書評もかねたおわびの文章  平岩 雅博

 よく、いいわけは嫌いだなどといきがる人がおられますが、私はそんな馬鹿ではありませんので「綾の鼓」二号で予告した私の作品が、この三号に掲載されをかったことのおわびと、そのいいわけをしたいと思います。
 私が「綾の鼓」二号に予告編を載せた時点では確かに、「古代史家の幻想」なる作品を書くつもりでおり、今でもその気持ちに何ら変りはありませんが、とにかく原稿は書き上がりませんでした。いやそれどころか、原稿は一枚も書いてないのです。
 しからば、書かなかった理由はと申さば、ひとつには、めんどうであったこと。ふたつには豊田有恒の「倭王の末裔」を読んだためであります。
 これらが理由のすべてであります。
 ところでふたつ目の理由であるところの、「倭王の末裔」を読んだためということについて説明をいたしますと、この作品を読んでとにかく感心したことは、実によく資料を調べてあるということです。いくら素人が楽しみで小説を書くにしても、私の場合資料をあまりよく調べておらず、これではいけないとつくづく感じたのであります。
 しかし、この「倭王の末裔」という作品、以前SFMにこれの短いやつが載ってそれを読んだときも頭に来たけど、今回はそれ以上に頭に来た。そのわけはと言いますと、ひとつにはそれが騎馬民族征服説であること。ふたつには、文章のあい間あい間に私見をさしはさんで、古代史についてなんやかやと述べていること。
 騎馬民族征服説を私は支持しないが、まあそれを支持するしないは個人の自由であって、「倭王−」の著者がどんな説をとろうとそれはかまわぬが、しかし小説であるはずの「倭王ー」の中で、ときどき私見をさしはさんで(それ自体は著者の自由であるが)、あたかも騎馬民族征服説が歴史的事実であるかのごとく述べているのは感心しないし、またこの作品はあくまでも小説であって歴史の啓蒙書ではないはずだが………
 まあとにかく、「倭王ー」の作者にあと少しの謙虚さがあってもよかった。


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