指輪  高橋 恵美子

その3
 スクリーンに映る奴の顔を、俺は半信半疑、なつかしくてうれしくて、それからよくも一ケ月半もの間、俺を放っときやがって、という気分で迎えた。奴はやっと仕事をすまして、そのキューブ基地に来たばかり、との事だった。
 「いやー、しかし何だね、おまえはちっとも変わってないわー。」
 と、奴が突然言いだした。キューブ以来、宇宙船の孤独の中での一ケ月半を過どし、やっと奴の指定した第六惑星と第七惑星の間の太陽をめぐる軌道にのって、あとは何が起こるか待っていればいいという態勢で安心している俺に、奴はそう言った。それも、一ケ月半ぶりに奴に会って、今まで口に出せなかった気のおけない軽口や悪口、ののしり会いのたぐいを楽しんでいる俺に、そう言うのだ。俺自身はどちらかと言うと、躁うつ病の躁状態の患者みたいな気分さえしていたのに。
 「いや、ほんと。」
 奴はかまわず続けた。
 「ここの通信員のおやじか脅かすんだよ。でも、あの人いい人だな、おまえの事心配して暇をみては連絡とったっていうじゃないか。」
 それは事実だった。はげ上がって小太りでちょっと心配性で、中年の、子供が二人いるという人のよさそうなおやじさん。俺はあの人としゃべるのが楽しみだった。だけど、何かというと
 「大丈夫ですか、何か変わった事はありませんか?」
 と聞くのが、どうにもうるさかった。そのたびに俺は
 「え、大丈夫ですよ、何か変ですか?」
 と答えたものだ。俺の「大丈夫ですよ。」は人に不安を起こさせるんだろうか。
 奴の言葉はまだ続く。
 「おやじさん、言うんだよ。あんたかい、あの気のいい人を一人で宇宙船に乗っけたのは。なんて無茶な事をするんた。友達を気違いにしたくなかったら、すぐ呼び戻しなさい。だいたい無茶だよ、あんな長い航行にたった一人の乗員なんて。」
 と大げさに奴は俺をにらみつけた。あの親父さんのいかにも温厚そうな様子からは、ちょっと想像のつかない物言いだった。
 「いや、参ったよ、本当を言うとそんなはずはない、と思いながら心配でね、今まで様子をうかがってたんたび
 「それで?」
 「いや、それだけさ、安心したよ。」
 「変わってないか7俺、全然?」
 「ああ、そりゃちょっと、僕にあった感激で有頂点になってるくらいで、あと、どうって事………。」
 「馬鹿、何が感激………畜生」
 どうも、奴には勝てない。そこで、自ら気持ちを引締めて現状況の報告を始めることにし、奴との第一回の通信は終わった。

 次の日からは今までの親父さんの代わりに、奴と毎日通信を交わすことになった。奴、日毎にキューブ基地職員の好奇心に悩まされ出したらしい。そういう結果になるのは俺にもだいたい予測できた。何しろ俺自身、あそこではすどかC一たんた。最初の基地関係者以外の一般キューブ旅行者で、しかも往復三ケ月以上にわたる航行を一人でやる、というんで。
 俺達はいろんな事をしゃべり合った。少なくとも、俺はそのつもりでいたんだが、ふと気がつくと、いつのまにか奴の一方的な話を聞く破目になっていた。どーしていつもこうなるのか、よくわからない。結局、俺は奴の得意そうな童顔を眺めて暇をつぶしている。奴の話を聞いていて、どうも気になる事が一つある。奴、俺に対してものすごい自信を持っている。俺の事は何でも知っている、と言わんばかりなのだ。たとえば、こう言う。
「おまえが精神に変調をきたすような事はまずないよ。今のおまえの精神状態では、この航行が必要だったともいえるくらいだからな。」
 どっちにしろ、人の事をああ断言するのは考えものだと思う。
 とにかく、今の俺は、奴がこの太陽系に注目し、俺をこの航行に駆り立てたそもそもの理由を詳細なる説明とともに、拝聴する事に専念している次第である。

 そもそも、この太陽系はDⅥとDⅦ、失礼Dはこの太陽の頭文字だ、この異状軌道のせいで、天文学的には割合よく知られていた。異状というのは、DⅥとDⅦの軌道が他の太陽をめぐる惑星の軌道面に対して60°近く傾いている事をさす。他の惑星の公転軌道がほぽ一平面を成すのに、DⅥとDⅦだけがその平面上にない、というわけだ。この理由は、すい星の通過とか何とか、適当に考えられていて、たいして注目される事もなかった。ところが、例の、いや、要するにとこの事だけど、このキューブ基地建設に先立つ予備調査でこの太陽系のくわして観測資料を手に入れる事ができ、新しい事実がいろいろわかった。DⅥとDⅦの軌道の相対的な関係とか、この軌道そのものが現在も変化しつづある、というような事、もっともこれは僕の仮説だ。古い資料と比較の結果なんだが、おまえに言わせりゃ、誤差にすぎんってやつさ。
 ま、それはともかく、僕はこの資料から異状軌道の原因として第一に考えられるすい星が、いつどういう風に通過したか調べようと思った。手がかりはいろいろある。まず、DⅦとDⅦの軌道の状況とその変化の度合から、DⅦとDⅦが最初、他の惑星と同じ平面上の軌道にあった頃の時期を推測する事ができるし、このすい星がDⅥとD一Ⅶ忙しか影響を与えなかったという事から、その時との二惑星が会合の時期にあった事がわかる。そして、その推定時期における他の惑星の位置関係と、DⅥとDⅦが元の軌道を飛び出す忙必要な初速と方向から、すい星のコースがわかる。
 ところが、ここで妙な事になっちまったんだ。どうやっても、異状軌道の原因はすい屋ではない、という結果になるんだ。もちろん、僕もいろんなケースを想定した。たとえば、DⅥとDⅦの軌道の方が元の軌道で、他の惑星の軌道が変化したなんて場合まで考えた。でも結局わかった事は、すい屋は存在したけどもコースなんてないって事なんだ。つまり、すい星は止まっててある時期、こつ然とその場に現われ、又、消えたって事。
 これには参った。どう考えていいのかわからなくなって…………そこで最初から考え直しさ。だが、考えれば考える程自分の計算が間違っているとは思えないんだ。僕のこの計算の過程にはいろんな仮説も含まれてるけど、それはそれなりの理由があるんだし………ってわけで、僕は全面的に自らの理論、計算を信頗することにした。
 よかろう、すい星は止まってた。ある時期突然現われ、姿を消した。といぅ事は、つまり、要するに、すい星はすい星ではなかったんだろう。僕の想定したすい星の正体は、惑星規模のエネルギーを持つ何らかの<力場>だったのだろう。そして、その<力場>は、僕はある根拠をもって言うが、何か知性あるものの具現、あるいはその手になるものだ、と言ってさしつかえあるまい。だって考えられないんだ。何かの知性の存在を仮定しないと、この現象はどうにも説明がー 。

「おい、待てよ。」
 俺はがく然となった。
「何だ。」
「話が違うじゃないか、最初聞いた話と全然違う!」
「そうかい、最初の話なんて、おまえ聞いてたのかい」
「何!」
 言いながら、俺は自分の力が抜けていくような気がしていた。奴には参る。もう絶対引き返せない時点でこんな事を言い出すんだから。
「だけどおまえ、相手が知性体っていうのは……。話が遠いすぎるよ!ひょっとしてそいつが虫のいどころでも悪かったら、俺は一巻の終わりだ。」
「なあ、どうしてそういう事を考えるの?野蛮な攻撃性なんてものが高度の知性体にあるもんか。」
「おまえは虫も殺さんっていうの?頭のいい奴は自分以外の事には冷たいよ。」
 暗に皮肉ってやった。
「そりゃま、そうでないとは言いきれない、うん。」
 奴は妙な所で考え込んだ。
「ところで、どうして又、今度何か起きるっていえるんだい?」
「それそれ、今からしゃべるつもりだったのに、おまえがじゃまするから。」
 いい気なもんだ。

 そもそも、この推定の根拠は、この現象の背後に何らかの知性的存在を確信した、この一点につざる。彼らは、異常軌道発生時そこで何をしたのか、それはわからない。が、ともかくその行為は、結果としてDⅥ、DⅦの軌道を変える程大がかりなものだった。とすれば、今度も何か起こっていいはずだ。まあ聞けよ、今から2.‥3週間、DⅥとDⅦの軌道こそ遣え、惑星の配置状況その他何から、何まで、そこは異状軌道発生時と全く同一の状況になる。そっくりになる。彼らが前の時に何を求めたのか、皆目見当がつかないが、前求めたものを今度も求めるに違いない。おい、そう妙な顔をするな、荒とう無けいな話だって事は自分でもわかってるんだ。だから ー 。

「だから、俺に頼んだんだな。」
 俺はゆっくり言ってやった。奴の顔がますます丸くなった。
「俺ほ信じてるよ、何か起きるよ。絶対だよ。」
「だけど何も起こらないかもしれない、そうなんだな。」
「絶対起きるよ。それは、僕達の及びもつかないような事さ。おまえは、そのただ一人の目撃者になるんだ。僕が行きたかったんだよ、本当は。だけど、誰かが残って観測し、計算L、起るべき事態に適切な判断をくだせるよう、万全の準備をする人間がいなきゃいけないんだ。」
「でも、ひょっとすると何も起きないかもしれない。」 奴は妙な表情をした。
「誰も信じてはくれなかったよ。」
「そうだろうね。」
 俺は蚊に対して始めての、一種の優越した感情を味わった。俺の顔つきを見て、奴もムッときたらしい。
「フン、まあいいさ、けっこうだよ、だがもしおまえがこの航行を全く無意味なものだと思ったら大間遠いだよ。少なくとも、おまえ個人にとっては意義のある事だよ、何よりもネ。」
 奴は意味あり気に笑った。どういう事だ、と聞いてもそれ以上は答えなかった。そのうち、僕に感謝してもし足りない気分になるよ、というだけだった。

 第六惑星と第七惑星は会合が近づいていた。今思うと、奴がこの両惑星の会合佐時期を合わせた事がよくわかる。しかし奴に言わせると、今度の会合は何百万年に一度という程の最も近距離の会合だという。それは壮観だった。船外から眺めると、二つの惑星が宇宙船の両端に眺められるのだ。惑星の微妙に変わる輝きが、又、何ともいえなかった。ただ、時々距離感覚が狂ってきて、二つの惑星が同時にこちら目がけてつっ込んで来るような恐怖におそわれる。そのたびに自分の心臓の音にびっくりした。
 少し、気が小さくなっているのかもしれない。

その4
 一体、どう表現したものか、俺にはよくわからない。一番荒とう無けいな結果になってしまったのだ。これを思うと、奴が言ってた知性体説の方がまだありそうに思える。しかし、夢ではない。船外を写すスクリーンは、奇妙な見知らぬ惑星を写し出している。俺はなすすべもなく、スクリーンにポカンと見入っている。奴との連絡がつく見込みは全くないのだ。

 昨日は朝からまるっきり空間状態が悪かった。何が原因なのかつかめずにいるうちに、奴との通信の糸は切れてしまっていた。何かが刻々と変化していて、宇宙船の計器類も、ためしに飛ばしてみた観測用円盤も、空間そのものの異常なデータを伝えていた。どうしていいのかわからなかった。これらのデータを総合的に判断する力など、俺にはなく、こういう時こそ必要な相手、奴とは話をする事もできないのだ。俺は、突然異様な恐怖にか
られて宇宙船を緊急発進させた。危ないところだった。空間が揺れていた、としか思えない。宇宙船は中にいる人間をびくつかせるに足る音をたててきしむし、警報装置は鳴り響き、スクリーンから見る星々は、微妙にずれたりかしいだりしている。そして、船腹のある一部分だけが外からの恐ろしい程の圧力を受けて歪んだのは、あれは悪夢だったのだろうか。円盤はとうに歪みの中に巻き込まれておしつぶされており、何とか安定した空間に無事脱出できた時には、何をする気力も失せていた。空間は渦を巻き、歪み、そのたびに星々の存在を隠す暗黒の亀裂に俺はぞっとなっていた。空間の揺らぐたびに、多量の磁気、放射能が放出し、生きた心地がしなかった。一瞬、暗黒の亀裂が形を成し、ふとらせんの出口を思った時、最も激しい衝撃がおそって来た。同時に、俺の意識もなくなったらしい。
 そして、惑星があったのだ。第六惑星と第七惑星の間、俺が宇宙船でとどまっていた場所に、それは静かに浮いていた。まるで、空間が惑星を生み落としたかのようだ。陣痛はすでに去っていた。
 俺は、いつしか魅入られるように惑星を月つめている自分にハッとなった。今の精神状態のせいか、惑星は、美しい声で人を誘惑して船を難破させるサイレンのように思えた。妙なムードがある。白い光を発している事がよけい神秘的なムードをかき立てる。白い光、そうだ、惑星は自ら光を発していた。大宇宙の夜光虫、か。いや、よそぅ、俺はどうかしているんだ。もっと客観的な冷静な見方が必要だ。白い光を発しているのは、惑星の全体ではない。惑星の表面は白く光る部分と暗黒の部分とに別れ、不規則なまだら模様を呈している。白い部分と黒い部分の境界はぼやけている。黒の地帯はまるで光を吸い込むかのようで、無気味だった。そして、惑星は全体として、ぼんやり光っている。観察はそれまで、俺には行動が必要だった。まず最初に、宇宙船のスクリーンと連結しているTVカメラが無事動いているのを確かめ、惑星の観測に必要な機器類を点検し、必要と思われる事をすべてやってみる事にした。一人でいる事が、この時程つらいと思ったことはなかった。惑星が空間から突然現出した、なんて事がそう簡単に人の心に受け入れられるはずはないんだ。ショックだった。心が沈み込んでしまってどうにもならなかった。彼女との事がいやーな気持ちで思い出された。もう結婚してしまったに違いない。初々しい人妻、か。

 疲れはてて寝台に飛び込んで一夜明けると、昨日のうつ状態はうそのようだった。なーに、ちょっとばかり沈み込んでみたかったのさ。スクリーンをのぞいてびっくりした。宇宙船は推進のための全動力は切ってあったが、完全な停止状態に入っていなかったので、例の新生児の別の面に回りかけていた。昨日の黒と白の神秘の顔は惑星の夜の顔にすぎず、太陽に面したこちら側は、人を陽気にさせる色調をたたえていた。暗く沈んだ黒の部分はあい変らずだ。たが、白の地帯は虹色に輝いている。何たる大自然の驚異よ!見物人はしがない人間の俺一人だが、それにしてもすばらしい!俺は急いで宇宙船を作動させて、惑星の昼の側に回り込んだ。そしてしばらく惑星の昼の美しきをたんのうしたあと、注意狭く船の位置を変え、それから船外に出た。実によかった。何百万年に一度の会合にある第六、第七両惑星と空間から生まれ出た新惑星の昼の虹色と夜の神秘とを同時に眺めようというわけだ。この時の俺は一介の観光客であり、ヤジ馬であって、それ以上のものではなかった。ウーン、いい、いい、これが見られるのは俺一人だ、という調子である。もっともそれ以外の事を考えると、たとえば、大自然の驚異に感激するあまり自分がいやに小さく見えるとか、みじめだとか思い出したら、俺は本当に発狂していたかもしれない。いや、もし、昨日こを見ていたら、昨日の精神状態でこれに耐える事はできなかっただろう。今日、俺は底抜けに陽気で何事も笑い飛ばしてしまえる程だった。ふと、これは典型的な線うつ病ではなかろうかと思った。
 船をうまく惑星の軌道にのせ、2日間観察調査した後、ついに俺は惑星に降りる事を決意した。惑星に降り立つに必要な計算を何通りもやらせている間、軽一級装備に必要な器具、装置類を備え、ワゴンの点検を始めた。TVカメラ、各種の測定機器、採取箱、万能スティック(スコップであり、でっかいピンセットであり、ドリルであり、というしろもの)、すべてが所定の位置に収まっていた。軽一級装備服とはおそれ入った。月を歩くよりも軽い装備でいいというのだ。地球より小さな重力に濃密な大気の存在……・・どうも信じられないが事実だった。だが、このデータは白の地帯だけに限られる。黒の地帯はわからない事が多すぎた。データから判断すれば、黒の地帯は非常に比重の重い流体、粘性体のようなものからできているらしい。
 <昼>へ向かうか<夜>へ向かうか、しばらく考えたが、結局昼にした。何よりも<夜>の持つ妙なムードが気に入らなかったし、いろいろな面で<昼>の方が安全だろうと思ったにすぎない。大気圏への突入はうまくいった。船は白の地帯の上空を滑走し、弧を描いて地表へ近づいた。黒の地帯へ近づくのはできるだけ避けた。あそこもどうも気に入らなかった。虹色の地表は降りるにつれてその鮮かな色合いをうすめていき、低空飛行に移った時には、白い何もない平坦な土地にすぎなかった。静かに着陸した。その時には、ただもうガッカリした。地面は弾力があって宇宙船の重みに大きく上下に揺れ動いた。船の中で、俺はこの特異的な揺れ万について考え込んだ。そして一つの結論を出すと、再び船を飛び立たせて黒の地帯との境界地域へ降りた。今度はさほど揺れなかった。さて、俺は考えた。こうなったら黒の地帯の上空へ飛び出さないわけにはいかない。再び発進!実際、予想したよりいやな場所だった。気流は不安定だし、何か下から得体の知れぬガス流が吹きつけてくる感じもある。なるべく上空を飛びながら強烈なサーチライトを浴びせてみても、何も写し出さない。光線は中途で切れているだけ。何か精神に影響を及ぼすのか、非常な不安感と不快感がおそって来る。急いで目的を達する必要があった。船の向きを変え、スクりーンを今きたばかりの白の平原に集中する。思った通りだった。白の塊が黒いものの上に浮かび上って見えた。黒いものを海にたとえるなら、白いそれは陸地だった。白い陸の側面には、不定の間隔をおいて白く発する太い柱様のものがあり、その柱の枝分かれが上へ行く程密になってつながっていた。そして俺は、黒いもののおそい来る危険を感じながら船のスピードを上げ、下部の太い柱の間にあく穴を目がけて突っ込んだのだ。今思えば、あの行為は非常に危険だった。穴は洞くつかもしれないし、もしそうだったら、俺は洞くつの壁に船もろともたたきつけられたに相違ない。だがもし、あれ以上黒の地帯にとどまっていたら何が起きたかわからない。本能的な切迫感と、穴に入るため低空を飛ばねばならないその時間を、なるべく短くしたいためにスピードを上げたのだ。黒い海に引き込まれてしまいそうなそんな予感がしたから。
 太い柱の間をすり抜けると、そこに世界があった。大きく旋回して今入って来た柱の列に沿って飛んでみた。ほの白く光るそれはどうも植物のようだった。キチンと並んでいるのではない。凹凸に入り組みながら一定の帯状を成し、延々と続いている。枝分れも奇妙に入り組んでおり、枝の間に何か動くものさえいるようだ。そして、その白い植物はこの世界の空を形成している。枝の末端とこの幹群とは全く遣った成長組織をしているのだろう。俺は最初着陸した時の恐るべき弾力を思い出していた。大規模なドーム、誰かの手によって作られたような。だが、中には人工の建造物らしきものは何もなく、見知らぬ栢物が繁茂する平原が広がり、白い空とこれ又白っぽい平原が地平へと連なっている。その上、よくよく見るとこの白っぽい平原の上に、上空から見た虹色の投影がかすかに残っているのに気がつく。
 あまり中に入るのも危険に思えたので、船がすり抜けるに十分な間隔のあいている場所を見つけると、そこから一番近い草原に降りた。
 目のはしに何か動くものを見たような気がした。万能スティックを手に、土や植物の採取に専念している時だった。目を上げると、どこから現われたのかきれいな毛におおわれた猿くらいの小動物が五、六匹まわりに集まっていた。俺はワゴンに飛びついた。正確に言うとワゴンからニョッキリ突き出たTVカメラに飛びついた。さんざん惑星の景観をとった後、俺の面白くもない採取作業を追いつづけるようセットされたカメラの眼が、俺を追った。そいつを手動に切り換え、ワゴンを動物の方に引き寄せた。大きいのや小さいの、薄い水色とピンクの。そいつらにとっては人間ぐらいの大きさの動物は始めてのようだ。恐れる様子もない。カメラをのぞいたままじっとしていると、中の勇敢な奴がそろそろと近づいてきた。意外に愛きょうのある顔をしている。手を伸ばすと、さり気なく離れていった。まるで、気がつかなかったという具合にた。女みたいだ。しばらくそうして映していたが、結局又元に戻した。俺の行動を一定の距離を保って追い続けるようにしたのである。クローズアップもできないし、必要なところだけを映すなんてわけにもいかないので、つまらない画面になるのだが、なんせ、作業するのは俺一人なのでしょうがない。さっきの小さな水色の勇敢なのに近づいた。そうっとそばによって腹ばいになる。もう一度、そろそろと手を伸ばす。逃げそうになるのを静かに両手で押さえる。そいつは一瞬ビクンと体を震わせたが、されるがままになっていた。必死に耐えているという面持ちだ。おもわず笑ってしまった。抱き上げてみると、白っぽい褐色の革に隠れて見えなかった体に似合わぬ長いしっぽがたれ下がった。猿ともうさぎともつかぬ、そんな印象を与えた。丸っこい外観にも似合わぬ意外に細い胴をしている。丸っこい外観は肉のだぶついているような太い前肢のせいだった。その先端はちんまりとした突起になっている。そのうち、そいつがもじもじしだしたので降ろしてやろうとしたら、突然手から飛び出した、二、三メートルは飛んだだろう。ぶよぶよした前肢は翼と化していた。
 振り返ると、いつのまにか二匹ばかりがワゴンをいじっていた。一匹はワゴンに乗っかってせっかく採取した小石をばらまいている。急いで戻ってそっとそのピンクを持ち上げようとしたら、ゆっくりワゴンごと下がっていく。畜生!あわててカメラを手動に切り換えた。気を取り直して、とにかくそのピンクをつかまえようとした。その時、足元に何か異様な感触がしてアッと思う間にバランスをくずしていた。ワゴンごと引っくり返りながら、足元にいたピンクの大きいのが大きくはね上がって逃げていくのが目に入った。やれやれ。拾い集めて元に戻すより、もう一回採取をやり直すべきだろうな、といやいや考えたし円筒のケースをそばに置き、スティックで足元の士をすくい上げたその時。
 そこまでだった。すべてそこで終わりだった。あとは悪夢、底知れぬ悪夢、何か自分の体が思うように動かないもどかしさだけが記憶に残っている。もやもやとした夢とも現実ともつかぬ映像、あの動物達がそばによって離れて、又去っていく。後向きに歩いているような異常な幻覚。意識だけが閉じ込められているような、俺の体が俺のものではないような妙な、妙な感じ。白く光る円柱の林、黒い海………揺れる、激しく、上下に、上から下へ、いや、下から上へ………

 正常で鮮明な記憶は、すべてあの瞬間からたち切れていた。
(例によって、つづく)


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