その4 

 この号辺りの頃になると、あまり活動しないうさおがいました。下っ端会社員と例会への出席は堪えました。うさおは人見知りであり、社交術に長けていないので、他のグループとの交流の参加は致しませんでした。「いたしません」は大門美智子のようですね。
 小さいときには、小松崎茂の挿絵に心を動かされ、高校生になって「ダリ展」を見て仰天、これだ、私の目指すところはここだ。精緻なディテールの絵に、空想の惑星世界を書き上げる、出来ればそこに何か思想的なものを、考えさせるエモーションがあるものを描きたかったのです。
 そう、うさおは挿絵を描きたかったのです。SFの愛好家の隠れ蓑を着て、作品を書き挿絵を載せる。普通挿絵はおまけなのですが、うさおは逆でした。
 あまり活動に力が入っていないうさおを見て、綾の鼓のメンバーは早々に引退してもらおうと、中表紙に遺影を差し込んだのでした。事実、創設以来、うさおは会長になっていません。全て丸投げで会を運営してもらっていました。
 米山峰夫氏は東海大学の現役の学生でしたが、当時からセミプロとして名が知られていました。自身の応募ではなく、会員の何方かの推薦であったかと思う。氏は「夢枕 獏」のペンネームで、5号を除く毎号に執筆してくれました。どちらかと言うと、ほんわかとした面立ちの方でしたが、書評に関しては手加減がなく、うさおは連載予定の「綾の鼓」を尻切れトンボ的に辞めてしまいした。実はたいしたアイディア,トリックがあったわけでもなく、ブラウン運動を霧箱で見ることに着想を得て、鼓の紐から放射性物質が拡散し、割下水の地のじめじめした環境から、夜間靄が立ち込め霧箱現象がみられるという稚拙なもの。氏の指摘でネタバレしてしまったので、続編は諦めました。大体、うさおは漫画家志望のくせに、キャラクター造りが下手、ストーリーがまずい、根気が無いの三拍子で、建築屋の方が無難だなと思って転身しちゃた人です。
 

No.4 表紙 これも女性の裸なので恥ずかしいと不評でした

No.4 裏表紙 裏は逆に可愛くしましたがやはり不評でした

No.4 中表紙 創立者 遺影のようだと言われた


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