愚か者の愚か者による愚か者のための愚かなるお話、あるいは

魔丘の決闘  太胃 腎

 昔々、あるところにふたりの女がいました。ひとりは鏡明といい、もうひとりは男性似といいました。
 鏡明は名の如く鏡が大好き。朝起きてから夜寝るまで、いいえ、夜寝てる間も鏡に向かっていないとすまないのでした。そのため寝室は天井も壁も鏡になっているのです。家を出るときには手鏡を持ち、それを見つめながら歩くのです。ですから、よく人にぶつかったり、物につっかかったりするのですが、そんなときには決まってこう言うのが常でした。
「バカヤロー! どこを見て歩いてンだヨ! ドジ!」
 さて、もう一方の男性似はといいますと、これまた名の如く男そっくりなのでした。本当の名が別にあったのですが、生まれたばかりの頃から、こう呼ばれていたので、男性似自身すらも本当の名を知らないのです。とにかく、この男性似という女、柔道、空手、合気道、剣道、弓道、相撲、少林寺拳法、フェンシング、アーチェリー、レスリング、ボクシング、射撃、闘牛、キック・ポクシンング、麻雀、花札、パチンコ、スマート・ポール、雀球、競輪、競馬、つほふり、メンコ、ビー玉、等々、とにかく、男のやる事ならまずは男よりはうまいという女傑。なかでも銃にかけては天下一品、百発百中、白発中、天上天下唯我独尊、天下無双、天井真暗、兵隊さんもまっ青、カラミティー・ジェーンもジェーン・ラッセルの姐御もかたなし、ジュリィ・カーライルも生け捕りにされるていたらく、永田洋子もひそかに崇拝していたといわれている。やった決闘、数知れず。中でも有名なのが、毒堀出衛と組んで苦乱頓一家を相手の桶牧場の決闘。交叉点の信号が青か赤かで機動隊を相手に市街戦を展開、全絶させた ー一説には決闘のあまりの激しさに住民が町を捨てて逃げ去ったからだともいわれる ー ゴースト・タウンの決闘。夫を殺したのが親友の息子たちであったことから電車の前で親友と対決したじゆうが丘の決闘。
そして、これから物語られる魔丘の決闘。
 鏡明と男性似のふたりが、ある日バッタリと出会ったのです。時は正午、ところは魔丘。
そもそも、この魔丘という地名の由来については、その昔、悪魔たちがこの丘に住みついていたからだという説、ちばてつやが少年マガジン編集部員とどんな魔球にしようかと、この丘にねそべって想を練ったからだという説、その他、諸説紛々としているが、最も有力視されているのが、ハリウッドのスターとモナコの王妃とが駈け落ちし、モナコ王の指し向けた四人の殺し屋と対決したと伝えられる真昼の決闘がこの丘で行なわれたのに由来するという説である。その同じ丘の上で、時も同じく正午、第二の決闘が行なわれようとしていたのである。
 この日も鏡明は手鏡に自分の顔を映しながら歩いていた。反対からは男性似が近ずいてくる。細いl本道である。当然の帰結として、ふたりは正面衝突。そして、いつもと同様
「バカヤロー! ドジ! マヌケ!」
 鏡明のぶつかった相手が男ならば、一時はカーッとなっても相手は女なのでこらえもしよう。もし女ならば、鏡明の剣幕に押されて泣き寝入り。ところが今度ばかりは勝手が違う。相手が悪い。この一言にカチンときた男性似、ここを先途とわめき叫ぶ。
「無礼者! 銃を抜け!いざ、尋常に勝負!」
 この時代、たとえ女といえども光線銃の一挺や二挺は常に身回り品として携帯している。かくて、決闘の幕は切って落とされんとしている。ふたりは魔丘の頂上で向かいあっている。群衆がふたりを取り囲んでいる。だが勝敗は誰の目にも明らかである。一方は名にし負う男性似、男でもかなう者とてない早射ちである。一方の鏡明、銃なぞは持ち歩くだけで、使ったことなど一度もないのである。
 閃光が走る。
 鏡明は銃も抜かずに光を避けるかのように手を前につき出して立っている。しっかりと握っている手鏡と掌と胸に穴が開いている。だが、倒れたのは男性似の方であった。見れば、どてっ腹に風穴が一つ開いている。
「一体全体、どうしたっていうんだ。男性似が勝ったのじゃないのか?」
「いや、あい討ちだな」
「でも鏡明は銃を抜いてもいないんだぜ」
「なに、手鏡に反射された光線に殺られたんだな」


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