愚か者の愚か者による愚か者のための愚かなるお話
             あるいは宇宙の進化



彼の周囲には無が拡がっていました。

彼は最後の実験を行なうことにしました。

彼は小型(一見したところ指環のような)の絶対に(一般に『絶対に』という言葉は絶対に使うべきではないのですが、この場合には、誠に相応しく、このためにのみ『絶対に』という言葉が存在しているかの如く、とにかく額面通り『絶対に』貫通不可能なバリア発生器を完成しました。但し、選択的にではありますが、一つだけバリアが存在していないかの如くにふるまうものがあります。これらには、バリアの外敵から内部への一方通行しか許されないものと、その逆に内から外への一方通行のみが許されているものとの二つに分類することができます。三つの例外のうちの一つは酸素と二酸化炭素です。残る一つは、必要性はさておき、重要性という点では先の二つに優るとも劣らないと言っても、過言ではないでしょう。 それは人体に内臓されている毒ガス銃(砲?)の内容物です。前の分類によれば、最初の酸素は前者に、後の二つは後者に属します。バリアを長期間発生させていると、バリア内は酸素欠乏。二酸化炭素過多による窒息、または入間的毒ガス兵器(?)による自滅を未然に防止する役目をこの例外が果たすのです。
 彼は最初の実験を某国の核実験場で行ないました。爆発の中心直近にいた彼からは放射能はおろか、かすり傷一つ見出せませんでし。バリアは防御兵器としては完壁です。では、攻撃兵器としてはどうでしょうか?ちょっとした改良を施せば可能なようです。バリアの直径を可変にするのです。最初に小さな直径のバリアを発生させ、それから直径を無限大にすると、攻撃目標を宇宙の果の外にまで押しやってしまうのです。ただ困ったことに一緒に他の(バリア外の)すべてのものも宇宙の果に行ってしまうのです。
 彼はここまで考えを進めてくると次第に興奮してきた。理論的には、バリアの直径の変化は瞬時にして起こる筈なのです。従って、任意の直径から無限大への移行が一瞬にして起こるならば、光速を越える速度が実現される。彼が夢中になって改良と取り組んだのも当然である。

 彼は不安だった。彼の周囲には暗黒が拡がっていた。だが、それだけならは不安は感じない。バリアの内部は外部から光が全くはいってこないので完全な暗黒になるということは、既に以前の実験でも確認しているのだから、現に彼はそれに対する準備をしていたくらいだ。だが、不安は永くは続かなかった。彼の周囲に鉱がっているのは単なる(あるいは『複なる』と形容すべきかもしれない)暗黒ではなかった。無、無が拡がっているのだ。彼が実験を行なった翌日の新聞は、宇宙の果の向こう側に何か奇妙な物が存在しているようだ、という某天文台の発表を報じていた。
 バリアはどんどん拡がっていた。そして、終に宇宙の果てに達し、さらにその外に拡がろうとした時、宇宙が「宇宙の外には、宇宙は存在しない」という自らに課した命題が破られようとした時、宇宙の自己保存機構が働きだした。一方、バリアも己れの立場、三つの例外を除いては、何物もバリアを貫通することはできないという性質を固持しようとした。そして、妥協が成立しました。その結果、彼およびバリアもまた宇宙の一部なので、宇宙は、バリアをその中にいる彼とを内部に含み、同時に彼は宇宙の果の外に存在することになりました。即ち,宇宙の果まで達したバリアは、宇宙の果を越えようとするが、一方、バリアも宇宙の一部なので、宇宙の果の外には存在できない、という葛藤を生じ、その解決として、球面であることをやめ、裏表のない曲面、つまりクラインの壺になったのです。

彼は最後の実験を行ないました。

彼の周囲には無が拡がっていました。


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