駐屯地はかつての海軍通信学校の跡地でした。


久里浜駐屯隊 海軍通信学校の碑 2015年4月4日


 「歴史館」は、さすがに海軍通信学校だっただけあって、通信機の見本市です。夷隅に住むK君はこれを見たらすごく喜んだだろうな。


久里浜駐屯隊 歴史館入口 2015年4月4日

 これらの機器のような装置が、針尾の送信所にも沢山置いてあったのでしょう。


久里浜駐屯隊 九二式特受信機改四 2015年4月4日

久里浜駐屯隊 九二特受信機改三 2015年4月4日

久里浜駐屯隊 航空機用電話機と全波ラジオ受信機一号 2015年4月4日

久里浜駐屯隊 九八式無線機器試験機(乙) 2015年4月4日

久里浜駐屯隊 有線電信機二号 2015年4月4日

久里浜駐屯隊 受信機(地二号無線機) 2015年4月4日

久里浜駐屯隊 中共製歩談機702号 2015年4月4日

深谷の通信隊

 横浜の瀬谷、深谷にある電波塔に行ってみましょう。針尾の様に通信所の周囲に円形の結界が設けられています。地図上ではっきりわかりますね。
 深谷通信隊は横浜市泉区和泉町と中田町にまたがって存在しています。2014年6月30日までは米海軍厚木航空施設司令部の管理地でしたが、同日、日本に返還されました。深谷通信所と言いますが、戸塚無線送信所とも言われます。



深谷通信隊跡 地図 (2015年5月4日)

 基地の中央を鎌倉みちが通っており、基地の前にバス停もありますが、中には入れません。
 米海軍は、事務所とアンテナがある囲障区域は立入禁止としました。衛星通信のおかげでこの施設の必要性が無くなり、部隊の撤退が決まりました。

 


深谷通信隊跡 バス停の処 2015年5月4日

深谷通信隊跡 東側の農地から 2015年5月4日

深谷通信隊跡 電波塔の威容 2015年5月4日

深谷通信隊跡 このアンテナは指向性アンテナ? 2015年5月4日

深谷通信隊跡 変電設備 2015年5月4日

上瀬谷通信施設

 ついでに上瀬谷通信施設も見ておきましょう。ここも深谷通信隊と同様に、囲障区域は立入禁止です。すぐ横に旧海軍道路が通っています。旧海軍道路は桜並木で有名な所です。


上瀬谷通信施設 彼方に何やら施設が (2012年8月8日)

 2015年3月に返還され、門扉が解放されていると言う情報を得て、行ってみました。この地下には、巨大な地下基地があると言ううわさで、大変気になります。


上瀬谷通信施設 ゲート 2016年4月10日

上瀬谷通信施設 2016年4月10日

 ヤード内に不思議なコンクリート構造物があります。もしかしてこの上にアンテナ塔が建っていたのでしょうか?


上瀬谷通信施設 点在する不思議なもの 2016年4月10日

上瀬谷通信施設 庁舎の前の手前にある不思議なもの 2016年4月10日

上瀬谷通信施設 アンテナ塔か 2016年4月10日

上瀬谷通信施設 一応二階建て 2016年4月10日
 
蟹ヶ谷の分遣隊

 同様に巨大なアンテナが建っていた蟹ヶ谷の分遣隊にも行ってみましょう。
 正式には旧海軍東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊で海軍省が直轄していました。蟹ヶ谷が中短波の受信基地で、戸塚(深谷:横浜市泉区和泉町・中田町:深谷通信隊)と船橋(船橋市行田)が送信基地でした。

旧日本海軍東京通信隊
本隊 (海軍省)
船橋分遣隊(送信)
戸塚分遣隊(送信) 104 深谷通信隊(既報)
蟹ヶ谷分遣隊(受信)

 通信基地の地下壕遺構は畑のど真ん中にあります。

 

蟹ヶ谷分遣隊跡 農地の中 茶色の看板がある 2015年6月20日

蟹ヶ谷分遣隊跡 看板が出ています 2015年6月20日

蟹ヶ谷分遣隊跡 地下壕の入り口です 2015年6月20日

 取り払われたアンテナの基礎も見ておきたいところです。
 分遣隊は1930(昭5)年に現地に地下壕を造り、受信環境が良い丘の上に電波塔を建てました。その当時は受信用アンテナが6本もあったそうです。その最後の1本(国交省東京航空局無線塔)も2012年には取り壊され、住宅の敷地の一部になって居ます。
 電波の干渉を防ぐ意味からも、網状のアースが必要なことからも広大な敷地が必要であったようです。基地の面積は18.7haで22棟の建屋に200名以上のの人が働いていたそうです。米国の捕虜も技術を買われて働かされていたようです。
 他からの受け売りですが、「太平洋上の海軍艦船の通信を受けて、暗号解読や敵の通信を傍受し解読するなどを行っていた。南方戦線で拿捕した米英軍人を、30人ほど翻訳係として使っていた」らしい。また、「戦争末期に連合艦隊司令部を、巡洋艦「大淀」から日吉の地下壕(慶応大学構内)に移して、蟹ヶ谷から日吉までの約3kmの直通回線を引いて、情報を司令部に送っていた。」とのこと。
 公務員宿舎あたりが、分遣隊の基地だったところのようで、そのあたりを探してみましたが、公務員宿舎そのものが取り壊しの最中でした。電波塔は多分、この小学校の校庭とか、草地の所にあったと思われます。



蟹ヶ谷分遣隊跡 どのあたりだろう 2015年6月20日

 昔の写真を見てみましょう。深谷、府中とよく似たアンテナ塔が建っていますね、位置も示されていますが、あまりにも周囲が変わってしまったので見つけられません。


蟹ヶ谷分遣隊跡 在りし日の電波塔の写真 中島信也氏蔵 2015年6月20日

蟹ヶ谷分遣隊跡 昭和36年の航空写真 四角形が施設 2015年6月20日

府中の通信隊(米軍)

 府中平和の森の中にある米軍の府中基地跡は、旧帝国陸軍燃料廠でしたが、戦後は府中米軍基地となりました。



 http://ameblo.jp/6blogs/entry-11911270755.htmlを参照すると以下の通りです。
1939年に旧帝国陸軍燃料廠として建設され、日中戦争中は航空燃料や自動車燃料の備蓄基地として使われました。燃料の関連研究もここで行われていたようです。戦後は米軍の管理下に置かれ、極東第五空軍司令部と在日米軍司令部が設置されています。
 現在は航空自衛隊府中基地が隣接されていますが、滑走路は無く指揮系統の一元化し航空自衛隊航空総隊司令部として機能しています。国内の航空自衛隊戦闘部隊を指揮する部署です。
1965年の東京オリンピックの時に代々木に在った米軍関係者住宅を移設しました。廃墟はこの住宅群です。1973年に米軍府中基地は通信施設を除き返還されました。
 入り口の門は入ることはできません。周囲の道路に沿って巡っていくと、巨大な通信塔が見えて来ます。


通信基地入口 彼方の鉄塔がアンテナ塔 2015年1月3日

鉄塔の手前に給水塔が見える 2015年1月3日

 結構広い駐車場に行き着きます。時刻は2時ですが、陽は既に傾いてとても眩しいです。しかし、そのお蔭で巨大なパラボラアンテナは綺麗なシルエットとなり、通信塔もその威容をくっきりと見ることが出来ます。


地球防衛軍の様なパラボナアンテナ 2015年1月3日

何だか、パラボナのデザイン画のようです 2015年1月3日

 以上、軍事用の通信塔の話でした。

おまけ 佐世保の戦争遺跡

 googleで見ていると、他の戦争遺跡も見えます。丸出山観測所の観測所と地下壕、無窮洞の戦時下の地下学校の遺構などです。


丸出山観測所 googleより

丸出山観測所 googleより

無窮洞入口 googleより

無窮洞教壇 googleより

無窮洞坑道 googleより