指輪  高橋 恵美子

その1
 例によって、突然、時間の見境いもなく、呼出し音がして、スクリーンが何もうつさずに点滅を始め、スイッチを入れた覚えのないテレビ電話で、(もちろん、俺が入れたに違いないのはわかっているけど)奴がとうとうとしゃベり出した時、俺は眠たいだけで、何も開いちゃいなかった。話の様子がどうやら終わりに近づいて、最後に
「な、頼むよ」
 と言うのだけ聞くと、俺はすかさず
「いやだ!」
 と言ってやった。それからちょっと心配になり、目をこすって奴の顔をのぞき込むと、奴、まるで、鳩が豆鉄砲くらつたみたいに、ボケッとしてやんの。奴がやっと我に返って
「………でもさ」
 と言いかける。
「いやだよ!」
 俺は大声でどな返してスイッチを切っちまう。いやl、うまくやった、その時はそう思った。俺が奴の頼みを断わるなんて、今だかってなかって事だからだ。テレビ電話がよかったのか、眠たいのがよかったのか。とにかくすっきりして、久しぶりにぐっすり眠り、次の日、遅刻した。

「おい、電話だよ」
 又か、俺は思った。
「切っちまってくれよ、どうせろくな用じゃないんだから」
 すると、同僚の顔にけげんな色が浮かんだ。
「いいのか、すごい美人、でもないけど、ちょっとかわいい女の子だぜ」
 今度は俺が変な顔をする。
 半信半疑で、ボックスの中に入ると、そこに待ち受けていたのは、何とハイスクール時代、好きで好きでたまらなかったいとしの君が、例によって不敵な面構えでそこにいる。
「何だい、一体」
「うん、ちょっと頼みがあんの、いつ暇?」
 と単純明快、単刀直入ってやつで、全く味気ない。ところが、この女、好きな男の前ではまるっきりロがきけなくなるんで、その昔、俺に、こともあろうにこの俺に恋のメッセンジャーを頼み込んだんだ。その時だって俺に対してはこの調子。おかげで俺は大汗かくし、悲しきピエロどころか、まるっきり馬鹿馬鹿しくて、最後には失恋の涙までふいてやる始末。−それでも、この胸のときめき、馬鹿だね−。
「ねえ、何してんの、いつ畷ってきいてんのよ」
 それにしても、容赦ない。俺の気持ちだって考えてくれェ!とこれは思うだけ。おたおた、めろめろになっちまって満足にしゃべれない、これ現実。
「うん、………そうだな。………あー、えーと」
「明日は?それじゃ、あさっての午後、場所はリンにしよう、便利だよね」
 俺はかろうじてうなずくのみ。
「じゃ、その時に」
ニヤッと笑って彼女は消えた。
 そうなんだ。いつもそうなんだよ。いつだって彼女に振りまわされっぱなしさ。もっとも、それは彼女に限ったことじゃないんだけど。俺って、一生懸命こずるくやったつもりでも、どこか抜けてて、結局いいように使われてるんだ。ま、それはともかく、その後、及び次の日、どんな風にすごしたかまるで覚えがなかったね。ただ当日、
「おい、御前、彼女に会うんだろ、もう行っていいよ。ああ、ああ、仕事の方は俺がやっとく。なんせ、その調子でやたら騒がれたんじゃ、調子狂っちまうよ。もう、半分おかしくなってるけどさ」
 ってな調子で、体よくオフィスを追い出されてしまったんだなー。おかげで、彼女が現われるまで三時間、りンで待つはめとなった。この時、ニタニタ.イライラなんかしてないで、落ち着いてゆっくり考えてみるべきだったんだ。そうすれば、必ず一つの答が出てきたはず、とこれはあとから考えた事。何しろ、考える時間はいくらでもあったもんな−。
 待つ身の三時間はかなりこたえた。だが、彼女が現われたとたん、(当然だけど)そんな事はどうでもよくなってしまった。
「あ、いつもながらはやい事。遅刻?十分ぐらいか、そんなら、どうって事もないね」
「うん、まあ、ねえ」
 リンっていうのは、ハイスクールを出た連中が・二、三年たむろするのにちょうどいい店なんだ。ハイスクールを出た連中は、皆、その場所を知ってるし、気軽でアットホームを感じ。自分達の進んだ道にまだ憤れずにうろうろしてる奴が、いこいを求めてやって来る。だが、卒業後四、五年たってもこの店でうろついている奴は落伍者さ。要するに、学校と同じ、卒業しなければならん、という事。
「元気?何やってんの?」
「何って、適当にやってるよ」
「それはわかってるけどさ、好きな女の子でもできた?」
「人並にはね」
「もう、私のことなんか忘れたかと思ったわ」
「忘れたいよ、できれば」
 「へ−、じゃまだ執念深く好きなの?」
「いや、ただ目の前に来られるとうずうずするってんだよ」
「お−、気持悪!」
 全く、人の事みたいに話しやがる。
「何だい、一体」
「うん」
 彼女、今話し出す気はないようだった。
「どのくらい会ってないのかな、ずい分久しぶりだよね」と、話をそらす。
「うん、しかし、何だね、ここはちっとも変わらないL
「もうちょっと、どうにかなってると思ったのにね」
 相変わらずだなー、俺は思った。はつらつとした表情の動き、何考えてっかわかんないけど・やたら上向いたり下向いたり、キョロキョロしてちっとも定まらない目線。それから、きっとピチピチはり切ってるに違いない体………。
「だけど、知ってる奴は、誰もいネーや」
「当然だね」
「うん、そうか」
 俺は突然大きな声で言った。
「かえって盲点なんだな、俺とよりもどすには……」
「バカ、そもそも、よりなんてどこにあったのさ」
「俺にはあったぜ」
「冗談でしょ」
「やっぱり」
 俺はニヤッと笑って彼女の顔をのぞき込んだ。彼女はくつろいだ笑顔で、俺にこたえた。少なくともそうだった、と俺は思う。どうして、こんな変な感じになっちまったんだろう。俺、フッと、彼女の目が笑ってないような気がしたんだ。妙な感じ。
「あーあ、何か面白い話なーい」
一変して、彼女は、半分甘えるような、半分からかうような大声を出した。目がくしゃくしゃに笑っていた。
又しても、俺は彼女に振り回される事になった。
「あるわけないじゃないか」
 俺は腹立たしかった。
「変わんないのね、いつもそう」
「あー、どうせ………」
 何か言い返そうとしたその時、俺の目はリンの入口に釘付けになった。すべての事実が一瞬のうちに明らかになった。
 奴がーこれも、ハイスクール時代からちっとも変わらない顔でー入口につっ立って、店の中を見回していた。
「ごめん」
 彼女が小さな声で言った。

 ぐっと客観的になって考えると、俺は必ずしももてないタイプじゃない、と思う。顔だって、人に不快を与える程醜くもないし、ま、普通、背だって低くはない。適当にユーモアの持ち合わせもあるし、女の子にしてみれば話しやすいって感じらしい。ただまずいのは、女の子が俺の男らしさってものをまるっきり感じてくれない点にある。覇気がないよ、覇気が!なんて、女の子にどなられた事もあった……。
 彼女にも言われた事がある。
「あなたの欠点はね、のんびりなのと、人がよすぎるって事よ。でも、だから助かっちゃってるけど」
ほんとに、いくら客観的に考えてみても、これだけは変わらない。俺って少し、いや、かなり単純で人がよすぎるんだ!
 俺はみごとに二人のだまし討ちにひっかかって、当然烈火のごとく怒るべきところを、「ごめん、ほんとにごめん、悪かった。ことわれなかったのよ、一生のお願いだ、なんて言うんだもの。それに私もなんとなく、あなたに会いたかったの、久しぶりじゃない。ねえ、ごめんね、怒ってるでしょ?まだ怒ってる?」
 とまくしたてられ、ついに不発に終わり、そうこうするうちに黙って奴の説明を聞く破目になってしまった。それにしても俺に会いたいと思ってたなんて、ほんとかなあ、と思いながら。
 奴の話というのは、何だか知らないけど奴の道楽、彼に言わせれば研究なんだけど、その研究の話で始まっていた。何でも、どことかの恒星近くの星系がどうも納得いかん、というような話だった。この星は周期いくつで質量いくつ、この星とあの星の質量比がいくらでこの星の周期が驚くなかれ、これこれ、どう見たっておかしいじゃないか、と俺に言わせればたいした誤差でもない数をやたらに振り回している。測定の段階で、くいちがう事だってあるさ、現にこれこれ、これこれの誤差は、どの場合だって……‥と、振り上げたこぶしのやり場がなくなった気分の俺が、ここぞとばかりいきり立って反論を始めた時、
「ねえ、悪いんだけど…」
 と今はおとなしく神妙に聞いていた彼女が、口をはさんだ。
「何だい?」
「私、そろそろ帰る、邪魔でしょ?」
「そんな事…」
「やー、ごめん、変な事頼んじゃって。助かった上、こいつ人の話、聞こうともしないんだから」
 と奴。
 「いいの、このくらい」
 彼女は立ち上がって、俺の方を向いた。
「ごめんね、もっと怒ってくれてもよかったのに。…ちっとも変わんない」
 「人のいいのが、だろ?」
 「ううん、やさしいのが、よ」
 彼女は笑った。又だ、俺は思った。目が笑ってない…。加えて、どことなくさびしそうな感じ。
「じゃ」
「うん」
 これは俺、気のなさそうに言っちまったのは、ちょっとぼけっとしてたせいだ。
「どうもありがと、助かったよ」
 これ奴、ぬけぬけと言うもんだ。
 いかれちゃったよ、彼女の後姿を見るともなしに見ながら、俺は思ったが又、ほれ直しちゃった。店を出る時、振り向いて小さく手を振って彼女は去った。衝動にかられて、俺は口走った。
「俺、結婚するぞ!」
「え!お前も?」
「何!おい、それ一体」
「おい、結婚って、それすぐの話じゃないんだろ?」
「こっちが先だ、お前も?とはどういう事だ」
「半年は後にしてくれよ」
「お前も?とは一体何だ!」
「おい、結婚って…」
「馬鹿っ、今から申し込むんだ。それより…」
「何だ、決まった話じゃないのか、誰だ、相手は」
「それより、お前も?とは一体どういう事だ!」
「お前も?あー、何だその話か、彼女さ」
「何!!」
 俺は飛び上がらんばかりだった。
「彼女、話さなかったか?指輪してたはずだぜ、婚約したんだよ」

その2
 全く、無味乾燥の一語につきる生活。何にたとえればいいのかな。病院の中にたいてい一棟はある回復期患者専用の一画、でもなければ留置所か。それにしたって、みな、ここよりは食い物がいい。全く、食事のたびに何だって引き受けたんだ、と腹が立ってくる。オール、特殊酵素入りのクロレラ食。まだ、二日目だというのに。
…ここは、キユーブ施設近くの旅行者ホテルと称する牢獄である。 (つづく)


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