指輪  高橋 恵美子 画 米山 峰夫

その5
 呼出し音だ、呼出し音がしている。どこか遠くで、いや、それとも近いのかを?奴の顔が、あの童顔が驚いている、物も言えないで…‥…・違う!女の顔だ!ホテルの制服をつけた女、今にも笑い出しそうな奇妙にゆがんだ女の…………
 そして、気がついた。妙な具合だった。宇宙船の寝台のそばの壁に、半ばよりかかるようにして、俺は倒れていた。床に触れたほおが冷たかった。遠くで、一定の間隔を置いてスクリーンの呼出し音が絶え間なく単調な音を発し続けていた。身を起こしながら、俺は考えずにはいられなかった。
 馬鹿な、こんな事ってあるだろうか、あの惑星はどうなったんだ、ついさっきまでそこにいたんじゃないか、それが、馬鹿な………… まさか、夢か?いや待て、ほんとにい夢かな!奴は何と言った、−何かの知性の存在−知性、知性体、そう、そうなんだろうな、きっと、俺はそいつにたぶらかされたとでもいうんだろうな、巨大を精神エネルギーの中で幻覚を見た、とかなんとか、そんなところだろうを………
 立ち上がる、何ともない。何でこんな所に寝ていたんだろう、と不思議になる。キチンと身じたくはすましているし、ふに落ちない事ばかりだ。さっそく、スクリーンのスィッチを入れたのに、驚いた事に誰も映らない。馬鹿にしてるなー、と思いながら、どうも、変だ、という気持ちになる。もしかすると、何時間もこっちを呼び続けだったのかもしれない。やむなく、向こうの呼出し音を鳴らしてみる。
「あんた!」
 びっくりした。通信員の親父、すぐ近くにいたらしい。最初の呼出し音が音を立てた瞬間に現われるんだ。
「あんた………」
 小父さん、あとの言葉が続かない。はげ上がった頭に、妙に無表情を顔が、俺の顔をまじまじと見つめている。
「あんた、」
 三度目のあんた、だ。親父、やっと我に返ったらしく、腰を浮かしてどうしたらいいものか、とウロウロしている。
「そのまま、そのままだよ、 いいね。」
 そして、スクリーンには又誰もいなくなりしばらく待たされた。かなり、長い間だった。いいかげんに退屈していると、突然耳ざわりなあわただしい物音がして
「この馬鹿野郎!」
 奴が顔を出した。ちょっと遅れて、親父さんが今にも泣き出しそうな顔をつき出した。
「馬鹿野郎!」
 奴の声が震えていた。髪がおっ立っていてよく見ると、奴の着ているのはスリーピングウエアなのだ。それに、奴の顔がいつもよ少とげとげしく見えるのは、.どうやら目の下にできたくまと頬の肉が落ちたせいらしい。奴は、「そうか、………そうか。」
と意味もなく、同じ言葉を繰り返し、確認するように何度も何度もうなづいている。その日は、俺をじっと見つめたまま。
「よかった、………よかったよ。」
 つぶやいている。それから、ゆっくり、いかにもほっとしたような笑いを浮かべて見せた。おだやかな顔だった。奴にこんな表情があるなんて知らなかった。俺達は、しばらく何も言わずに黙りあっていた。親父さんが立ち上がって、よかった、よかった、と奴の肩をたたき、鼻をすすってスクリーンから消えた。何も言えなかった。
「もう、死んでると思ったよ。」
 静かに、奴が切り出した。
「空間状態が回復してから、ずっと呼び続けたんだ。」
「返事がないんだもんなー。」
 ボッ、ボッ、と奴は言葉を切った。
「一体、どうしたんだ。」
「ああ。」
 俺達には、珍しい程の静かを言葉のやりとりだった。
「わからない、説明のつけようがないんだ。俺、ついさっきなんだよ。ついさっき、気がついた。気がついたら、床の上に倒れてて、それだけさ。…………わかんネェ」
 奴は考え込んだ。俺の言葉を一語一語かみしめているようだ。
「それで、その前は、どうなんだ。」
 考えたあげくに、又聞いた。
「それがな−、何だか今思うと夢みたいなんだけど、とにかく俺の記憶にあるのは、あの惑星の上でワゴンを引っく少返して・……・・」 奴が目をみはった。みるみるうちに、奴の顔から、今までの仏様然としたおだやかな微笑が消え去って、奴らしい表情がよみがえってきた。
「おまえ、降りたのか、あの星に!やってくれるじゃないか、ほんとかよ!」
 畜生、言葉もない。
「それで、それでどうした?」
「それだけだよ!」
 俺も言葉が荒くなる。
「ワゴンを引っくり返したところまでしか、記憶がないんだ、あとは知らんよ。」
「なるほど、ところでそれ、いつの話だ?」
「いつって、何だ、日付かー」
「ああ。」
「十……十七日だよ。午後三時過ぎってとこだな。」
「とすると、……おまえ、今日が何日か、知らんだろうな。」
 俺は打ち合わせなづいた。何となく不安な気がした。
「二十一日だよ、……いや、違った、二十二日だ、今四時頃だろう、もう明方だ。」
 どうも、ついていけなかった。あの惑星で起こった事はつい昨日の事みたいだ。それにそうすると十七日から今まで、俺はずっとあの床の上に倒れていた、というのだろうか。別に体の弱っている徴候もなければ、頭が痛いわけでもない。俺はついむずかしい顔になっていたらしい。
「まあ、いいよ、めんどうな事はあとでゆっくり考えてみるさ。」
 奴が慰め顔で言ってくれた。
十三日  七:00  空間状態が悪化
     九:00  完全に連絡不能
    一二:○○〜一:○○ 空間雲 最高潮
    一四:三〇  惑星発見→俺が
十四日 一一:○○  船外にて惑星鑑賞
    午後     船を惑星軌道にのせる
    一九:○○以降 観測計器のセッティングその他
十五日、十六日 観測その他
十七日 午前  惑星降下準備
    十三:三〇 第一回降下−バウンドの方
    十四:一〇 第三回降下
    十五:三〇頃 ーーー
十八日、十九日、二十日、二十一日
二十二日 三:三〇  床の上

 この十日間の行動と時間を簡単に書き抜いたメモを手に、俺はため息をつく。十七日、あの惑星の上であの小動物とたわむれたあの時から、寝台のそばの床まで、全くの空白なのだ。俺が漠然と信じ込んでいた。すべては知性体の精神エネルギーによる幻想$烽ヘ、簡単に奴によって否定された。惑星は実際に出現したし、消失したのも又、事実だという。好き嫌いで物事の判断をつけさせてもらえるなら、俺はどうしてもその事実が好きになれなかった。そもそも、惑星が出現した事自体が気にいらない。しかし、出現した以上は消えるのはあたりまえだとは思う。当然、消えるべきだ。
 だが、奴は、奴にとってこの事実はすべてが気にいるものだったようだ。御満悦なんだ。嬉々としてる。あの一時的な惑星出現が見事にDY、DZに効果を及ぼし、その結果奴の主張した軌道変化が又々起こっている、という事、すべての出来事が、おおむね自分の考えていた仮説の範囲内で起こった事に満足しきっている。しかも、はりきってる。
 その結果、俺は次から次へとなすべき仕事を指示され、まだそのほとんどに手をつけていない状態。この十日間の詳細をタイム・テーブルの作成、惑星に降り立った時の器具、採集物(もし、あれば)の点検、検査、種々の観測器具、カメラその他による詳細を解説つきのデータ提示………エトセトラ。つまり、帰路の一ケ月半の退屈の心配だけはしないですむ、というわけだ。
 この簡単をメモを詳細をタイム・テーブルにするのは後回しにしたかった。いざ、それをやろうと思ったら、コンピューターにかかりっ切りになるのは目に見えていたからだ。そこで、まず器具収納庫から始める事にした。ロッカーの状態は降下前の点検の時と全く同じだった。あるべき物があるべき所に整然と収まっている。軽一級装備服、付属器具、携帯した装置、ワゴン、………やはり、あの出来事は幻覚だったんじゃないか、という気がしてくる。惑星は存在したかもしれないが、俺が惑星に降力立ったという記憶は、虚偽だったかもしれない。しかし、一つ一つ見ていくうちに、妙な事に気がつく。用具、器具のすべてが使用前の状態に収まっているのに、たとえば、装備服の靴の裏につまっているものはなんだ、小石、植物の切れはし、しかし、確かに使用した覚えのある器具のいくつかが全く使用の跡をとどめていないのは一体どうい打ち合わせわけなのか。ワゴンの時が一番ひどかった。万能スティックには土が付着しているし、採取箱のひき出しは、すみに砂がたまっていたり、無雑作に小石がころがっていたりする。ケースを開けてみると、採集した土つきの植物がほぼ完全な状態で入っている。(正確にいうと葉はかなり損傷していた ー もちろん、傷をつけた覚えなどない)
 悪夢だ、俺は思った。一見さり気なく、何も事が起こらなかったような収納状態をしていて、中を開けてみると物が入っているなんて。
 幾分、俺の動作は機械的になっていた。物を考えたくなかったのだ。使わなかった採取箱の全部の小ひき出し、全部の大小ケース類すべてをあらためようとしていた。あれは上から二段目か三段目の小ひき出しだった。細かく区分けされたひき出しの一番奥だった。一瞬、俺の動作は止まっていた。頭の中がその瞬間、空っぽになっていた。それから発作的にそのひき出しを床にたたきつけていた。こんな時に、彼女につきまとわれるなんて、信じられなかった。すぐに、俺は後悔した。少なくとも、ひき出しをたたきつけるなんて真似はしない方がよかったのだ、特にこの場合は。その中ひき出しを拾い上げ、ワゴンをそそくさともとの状態にもどしてしまい込んだ後、俺は苦い思いで、指環を拾い上げた。
「この指環、あげようか。」
 という彼女の声が、顔が散らつく、ふと、ひらめいた。
−あれは本気だったのか、そうなんだろうかー。その時、俺はしゃがみ込んだままの姿勢、指環を拾い上げたそのままの姿勢だった。−世界でたった一つの指環、彼女はそう言った、しかも婚約のしるしー。考えに夢中になっていて、その時の俺は、目の前でにぶく光っているものを見ていながら、知覚してはいなかった。だから、それが何であるか、頭の中にやっと伝わった時、本当にショックだった。彼女に望みを持ち始めた矢先だから、よけいだった。 ゆっくり、手の平の指環に目を落とし、それから、棚と床と壁でできた暗いコーナーにあってにぶく光を放つ指環に目を移した。一つは、確かにひき出しの奥にひそんでいたものに違わないが、もう一つは、前からそこにころがっていたんだろうか。何となく、もう一回投げてみれば、もう一つ指環が増えるんじゃないか、そんな気がしてきた。
 指環が二つ。全く同じ指環が二つ。あの、忘れる事のできない彼女の指環、間違いはなかった。あの指環だ。灰色の奇妙な光を持った、例の研究員とやらの贈り物。やりきれなかった。
 その夜、当然の帰結として、奴と俺はにらみ合った。どういう事だ、と俺は二つの指環を奴の目の前につきつけ、奴は目を丸くして二個の指環を代わる代わる見比べた。奴の方が、一体どうしたんだ、と聞いたのには恐れ入った。悪い冗談だぞ、と俺は怒鳴りちらした。何のつもりだ、え、答えてもらおうじゃないか、と。奴も面白くなさそうな顔をして黙ってしまった。
「怒られる筋合なんかないんだぜ。」
 しばらくして、奴が未練たらしくロを切った。
「感謝してもらったっていいくらいなんだ。指環が二つだなんて信じられないよ。」
 ブツブツ言いながらも、奴はひき出しの奥に指環をしのばせたのが自分である事を認め、それが彼女の頼みであった事を明らかにした。そして彼女の気持ちが俺にあるらしい、という事もほのめかしたのだ。だが、もう一つの指環については一言も説明できなかった。従って、せっかくの、彼女は俺に気があるらしい、というほのめかしも、かえって俺の怒りをかき立てるだけ、という結果になり、奴は早々にスクリーンの前から姿を消したのだった。
 俺は一人で怒っていた。
         (次号完結の予定、つづく)


戻る