その3 

 うさおは「綾の鼓」のメンバーを集めたが、ファンジン活動も行わないまま、大学を卒業し、建設業のブラックな業務に明け暮れるのでした。
 朝は8時半に技術研究所に集合、現場同様に朝の体操と点呼、夜は23時半の最終電車まで、みっちりと働かされました。とても同人活動はできません。
 編集作業や、会の運営は集まった会員さんたちに、役割分担をお願いしました。建設業界お得意の仕事の丸投げです。つまり、うさおは最初から幽霊会員でした。情けない。
 これでは会員からスポイルされるのは当たり前でしたね。しくしく・・・。
 池田光氏から、名古屋に帰省されるときに、一緒に家に行きませんかと誘われて、ずうずうしくもお宅にお邪魔したことがあります。
 ご両親にとってはご迷惑だったでしょうね。見ず知らずの不逞の輩を連れてきて。当時、中学生位だった妹さんにも紹介され、いっしょに東山動物園に行きました。
 初めての名古屋でした。池田邸を辞してから、伊勢神宮に行きました。何か、結婚願望があったのかなあ。
 三木康雄氏は、応募してきた時が高校生で、当時からタバコを吸っている生意気な学生でした。でも、慶応大学を卒業後、銀行に入りシカゴ支店に勤務するなど、エリートコースを歩いています。麻雀好きで「綾の鼓」の会を離れた後も、うさおの自宅で徹夜して帰っていきました。
 会社の出張で、シカゴに行ったときには、シカゴの氏のコンドミニアムに訪ねていきました。その豪華さにびっくり、駐車場の無線式開閉扉にびっくり、まあ、セレブな暮らしをされていました。40年後くらいに再会しましたら、「宝島」社の取締役に収まっていました。ずるーい。
 飯田勉氏のお宅にもお伺いさせていただいた気がします。戸塚にお住まいと聞いて、すっかり山の中をイメージしていました。舞岡の市街地でにぎやかなところでした。
 中里政治氏は、私たちよりは10歳以上年上の方で、ひよっこの私たちを温かく孵化してくれました。ご自身の新規事業を立ち上げ、新婚そうそうだったのに係らず、嫌な顔をせずに夜通し私たちの酒をつき合ってくださいました。申し訳ありません。


No.3 表紙 千社札のレタリングも手書き 押印もね

No.3 裏表紙 理由は忘れましたが没になり白紙です


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