薬効過大

 日本人ほど勤勉な国民はない、とよくいわれる。いわれるだけでなくほんとうに日本人は勤勉である。終戦後の日本の発展ぶりには、全世界が目をみはった。現在のサラリーマンをみても、その多くは、朝はラッシュの電車でもまれ、夜は星の見えるまで残業するという毎日を送っている。終戦直後の『働かなくてはいけなし』という観念が消えずに、国民性になってしまったのかもしれない。
 日本政府は考えた。国民がこのまま一生懸命働き続けると日本は大変なことになってしまう。空気は汚れ、緑はなくなり、交通ラッシュは慢性化するだろう。すると国民は健康で文化的な生活を送れなくなってしまう。それどころか、せまい日本だから、仕事がなくなるんではないか。勤勉なのは大いに結構だが、そろそろ欧米並みに、落ち着いてのんびり暮してはどうだろう。実際に、日本は大国といえないまでも、かなり経済的発展をみたのだから。政府がこんなことを考えるわけがない?しかし、ほんとうに考えたのだからしょうがない。本来日本政府は国民の利益を第一に考える非常に良い政府なのだ。
 さて、どうしたら、国民があまり勤勉でなく、のんびりするようになるかということになった。あれこれ議論が交され、政府が率先してのんびりすれば国民もそれについてくるだろう、ということになった。そこで政府は御役所仕事法なるものを内輪で制定し、励むことになった。ところが、生来勤勉さが身にしみっいている国民からは非難轟轟だった。やはり、国民性というものはそう易々と変わるものではない。しかたがないので方法を変え、テレビやラジオ、週刊誌などのマスコミの力をかりて、国民総白痴化をねらうことにした。白痴にまでならなくともいくらか勤勉さか減るだろうと思ったのだ。思ったのはよかった。が、世の中そう思い通りにいくものではない。国民は以前にも増して、我然働きだした。働き好きの日本人が、宣伝媒体としてマスコミ、媒体(特にテレビ)を使いだしてしまったのだ。消費者の購買欲をいやがうえにもそそるようなCMが巷にあふれた。CMはあまりに見事だったし、宣伝された商品はあるに越したことはなかった。国民は商品を買うために、働かなければならなかった。日本人の勤勉さには、さらに磨きがかけられた。みんなが全く忙しそうにしていた。忙がしかった。工場がフル回転された。金が入った。車も買えた。車を売った側の企業にも金が入り 工場を大きくできた。自動車工業だけでなく、他の企業も同時に発展した。その結果、交通事故で、けがをする人の数は知れず、毎日、幾十人もの命が奪われた。工場の廃棄物で河は濁り、空は曇り、前代未聞の奇病まで発生した。開発と公害で緑は減り、都会ではバッタやメダカなど、いや土さえも見られなくなった。外国からは、日本人は我利我利のエコノミック・アニマルだと軽蔑された。政府が心配していた通りの状況になってしまった。そしてこれ以上事態が悪化することは日本の破滅であった。国民は、社会のこうした状態をみんな政治が悪いのだと思い、自分の働き過ぎだということなど誰一人として気づいてくれなかった。時の首相などは、全くみじめだった。なにしろ、MSW(みんなサトウが悪いのさ、と読むのです)という言葉まで生まれ、知識人の間で使われていた。六大都市などはほんとうに住みにくくなっていた。国民は住みよい土地を手に入れるため、前にもまして働かなければならなかった。
 次の案が考えられた。間接的な方法ではどうもだめらしい。実行すれば絶対成功しなければならなかった。そこで考えられたのが薬である。勤勉さをなくす薬、のんびり人間を作る薬が必要なのだ。研究所が設置された。薬が造られた。薬効は蟻で試された。あの、チョコチチョコとよく働く蟻が、実にゆっくりいかにもわきあいあいとしていた。薬は完成した。
 人工降雨センターに協力してもらい、空から薬をふりまいた。薬は雨粒と一緒に地面を濡らすらした。国民には全てが秘密だった。のんびり人間を作る薬というのが、ほんとうに自分のためになると信じてもらえないと、また始めからやり直さなければならなかったし、もともと美徳とされてきた勤勉さを失なうことは悲しいと考える人がいるかもしれない。のんびり人間を作る薬というのは、早くいえば人間をばかにする薬ではないか。そんなものぶっかけられてたまるかという人もあるだろう。国民のための計画であるにもかかわらず 国民に不安を与えるのは政府として全く不本意だった。また、外国にも内緒だった。これは、外国の力をかりなくとも計画がうまくいきそうだったから。数ヵ月の間散布を続けるうち徐々に効力が発揮されてきた。人間に対する効果がはっきりすると、装置は自動に切り変えられ、必要量が常に散布されることになった。
 いちばん顕著に影響が現われたのは、マスコミ関係だった。マスコミとは即時性が要求されるものである。そして量も。ところが、伝達はゆっくりになり、量も減ってきた。なかでも暗い内容のものは、ほとんどなかった。日本の悪が少なくなったことと、外国の悪が日本人に受けいれられなかったためである。日本人の勤勉さを減らし、住みよい日本を造ろうとしたことが計らずも、悪の追放という人類の理想を果たすことになった。日本は善人国になった。善人ばかりだと、物質的発展は少なくても、生活には実にゆとりができた。少なくても日本人にとっては住みよい社会環境であった。
 諸外国は日本という国がさっはりわからなくなってしまった。数年前までは、意地汚ないエコノミック・アニマルの集合だったのに、今では、とても楽しく暮らしているらしい。日本に行って釆た旅行者の話しでは、日本人は全部がまるで神様のようであるという。おまけに、当の旅行者まで神様みたいになって帰って来るという始末だった。日本と海外との間のコミニケーション・・・政治的・・・も、以前のようでなかった。日本からの話しはまるでおとぎ話のごとく純心だった。自動散布され続けている薬の力である。腹に一物ある者、いや普通の人間であっても、まさかと思う奴にやたら愛想よくされると疑問に思うものである。各国は日本にスパイを送ったり、貢物をしたりしたもの、依然としてさっぱりだった。なかにはよからぬうわさを流す人もいて、日本は世界の恐怖の的となった。
 日本を除く各国首脳はジュネーブに集まっていた。その数日後、畿百もの核ミサイルは飛びたった。日本をめざして。
 日本の空は一面人工雲で覆われていた。


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